以下、北タイと日本の習俗があまりに類似している点が多いことから、それなりに種々調査して分かったことを紹介したい。
北タイも日本も、古来の樹木信仰から土地神へ信仰形態が変化したと岩田慶治氏は説く。以下、岩田慶治氏の著書『日本文化のふるさと』と『カミの誕生』を主体に、鳥越憲三郎氏と寺沢薫氏、関裕二氏の著書も援用しながら噺をすすめる。岩田慶治氏の著書は氏が、戦後間もない1957-1958年(今から60年強以前)に、「稲作民族文化総合調査団」の一員として、北タイやラオス北部の調査結果により著述されたものであり、今日目に出来ないものも含まれている。以下、縷々記すにあたり今日でも目にすることができる写真を用いることに努めた。以下、岩田慶治氏の両書から紹介する。やや長文であるがお許し願いたい。尚、文中()内は当該ブロガーにより書き込んだものである。
“我国には森や木を聖なるものと考える観念が残っている。こんもりと茂った樹林には、一種独特の静けさが籠っている。それを神々しいと表現する。そして、大樹を御神体と考えたり、クス、カシ、ムク、スギなどの目だった木にカミが降臨すると考える。
(写真は、出雲大社の東数百メートルの処に鎮座する命主社の御神木で、樹齢1000年といわれる椋(ムク)木である)
(奈良・大神神社の御神木で巳の神杉である。大岩と共に大木にはカミが宿ると考えられてきた)
タイ族、ラオ族は、巨木(聖木)に宿るカミをピーマイニャイ(大きな樹の精霊)と呼び、折々に供物をそなえて祈る。
(ラフ族①村の聖木を写した写真を模写したもので、右端の鬼の眼(ターレオ)②が貼りついているのが聖木である)
森の中のとくにこんもりと茂った樹叢には、ピーパー(ผีป่า・森の精霊)が宿ると云い、ときとしてそこに小祠を見ることがある。
(当該ブロガーは森の祠は見た記憶がないが、街中の大木の根元の小祠は何度も見ている。写真はニマンへーミン通りの小路の大木の下に鎮座する小祠である)
樹木に宿るカミという思想、いわゆる高木のカミ観念から、さまざまな信仰形態と、その施設が派生してくる。日本では伊勢神宮本殿の真下に心の御柱が立てられているが、これはカミの依代である。
タイ族、ラオ族の屋敷や村には、ときとしてその一隅にラックバーン(ลัคบ้าน)と称する木柱が立てられており、これが家や村の土地を守るカミの依代になっている。
(写真はチェンマイ県チェンダオに在るパローン族のラックバーンである)
タイ族では、民家建築にさいして最初に立てる柱をサオエーク(初めての柱・เสาเอก)と云う。これはその家の守護神の宿るところで、毎月一日、十五日には家族がこの柱に花を供えるということであった(タイ・クーン族にも似たような伝統が今でも生きており、家屋の精霊であるテーワダー・ファンは、世帯主の寝室に宿ると云われている。その寝室は建屋の東側に位置し、そこには特定の2つの柱がある。それは『サオ・パヤー(男の柱)』、『サオ・ナーン(女の柱)』と呼ばれ、家屋の建築時、他の柱に先んじて建てる柱だという)。伊勢神宮の心の御柱ときわめて類似している。
柱にカミが降臨するという考え方、あるいはカミは少しでも高いところ、空から見おろして目につきやすいところに降下するという考え方が、理解できるとすればタイ族、ラオ族などがカミに供物や初穂を奉げるさいに、それらを竹竿に結びつけて高々と空にかざす習俗は納得できる。
この柱に依りついたカミが、悪霊の侵入から家と家族を守ってくれる趣旨である。森、木、柱はカミの依代となりうるものであり、降臨したカミがここに宿ってその地、その地域を守護するという思想を理解することができる。
ところが、森に降臨し木に依りつくカミは、時代がくだるにつれて人間社会の統制下におかれるようになり、木の根元に建てられた小祠におさまり、あるいは村に近い水田の中に残された樹叢のなかの小祠(残念ながらこの小祠は未見である)に宿ることになった。
カミを小祠に祀り、それに供物をそなえることによって、村人が災難を免れ、村の繁栄をきたしたという筋である。このころから、山や森の荒ぶるカミが村をめぐる土地と村人との守護神に転化したのである。北タイでホーピー(精霊の家・หอผี)と呼ばれている小祠は、まさしく日本の屋敷神であり、村社(ホーピーバーン・หอผีบ้าน)である。
(写真はチェンライ県ノーン・ルー村の村社とホーピームアン(郷社)である。樹叢の中のホーピーは未見であるので、岩田慶治氏の著書より転載した)
(写真はホーピーバーンを一回り大きくした郷社(ホーピームアン)とも呼ぶべき精霊の社である。場所はチェンマイ旧市街北東角の濠の内側にある。これは一般的にサオ・インターキン(チェンマイの基柱)の守護精霊祠と云われているが、郷社(ホーピームアン)に他ならない)
このようにして樹木信仰から土地神への移行が行われたことになる。村社に宿るカミを村人はピーバーン、すなわち村のカミと呼び、あるいはピープーヤー(ผีปู่ยาย)、すなわち祖先のカミとも呼んでいる。前者は村の地域を守る土地神であり、後者は村人すべてを守る祖先神である。
この北タイの習俗を我が日本と比較してみる。折口信夫氏は稲のカミは祖先のカミと断じている(詳細略)。また柳田国男氏も田のカミ(稲のカミ)が山のカミ③(祖先のカミ)であることを説いた。人の霊は死後山に行き、やがてそこで先祖のカミ、すなわち氏神になるが、この氏神がときを定めて里にくだり稲作を守る田のカミになるということ、田のカミと山のカミは同じカミの二つの姿であり、これが我国の古い信仰だったと云う。
(以下、山ノカミを御覧頂きたい。写真は滋賀県東近江市蒲生の山ノカミである。陰(向かって左)と陽(向かって右)が明確に表されている)
(蒲生の山のカミの依代を見てビックリした。アカ族の門の柱元にある男女交合像というか祖先像と同じように、陽部と陰部をみることができるではないか)
(ついでに我が地元の山ノカミも紹介しておく。旧出雲国大草郷(さくさのさと:現・松江市佐草町)西側の旧街道沿いにあった山ノ神が、明治の頃八重垣神社境内に遷され末社として祀られている。社殿に向かって左側に男根柱が立つ。当地では『山の神さん』として親しまれ、夫婦和合と山・農耕の守護神と八重垣神社公式HPは記しており、故・柳田国男氏の云う山ノカミに他ならない)
(枝葉末節の話を続けて恐縮である。過日、明日香村の飛鳥坐神社で陰陽石を見た。『むすひの神石』とあるが、男根石と女陰石である。更に我が出雲の山ノ神も紹介しておく。これらも山ノカミに他ならない)
(飛鳥坐神社の山ノカミ)
(出雲・長浜神社の山ノカミ:向かって左が男根石、右が女陰石)
注目すべきは、氏神が産土神(うぶすながみ)④と同一視されていることである。村落社会の統合が血縁から地縁に移行し、同族村地域共同体に変化してゆく過程において一族、一門のカミである氏神が、土地のカミである産土神に変容していったと解釈される。つまり、日本のカミは同時に祖先のカミであり、稲のカミであり、また土地のカミでありうる性質を備えていることである。ここに日本古代と北タイのカミ概念に類似性が認められる。
タイ族の村々にある小さな祠堂、つまり村祠のなかには、なに一つないのが通常のようである(この村祠いわゆるホーピーバーンを見た事がないので、実態がよくわからないのだが・・・)。しかし、大木の根元の祠などには、二柱の祖先像が置かれている場合もある。
(先に示したニマンへ-ミン通り小路に在る、大木の下の祠にはศาลตา(サンタ―)、ศาลยาย(サンヤーイ)と呼ぶ祖先像をみることができる)
しかし、この場合にもカミは、ここに常住しているのではない。祭りの際に去来する。日本の神社の場合も同様で、たとえ鏡が御神体として祀られていようとも、祭りには村人がそろってカミを迎え、また、そのカミを送ってゆく。カミは祠堂に常住することがない。この点において北タイのカミ観念には、日本と共通した性格が認められる。そこには一貫して『カミの容れもの』だけがあるのである(つまりカミは常在せず、祭りの時に降下してもらい、祭りが終われば天に還る存在と云う意味であろう)。東南アジアと日本においては、草木みな物言う原始のカミガミから、祖先神、土地神、稲の神が分化生成し、やがてこの三神が合体して民族のカミとなり、さらにその上に仏教が受容されることになった。この歩み、このカミ進化の道程は、一方においては照葉樹林文化から稲作文化への推移、山地の焼畑移動生活から平野の水田稲作生活への民族生活の展開と大筋において対応するものである。“・・・以上、岩田慶治氏の説を記した。
当該ブロガーにとっては、やや難解であったが、カミの誕生と信仰形態について北タイと日本古来のそれに類似性が認められる話であった。
注釈:
- ラフ族:雲南では拉祜族と記す。古代羌族がチベット方面から南下したとの説があるが、詳細不詳である。中国雲南に多く、タイ北部には10万人強が居住する。尚、www.chaocnx.com/ のchao連載記事の『タイの山岳民族』に詳細が紹介されている。
- 鬼の眼(ターレオ):岩田慶治氏は稲作儀礼に田圃の一画に設けられる鬼の眼(ターレオ)を紹介しておられる。今日北タイで田圃のターレオを目にすることの可否をしらないが、チェンマイ民俗学博物館で見ることができる。
- 山ノカミ:春になると山ノカミが、山から降りてきて田ノカミとなり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山ノカミと田ノカミという2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰がある。
- 産土神:各個人の生まれた土地の守護神を指す。地縁による信仰意識に基づき成立したとされる。
参考文献
- 日本文化のふるさと 岩田慶治著
- カミの誕生・原始宗教 岩田慶治著
- 古代中国と倭族 鳥越憲三郎著
- 王権誕生 寺沢薫著
- 呪いと祟りの日本古代史 関裕二著
- タイ系諸族の「クニの柱」祭祀をめぐって 森幹男氏論文
- 北タイ日本語情報誌 CHAO368号
<次回・後編に続く>
カレン族村の鬼の眼は未見ですが、ニュースの1枚目写真の中央やや左寄りの眼鏡人物の後ろに写る、竹の枌で編んだ風車の羽状(3枚羽)のモノ。2枚目写真の右端の風車(これは6枚羽)がカレン族の鬼の眼と思われます。チェンマイもコロナ罹患者が発生しているとのこと、ご自愛ください。
https://www.chiangmainews.co.th/page/archives/1303331
カレン族の”鬼の眼”もあるのでしょうかね?