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「国引き神話」にみる出雲と越・前編

2017-01-29 11:05:15 | 古代と中世
昨1月28日(土)、松江テルサにて”「国引き神話」からみる出雲と越”、副題として”出雲と北陸の関係を考古学的に探る”との講演会が開催された。講師は島根県教育庁文化財課の丹羽野課長である。期待と駄目もとの相半ばの気持ちで出かけたが、中味は想定以上、はっきり言ってよく調べたりとの印象であった。
前置が長く恐縮であるが、過日当該ブログに出雲の神奈備4山を線で結ぶと台形になり、その対角線を双方延長すると、その一つは三瓶山と高志の能登半島、二つ目は大山と新羅に突き当たると指摘した。その姿は四隅突出墳丘墓のモチーフそのもので、かつ国引き神話を表していると紹介した。

今回は、そのような眉唾ものではなく、出雲国風土記に記される出雲と高志(越)、なかでも都都三崎からの国引き神話に対し、それを考古学的知見からの関連性を調べあげた力作の講演であった。
和銅六年(713年)太政官が発した風土記編纂の命を受け、出雲臣廣嶋の監修のもと秋鹿郡・神宅臣金太理が編纂し、天平五年(733年)に完成した。8世紀前半のことである。
以下、講師の講演に沿って紹介する。
国引き神話とは出雲の国土創生神話である。
●小さい国であった出雲に西、北、東の4つの地域から土地を引き、出雲の地に縫い付けて
 出雲の国土を創生した
●その国引きを行ったのは、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)である
●国引きを成し遂げた命は、意宇社(現在の国府跡の近く)に杖を突き立て「おゑ」と叫ん
 だ
鋭いかどうかは別として、講師が着目したのは・・・、
●国を引いた先の志羅紀(新羅)、佐伎の国、良波の国は漠然としているのに対し
●三穂崎を引いてきた先は「高志の都都の三崎」と具体的である。なぜ都都の三崎だけ具体
 的地名なのか?・・・これが当日の講演の中心課題である。
以降については次回紹介したい。





                                    <続く>



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