時間の関係で松山城の登閣は出来なかったが、直下の公園から城郭を望んだ。
関ケ原の戦功により十万石から二十万石に加増された加藤嘉明が築城に着手。其の後、築城完成前に会津に転封。蒲生氏、大洲・加藤氏と城主が変わるが、寛永十二年・松平定行が十五万石で入府し、以降幕末まで統治した。大天守は火災にあったが、幕末の1852年再建されている。現在は重要文化財に指定されているとのこと。多くの建造物が残されており、貴重な存在である。
<了>
時間の関係で松山城の登閣は出来なかったが、直下の公園から城郭を望んだ。
関ケ原の戦功により十万石から二十万石に加増された加藤嘉明が築城に着手。其の後、築城完成前に会津に転封。蒲生氏、大洲・加藤氏と城主が変わるが、寛永十二年・松平定行が十五万石で入府し、以降幕末まで統治した。大天守は火災にあったが、幕末の1852年再建されている。現在は重要文化財に指定されているとのこと。多くの建造物が残されており、貴重な存在である。
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