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日本と泰国の環濠集落・#7

2017-02-08 08:39:22 | 古代と中世
<続き>

今回から6世紀以降のドヴァラバティー時代の環濠集落を紹介したい。ナコーンパトム県の二つの環濠集落である。ナコーンパトムの市街から北北西に位置するカンペンセーン環濠集落である。今日でも環濠には水が満たされている。
次がムアン郡のナコーンパトム環濠集落である。大規模な環濠集落でドヴァラバティー時代のモン族の有力な都市国家の一つであった。
ナコーンパトムはタチン川流域に7世紀に築かれたと云われている。ナコーンパトムのネルンヒンに在るファイ・チョウカイの仏塔の下から、1964年に発見されたパッラヴァ文字による銘文(ドヴァラバティー王の功徳)をもつ銀貨2枚が出土した。
7世紀のドヴァラバティー時代には、人口の集約が進みナコーンパトムには多くのモン族が居住し、東西交易に従事して繫栄していたであろうことが想定される。
「戦場に架ける橋」のカンチャナブリーに近い、ラーチャブリー県ムアン郡にクブアの環濠集落が存在する。
このクブアの環濠集落は完全な方形ではないが、方形プランが採用されている。タイ湾の湾岸に近く、いわゆる「アルタシャーストラ」の都城建設思想が採用されている。
クブアの環濠集落内には、写真の7世紀に建立されたと云われる煉瓦製の仏塔が存在する。方形基壇の上に円形の身捨が載ると云うが、失われており定かではない。スリランカ仏教の影響かと思われるが、ヒンズーや仏教が入り乱れて伝来したであろうと思われる。
ロッブリーの環濠集落を紹介して、ドヴァラバティー時代の環濠集落の紹介を締めくくりたい。如何にも大きな環濠である。ナコーンパトムとともにドヴァラヴァティーを代表する都市国家の雄であったことが想定される。
南北に貫いているのはタイ国鉄北部線でチェンマイに至る。環濠内には今日も多くの遺跡が存在する。

<参考文献>
鹿児島大学法文学部紀要所収:東南アジアの都市形成とその前提・新田栄治著

                                    <続く>


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