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第4章・『伽耶王と国際情勢』とのテーマの展示品の2回目である。
大伽耶の地で葬られた倭人か・・・山清生草9号墳
この地は、大伽耶から朝鮮半島南岸に至る南江ルートの要衝のひとつである。5世紀後半から大伽耶の滅亡のころに造営された古墳群である。その9号墳から大伽耶系の土器と共に、倭でつくられた須恵器12点と鏡が副葬されていた。さらに赤色顔料を詰めた小壺も副葬されていた。生草古墳群の中で倭系の副葬品が出土したのは、9号墳が唯一である。
被葬者が大伽耶へおもむいた倭人だったのか、それとも倭人と交流を重ねた現地のひとだったのか、黙して語っていない。それでも、須恵器が副葬されていること、大伽耶圏では中小の墓に鏡を副葬する習慣はないこと、倭の古墳に副葬される朱入り壺も、大伽耶ではその習慣がないことから、9号墳の被葬者は倭の葬送儀礼によって葬られたことになる。
朱入り小壺 山清生草9号墳 大伽耶 6世紀前半
須恵器 固城松鶴洞1Aー1号石槨 小伽耶 5世紀後半
須恵器は固城松鶴洞古墳からも出土している
上掲2点の須恵器は 山清生草9号墳 大伽耶 6世紀前半
珠文鏡 山清生草9号墳 大伽耶 6世紀前半
眉庇付冑 金海杜谷43号墳 金官伽耶 5世紀前半
大伽耶と新羅の境界
陜川玉田古墳群は洛東江の西に位置する。大伽耶を構成した勢力のひとつ多羅に比定されている。ここで独特な金製耳飾りが出土した。この耳飾りは大伽耶の意匠と新羅の意匠の双方が見られる。
以上で2回に渡って第4章の展示品を紹介した。次回から第5章『伽耶のたそがれ』のテーマで展示品を紹介する。
参考文献
アクセサリーの考古学 高田貫太 吉川弘文館
海の向こうから見た倭國 高田貫太 講談社現代新書
幻の伽耶と古代日本 文芸春秋編 文春文庫
古代倭と伽耶 時空旅人 2022年11月号
<続く>