世界の街角

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双魚文考#6

2018-03-25 09:21:35 | 北タイ陶磁

<続き>

魚文の形についても考察してみたい。サンカンペーン窯を除くタイ諸窯の魚文は魚高が高いのに対して、サンカンペーン窯のそれは概して細身の魚文で尾鰭が二股になっているのが特徴である。北タイは内陸であり、サンカンペーン窯の陶工が魚文を描くには、淡水魚をモチーフにしたものと思って間違いない。淡水魚に関する学術的知識はないが、多分に鯉科の特徴を持った魚文であると思っている。

北タイでは鯉科の魚はポピュラーであり、少なくと15種類以上の存在が確認されている。写真は北タイでパソイと呼ばれ、尾鰭が比較的大きく二股に分かれている。このパソイそのものを写したかどうかは判然としないが、その仲間であったろうと思われる。

一方龍泉窯の影響を大きく受けたであろう印花双魚文の文様は、鉄絵文様に比較し魚体に大きな違いがある。それは下顎に相当する部分が下膨れになっていることである。

図はサンカンペーン窯の印花双魚文のひとつを写しとったものである。上述のように鉄絵文との違いが明瞭である。

(パマメップ)

この魚文は北タイでパマメップと呼ぶ鯉科の魚の特徴を写したものと思われるが、いわゆる脂鰭と呼ぶ背中の鰭が大きく描かれ、文様と同一の魚と断言することはできないものの、その魚体は鰯のようであり、今日も市場でよく見かける魚である。以上、大いなる誤解も多々あると考えるが双魚文考として考察を試みた。

2010年12月2日:追記

2010年10月末日から1ヶ月間、チェンマイに滞在し、期間中に北タイ各地を訪問した。ランパーンのWat Lampang Luang訪問もその一つであった。その最後にWat Pongsanuk Nuaへ行ってみた。ここは涅槃仏があるとのことで参拝したが、非常にラッキーな場面に遭遇した。その出来事とは涅槃仏の金箔が、はげてきたので補修中であった。そのため堂内に入れなかったが、補修中の職人さんに言うと、快く堂内に入れてくれた。みると仏足を108の区画に区切り、各々の升目に仏教文様を描き込み中であった。探し求めている魚文もある。なにか嬉しさがじわっときた。

その職人に断り、彼の写真を撮らせてもらったが、じつに丁寧に説明してもらい、また文様の描きこみの腕は相当である。涅槃仏のいい尊顔とともに、忘れ得ないものとなった。

この描き込み中の仏足跡文様は、南伝形と云われ17世紀に形式化したようである。従ってサンカンペーン窯開始時期とは時間的な差があるが、チェンマイ国博の同時代仏足跡文様の流れを汲んでいる。

今回偶然にも補修中の直近で、双魚文に出会うことができた感慨とともに、ますます従来からの論考である、龍泉窯のモチーフの影響は認めるが、それは一面的な見方で、もっと多面的な見方が必要であろうと考えるに至った。それを更に補強したのが、PhayaoのWiang Bua Old Kilns Siteの訪問見学である。

下の図のような印花文が、見込み中央に押された盤片が出土展示されていた。

これは新疆ウィグル自治区出土の毘盧遮那仏画像の装飾文にみることができる。赤丸印中央の装飾文がそれである。

この中央文様は宇宙の大海を象徴する籠の形をした須弥山である。その文様が上のスケッチのように、双魚として盤を飾る文様として採用されている。このような文様は後期大乗仏教のそれにみることができる。さらに双魚文に関する資料館の展示内容は、全てが仏教、仏像の装飾文との関係で説明つけられており、そこには中国の中の字も存在しなかった。これも極端な見方であり、大学や政府関係者によるタイの独自性を示したいとのナショナリズムの現れであろうか? いずれにしても、かねてより考えていた、中国一辺倒の影響ではなく、西方や仏教の影響も大きなものがあり、これらが彼の地で混交したものと考えている。

 

                          <了>

 


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