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鳥装の羽人は、本当にシャーマンか?

2020-05-22 06:26:22 | 古代と中世

鳥装の羽人は従来からシャーマンとするのが定説化している。そうであるなら多くのシャーマンがいることになり、次の事例のように一つの舟全員がシャーマンとなる。それは稲吉角田遺跡の線刻絵画土器に描かれているゴンドラ状の舟で、櫂を漕ぐ人々は羽飾りを付けた羽人のシャーマンとなる。このように多くのシャーマンが存在することについては、過去から今日まで疑問として残っている。

今回は、新たに得られた知見をもとに、そのことについて検討することにした。しかしながら、これだ・・・と云えるほどの確証は得られていないものの、その検討内容について以下紹介する。

先ず魏志倭人伝に記載されている倭人(弥生人)の風俗、特に顔面・頭部・身体的特徴を抽出する。

  1. 男子無大小皆黥面文身:男子は大小となく皆が黥面文身す
  2. 断髪文身以避蛟龍之害:断髪文身をもって蛟龍の害を避ける
  3. 男子皆露紒(けい):男子は皆被り物をせず髪を露出す
  4. 婦人被髪屈紒:婦人は髪を曲げ結びする
  5. 及共立一女子為王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆:共に一女子を立て王と為す、名は卑弥呼と云い鬼道を事とし、よく衆を惑わす

つまり、男性は大人も小人も顔面と身体に刺青をしている。更に頭髪は短く、体の刺青とあいまって、海での漁撈の際に蛟龍(サメ?)からの害を避けた。次の一節は②と比較し戸惑いを覚えるが、男性は皆が頭に被り物をせず紐で髪を結っている。女性については髪を曲げ結びし、卑弥呼(シャーマン)についての髪形は触れられていない。やや混乱を感ずるが、頭は坊主頭もあれば、長髪を紐で結っている人もいたであろう、女性については長髪であったろうと云うことになる。

これらの倭人伝記載の記事は、裏付けがとれるであろうか。黥面からみていくことにする。以下、その黥面が表された石棺や線刻板絵、線刻絵画土器、人面土器を紹介しておく。

先ず香川県善通寺市・仙遊遺跡(弥生時代)の石棺の蓋に、顔面に刺青した線刻画が発見されている。その頭部は輪郭のみで、禿げ頭か短髪なのかはっきりしないが、黥面であることは確かであり、倭人伝記載の黥面そのものである。

次は、大阪府立弥生文化博物館展示で愛知県亀塚遺跡出土の弥生・人面土器である。これを見ると頭部は二重線になっており、これを禿げ頭とみるか断髪(短髪)とみるか。いずれにしても長髪とは思われない。

これは、伊都国歴史博物館展示の上鑵子遺跡(弥生時代)出土の線刻板絵である。これの顔面は黥面で頭部中央に鶏冠のような盛り上がりが見られる。これを羽とするか髪とするか? いずれにしても、禿げ頭ないしは短髪で中央の頭上は盛り上がっている。

上の人面土器は、茨城県女方遺跡から出土したもので、顔は鯨面となっており、髪は断髪で少なくとも長髪には見えない。

次も人面土器で千葉県三島台遺跡(弥生時代)から出土した。顔面に刺青はないが、頭部は笠を被ったようなおかっぱであるが、紐で結った様子には見えない。

これは唐古鍵考古学ミュージアム展示の人面線刻土器片で、多分女性であろうが、髪らしきものは表現されていない。

つぎが、我が出雲出土の人面土器である。

頭部中央に鶏冠状の盛り上がりを見ることができる。周囲は禿げ頭か断髪かはっきりしないが、側頭部に髪らしき造形をみるので、少なくとも禿げ頭にはみえないのだが・・・感性が悪く、これだと断言不能である。

しかし、これを展示している島根県立古代出雲歴史博物館は、鶏冠状の盛り上がりを“鳥装のシャーマンの表現かもしれない“・・・としている。

以上、今までに目にしてきた魏志倭人伝と同時代遺物を紹介して来た。御覧の各位はどのように感じられたであろうか。魏志倭人伝は男性について顔面に刺青をして、短髪もあれば長髪もあり、長髪は紐で結っていたとある。出土遺物では紐で結った長髪表現は見ないが、それ以外は魏志倭人伝の様子を裏付ける出土遺物であった。

そこで鶏冠状の盛り上がりは、鳥装のシャーマンであろうか?・・・との課題である。

この写真は唐古鍵考古学ミュージアム展示の線刻土器片である。胴体前面には鹿の絵が描かれ、首は二本線で異常に長く、顔面らしきものは省略され、円弧状の線が描かれている。想像するに頭部か髪であろう。その上に鶏冠状の線が一本描かれている。これは鳥の羽とする見解を当該ミュージアムは示している。つまり鳥装のシャーマンとしている。その想定復元フィギアが展示されている。

先ほどの線刻土器片から推定復元したものである。本当に鳥の羽を頭部中央に飾ったシャーマンかいな?・・・と思わなくない。シャーマンとしたが女性の巫女であろう。シャーマンの想定復元フィギアも展示されていた。

こちらは多くの羽で飾られている。顔は黥面で髪は断髪であろう。う~ん、やや無理があるように見えるのは、当該ブロガーだけであろうか?

以上が従来から考えていたことで、結論は無いに等しい状態であった。その後、時は経過し過日『中国雲南岩絵の謎・彭飛編著』なる書籍を見ていると、雲南大理白(ぺー)族の民族祭りなる写真が眼に入った。

これが白(ぺー)族なのか、それとも他の民族なのか種々調べるが、引き出しが少ないせいか皆目分からない。この写真で注目すべきは鶏冠の髪形をもっていることである。

まるで人面土器や線刻板絵と同じである。しかも全員同じ髪形で、これらの人々全員がシャーマンではあるまい・・・これだけの傍証で鳥装の羽人は、シャーマンではなかったとの結論を出す訳にはいかないが、定説の怪しさは依然として残っている。

白族はチベット系と云われている。以下、過去からの持論であるが、古代揚子江流域の呉越の民は、漢族に追われて東の日本列島に逃れた一派と、南の南越(ベトナム)方面に逃れた一派が存在すると考えている。その古代呉越人の習俗は本家本元よりも末端で、古俗を残すと思われる。してみれば、南越や雲南にその痕跡が見られないのか。

写真は雲南省博物館展示の前漢時代(紀元前206-紀元8年)執傘男銅俑である。これは古代の滇(てん)人で髪形は長髪であり頭上で丸く結わえられている。これを椎髻(ついけい)と呼ぶようだ。これは魏志倭人伝の男子皆露紒と同じものと思われる。

これらを受けて、国内の博物館や資料館では弥生人の髪型を以下のように想定復元している。幾つかを紹介する。

これは、出雲弥生の森博物館展示の男王想定復元像である。なぜか長髪で鶏冠状の頭である。想定復元を企画した学芸員氏?は、男王=シャーマンとの意図であったろうか。

次は、鳥取・青谷上寺地遺跡資料館が展示する弥生人の想定復元図である。これは長髪で雲南省博物館の銅俑と同じ髪形である。

縷々記載したが現在までに分かったことは以上である。

鳥装の羽人は本当にシャーマンなのか・・・との疑問は、雲南から北タイに蟠踞した古代人の髪型や風俗の中に見出される可能性が考えられる。今後も折に触れ追及してみたい。

<了>

 


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