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鳥が載る家形埴輪で考えたこと・(中編)

2019-11-27 07:32:48 | 古代と中世

<続き>

冗長なイントロが続いて申し訳ないが、『鳥が載る家形埴輪』の本題に入る前に、家の棟に載る鳥について見ていくことにする。

鳥越憲三郎氏は、先のアカ族の『ロコーン(ムラの門)』の笠木に置く鳥の肖形は、天から家族を守護するために降臨する神の乗り物で、その鳥は鵲(カササギ)であると云う。結界を監視する鳥だとする見方と意味合いがやや異なり、鳥は降臨する神の乗り物と記されている。

氏は、中国雲南省深南部少数民族村である佤(わ)族や布朗(プーラン)族の村には、鳥の肖形物が屋根に載っていると、氏の著書に写真入りで紹介されている。その鳥の役目はアカ族のそれと同様に、天から家族を守護するために降臨する神の乗り物と、佤族や布朗族の人々から説明を受けたと云う。

残念ながら、筆者はこの屋根に載る少数民族の鳥の肖形は、未だに目にしていないが、タイ族の寺院でみるチョーファーと呼ぶ鳥の棟飾りとの関連に注目している。

北タイの仏堂に在る切妻頂部、日本でいうところの鴟尾(しび)に相当するものをチョーファーと呼んでいる。このチョーファーとは神話上の聖なる鳥(ハムサ:ハンサとも云いタイでホン、ミャンマーでヒンタと呼ぶ)の頭部をデザイン化したものである。タイでは魔除け、更には神聖なものとされているが、未だ踏み込んだ論説を見聞していない。しかし乍ら魔除けの意味もありそうなので、邪悪なものの侵入を監視する意味では、アカ族のロコーンと通じるものがありそうである。

ここでチョーファーについて考えてみたい。それは先に記したように聖なる鳥ハムサをデザインしたものであると云う。ハムサとはブラフマー神の乗りものに他ならない。してみると鳥越憲三郎氏が記す、天から降りて来る神の乗り物と同じではないか。

 

                       (チェンマイ ワット・ジェットヨートのチョーファー)

このチョーファーについては、鳥の本来の姿からモディファイというか抽象化されている。ハムサ本来の姿で鴟尾のように配置されている寺院が存在する。それは北タイのプレーに在るワット・ルワンのそれである。

 

このハムサは、鳥越憲三郎氏が現認された、中国雲南省深南部少数民族村である、佤(わ)族や布朗(プーラン)族の村の屋根にのる鳥の肖形と同じである・・・と考えて大きな違いはなかろうと思われる。

噺が飛びまくって恐縮ではあるが、列島・弥生期の建物にも鳥の肖形が止まっていた形跡がある。吉野ヶ里遺跡の北内郭に祭殿と呼ぶ大きな建物が、想定復元されている。

 

 

この鳥の肖形は考古学的な裏付けがあるのかないのか? 判然としないが、全くの出鱈目ともおもわれない。ハッキリしているのは、やや時代が下るが、奈良・佐味田宝塚古墳(古墳時代前期)出土の家屋文鏡の鳥であろう。

 

これらの鳥の役目がハッキリしない。エイリアンの侵入を監視しているように見えるが、それは結界(鳥居)に載る鳥肖形の役目である。建物の屋根に載るのは神の使いで神羅万象を司るのであろうか・・・これは、想像以外のなにものでもない。

ここで弥生期の出土遺物である鳥の肖形と、吉野ケ里の想定復元である祭殿の鳥と、数十年前の雲南省の事例や現在のタイで見るチョーファーを論じており、一見時間軸を無視した噺であるが、それらは古代の伝承を引き継いでいると考えることによる。

それでは佤(わ)族や布朗(プーラン)族の村の屋根にのる鳥やタイ族のチョーファー、さらには古代日本の事例の源流は何処にあるのか? 残念ながら西の方・インドについては知識を持ち合わせていない。先にも記したが中国深南部や東南アジア奥地の少数民族、倭族本貫の地は長江流域から南であろう。してみれば、その源流は中国に求めることが妥当かと思われる。

2006年4月ー5月にかけて、京都・細見美術館にて『中国古代の暮らしと夢』展が開催された。そこに後漢(25年ー220年)の緑彩陶である水榭(すいしゃ)が展示されていた。水榭とは池中の望楼である。出品図録の表紙に、その写真が掲載されているので下に掲げておく。

 

図録の説明によると、望楼の最上層の屋根に鳥が載る。その鳥は『瑞鳥』『神鳥』と呼ぶと記されている。瑞鳥とは、目出度いことが起きる前兆とされる鳥である。異論を挟むつもりはないが、望楼に載る鳥は見通しのよい高い位置、しかも最上層の屋根である。異端の者どもが侵入しないように、監視をしているであろうと考えられなくもない。

しかし、もっと前の時代である前漢や秦の時代にも、屋根に載る鳥は存在したかと思われる。ある論文に中国・戦国時代の青銅の家形肖形には屋根の上に鳥が載っていると云う。その論文の執筆者である同志社女子大学准教授・張莉氏によると、『蜀王本記』逸文や『太平寰宇記(たいへいかんうき)』記述内容を総合して、鵑(けん・ホトトギス)は、あの世よとこの世を行き交う鳥で、亡くなった人間の魂を運ぶとしている。准教授は河姆渡遺跡(前5000-前3000年)から象牙に、双鳥が太陽を抱きかかえた図が彫られ、更には木彫の鳥が出土しているのは、河姆渡人の鳥崇拝を表している・・・と記しておられる。

 

(出典:浙江省博物館HP 新石器時代河姆渡文化双鳥朝陽紋牙雕)

また、河姆渡・呉越における鳥信仰は最初、イヌワシに象徴される寧猛な神であったが、やがて鳳の概念が生じ、台風・竜巻などの祟る神となり、後には天帝の使いの意味を持ち神羅万象を司るようになったとも記されている。

古代中国以外にも屋根に載る鳥は、東南アジアでも確認することができる。北ベトナム・ドンソン文化の特徴である銅鼓の屋根に載る鳥がそれである。それは、コーロアⅠ式銅鼓と呼び紀元前1世紀ー紀元1世紀に比定されている。

 以上、見てきたように屋根に載る鳥の源流は、解釈に若干の違いはありそうだが、古代中国に求めることができそうである。

ここで屋根の棟に載る鳥の意味合いについてレビューしておく。

①  佤(わ)族や布朗(プーラン)族のそれは、天から家族を守護するために降臨する神の乗り物である

②  タイの寺院でみるチョーファーは、魔除け更には神聖なものとされている

③  後漢の水榭と呼ぶ望楼に載る鳥は、『瑞鳥』『神鳥』と呼ばれているそうだが、異端者侵入の監視をしているように見える

④  あの世よとこの世を行き交う鳥で、亡くなった人間の魂を運ぶ

⑤  天帝の使いの意味を持ち神羅万象を司る

以上のように、屋根の棟に載る鳥について、様々な解釈があることが分かる。

古墳時代前期やそれを遡る時代の屋根に載る鳥について検討してきた。それと『鳥が載る家形埴輪』との関係である。関係があるのか、無いのか?・・・次回、検討してみたい。

注:論文① 『古代中国・日本の鳥占の古俗と漢字』同志社大学准教授 張莉

 

<続く>

 

 


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