アカ族(雲南で哈尼(ハニ)族と呼ぶ)集落の入口にロッコンと呼ぶゲートが在る。これは外界と集落を区別する結界である。
そのロッコンと呼ぶ構造物の上部に笠木が横たわる。その笠木の上には鳥の肖形が鎮座し、エイリアンの侵入を監視するかのようである。また竹の枌(へぎ)を編んだターレオ(鬼の目)も見ることができる、これは招かざる者の侵入を防ぐものである。その鳥は黒い。古来中国では黒い鵲(カササギ)は吉兆と云われている。アカ族の黒い鳥は何なのか? 興味があるが主題から離れるのでここまで。
これとよく似た構造物が、邪馬台国の時代である弥生期に存在していたと思われる。
これも吉野ケ里遺跡の集落の結界であろうと思われる復元構造物(あくまでも想定復元ではあるが)で、アカ族のロッコンと同類のものである。
吉野ケ里遺跡資料館には鳥形木製品(復元)が展示され、同類のものが大阪府立弥生文化博物館にも展示されている。
この鳥形木製品は、我が出雲の弥生遺跡からも出土しており、それは全国各地の弥生遺跡からも出土している。つまり日本の限られた地域ではなく、各地の遺跡から出土することに鑑みれば、集落の入口の結界に用いられたであろうと想定される。
Wikipediaによれば、『鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である』・・・とある。
更に『鳥居の起源については諸説あり、考古学的起源についてはっきりしたことは分かっていない。単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えられる。文献に徴すれば古くは「於不葦御門(うへふかずのみかど)」(皇太神宮儀式帳)と称して、奈良時代から神社建築の門の一種としている。いずれにせよ、8世紀頃に現在の形が確立している。』
そのほか主要な説として、『天照大御神を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとする説、日本の冠木門に起源を求める説、インド仏教にみられるトーラナや中国の華表(龍柱)や鳥竿、朝鮮半島の紅箭門(こうぜんもん・ホンサルムン)、雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族の「村の門」など海外に起源を求める説などがある』・・・と記されている。
過去、金海の金首露王の陵墓を訪れたとき紅箭門を目にした。古代日本では朝鮮半島経由の文化を受容したが、この紅箭門が鳥居の原形の可能性はありそうだが、考古学的にそうだとは証明できそうにない。
多くは江戸期の建物の入口にみる冠木門は、単なる推測に過ぎないと考える。
(広島・縮景園の冠木門:グーグルストリートより)
鳥越憲三郎氏はアカ族のロッコンは鳥居の原形であると断言する。氏によればアカ族は倭族の一派だと云う。アカ族は漢族に追われて南下・西南下し、倭人は東方の列島に至ったとのことである。アカ族が倭族の一派説には肯定しがたいが、よく似た風俗を持つのは確かである。日本列島に渡海した日本人の祖先と古代のアカ族は似た風俗を共有していたかと想像できる。
その鳥越憲三郎氏の説に肥前鳥居が、日本の鳥居の原形であるロッコンの傍証として説明されている。その肥前鳥居をご覧頂きたい。これは岡山・倉敷の帰途、福山の鞆の浦に在る沼名前(ぬなくま)神社に寄って写したものである。
一般的に肥前鳥居は誰が命名したか不明。佐賀を中心とする肥前一帯の他、長崎県や福岡県の一部に存在し、江戸初期に藩主や寺から寄進建立されている。特徴のひとつとして笠木と島木が一体化し、木鼻が船底状に流線型をなしている。沼名前神社のそれは、その特徴と共に、その木鼻の上に小型の流線型の肖形が載っている。鳥越憲三郎氏は、それを鳥の形象物とする。氏の著作には以下のように記されている。
『柱の刻銘には福山城主が江戸期の寛永二年(1625)に、「大工 肥前之住人 中島弥兵衛」を呼んで寄進したもので、大工は故里の肥前国の鳥居の形式で建てたという。同種の石鳥居が福岡の筥崎八幡宮(慶長十四年(1609)建立)にある。これらを肥前鳥居と名付けるが、倭人が最初に渡来した末羅國(肥前国)の呼称をもつだけに注目される。江戸初期ごろまで肥前国を中心に、村々の木造の鳥居には鳥の形象物があったとみてよかろう』・・・との記述である。そこで筥崎宮の肥前鳥居もご覧頂きたい。
これは笠木の上に『鳥の形象物』は載っていない・・・とすれば、沼名前神社の鳥居の木鼻の上に載るのは、本当に鳥なのかとの疑問が湧く。言葉が過激で恐縮だが、これは氏の牽強付会であろう。肥前の村々の鳥居の笠木に鳥の肖形が載っていいたであろうとの記述は氏の感想に過ぎない。事実であったとすれば、後世その痕跡を残す。つまり江戸期の鳥の肖形が存在し、村々の古文献に記載があるはずだが、それについては頬かむりである。また江戸期以前には鳥の載る鳥居は存在したのか? 江戸初期に至って突然出現したのか?
鳥越憲三郎氏の説にはついていけないが、鳥居の原形はアカ族のロッコン説には賛同したいと考えている。
<了>