過日、改装なったチェンマイ国立博物館へ行った。其の時に目を惹いた展示物を紹介する。それはルア(ลัว:Lua)族に関する展示である。ランナー朝初代のメンライ王がチェンマイに建都する前に、その地にはルア族により、Wiang Jet Lineなる環濠都市国家が築かれていたという。
当該ブログでも過去に、『チェンマイのワット・ドイカム』としてルア族のことについてUP Dateしているが、先ず民族の概要をレビューしておく。ルア族はラワ(ละวัา:Lawa)族とも云い、雲南ではワ(佤)族とも呼んでいる民族で、中国南部から東南アジア北部の山岳部に分布するモン・クメール語派の少数民族である。紀元前後にミャンマーのマルタバン湾岸からサルウィン川を遡り、チベット系民族と混ざった後、その一派が3世紀頃にチェンマイ盆地(平野)に進出したと云われている。このようにルア族はチェンマイ盆地に古くから民族国家を築いた先住民族で、ランプーンにモン(MON)族がハリプンチャイ王国を造る以前にマラッカ国を築いたが、8世紀半ばのモン族の進出に因って、その勢力は衰退した。メンライ王の祖先であるラワチャンカラートはラワ(ルア)族の出自と云われている・・・以上がルア族の概要である。
改装なったチェンマイ国立博物館では、次のパネルが目を惹いた。
このパネルに従って紹介してみたい。ランナーの伝承(伝説)の一つとしてWiang Jet Lineについて言及している。ドイ・ステープ地域の先住民、それはルア族であるが、それらの人々がWiang Jet Lineと呼ぶ都市国家を形成していたとする。Wiang Jet Lineは、ドイ・ステープの東山麓に位置し、そこは2重の環濠土手に囲まれていた。それらの環濠都市は径950mの円形状である。
(写された時期は不明ながら、このような写真パネルが掲示されている。それは現在のチェンマイ大学と、チェンマイ動物園の北側にあたる。現在はどうなっているかと、グーグルアースで確認したのが下の写真である。パネルの白黒写真とほぼ同じであった。)
発見された考古学的証拠により、そこは古代からハリプンチャイ、そしてランナー王国へと継続していたことが分かる。出土物の特徴から、ハリプンチャイ前期に環濠都市が形成されていたと判断される。そこには土器時代の大きな煉瓦(25×55×15cm)が出土している。
ドイ・ステープに在るSan Ku寺院から、ハリプンチャイ時代の遺品が発見されてもいる。このWiang Jet Lineは8代サームファンケーン王(在位:1402-1441年)の時代まで継続していた。そこは外敵に対する要塞として、更にはランナー朝の離宮と位置付けられていた。(レンガは髯をたくわえる男性の顏が刻まれている。何と左右の眉毛はほぼ繋がり、亀有の両さん、MON族の造形・肖形と似ているではないか。)
北部ルア族の伝承では、ルアの人々は高山に定住していたが、やがてピン川沿いの平地に移り住んだことになっている。伝承の古代都市から現在に至るまで、それらはルア族ないしはラワ族の伝承として知られている。彼らは東南アジアの高地で用いられていたモンークメール系の言語を使った。従ってルア族は、ランナー王国のタイ族の支配下にあるネイティブのグループであった。しかし、彼らはもともと土地の所有者であり、伝承によるとその軍事力はアイファーにとっては重要であった。アイファーはメンライ王の重臣でハリプンチャイを攻略征服した。メンライ王はルア族が犬を引き連れ、チェンマイ都城に入城する先導を名誉を与えた。メンライ王はルア族が先住の土地所有者であったと認めたのである。・・・以上がパネルの紹介内容であった。
そのWiang Jet Lineからサンカンペーン陶磁の破片も出土し、それらも展示されていた。
そして古代の北タイの都市国家も表示され、チェンセーンに在ったとされるヨーノックとともに、ランプーンのハリプンチャイ、Wiang Jet Lineが描きこまれていた。
古代の都市国家はいずれも平野(盆地)の平地に築かれていたことが分かる。更には日本の古代と同じように環濠に囲まれていたのである。
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