世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

古墳文化の珠玉展#2

2019-05-13 07:30:24 | 古代出雲

<続き>

写真は古代出雲・隠岐から出土した勾玉・管玉にビーズである。それらの材料も多岐にわたっている。

当該企画展は撮影禁止なので、常設展の勾玉類の写真を掲載したが、企画展では松江の月廻(つきさこ)4号墳から出土した紫水晶の勾玉が展示されていたが、それは非常に珍しいとのことで、何やら魅惑的な勾玉であつた。

勾玉の材料は翡翠、瑪瑙、水晶、滑石、琥珀、亀甲、ガラスで作られ、土器のものもある。その形状は、動物の牙であったとする説、母親の胎内にいる胎児の形とする説などがある。また縄文時代初期の玦状耳飾りが原形との説がある。日本の縄文遺跡から出土したものが最も古いと云われている。朝鮮半島にも伝播し武寧王陵(公州市・百済25代王墓 462-523年)など韓国内の王墓からも発掘されている。これらは明らかに日本から伝来したものであるが、韓国の学会では古代朝鮮半島から日本へ伝わったとしている。

はたして朝鮮半島から玉作工房が出土したとの事実を背景にして、韓国の学会が宣っているのかどうか知識をもたないが、古代出雲では玉作工房跡が発掘されている。その復元ジオラマを掲げておく。

台与が魏へ『孔青大句珠二枚』進貢したとの記事が魏志倭人伝に記載されているが、飛躍的な解釈をすれば、台与が出雲から調達した勾玉を魏へ持ち込んだと思いたい。その当時倭国は勾玉をステータスとし、東アジア圏では名が通っていたのではないか?

勾玉が出土するのは、日本と朝鮮半島からである。日本から出土する勾玉は量質共に優れているが、司馬遼太郎氏はその著作で”日本の古墳からの出土品は勾玉を含めてエキゾチックな感じがする。これらは結局、朝鮮からきた砂鉄業者が持ってきた文化ではなかったか?”・・・と記しておられる。これは的外れであろう。

 

<続く>

 

 


古墳文化の珠玉展#1

2019-05-12 07:46:45 | 古代出雲

過日、県立古代出雲歴史博物館で開催の『古墳文化の珠玉展』に出掛けてみた。その展示は写真撮影禁止であり残念至極なるも、常設展は撮影可であり、勾玉や管玉の展示もされているのでその写真を援用して、展示の一端を紹介したい。

 

弥生期の勾玉・管玉・ビーズ類を見ると、何とカラフルであろうか。古墳時代後期の馬上の首長像(このようであったろうとの復元像)を見ると、後世の白黒のモノトーン世界は何であったのか・・・との想いがよぎる。それほどに輝いてみえる。

 勾玉やビーズの首飾りは鮮やかで、王冠や馬具は黄金である。

 

<続く>

 


満開になった鈴蘭

2019-05-10 09:39:41 | 日記

鈴蘭と云えば北海道か?

我が家の前庭に10年程前に3-4株の鈴蘭を植えたが、株が増えるのは速いもので今日100株を超えた。その鈴蘭が満開となった。

余りにも増えすぎては困るので、御裾分けをさせてもらった。それにしても鈴蘭の花は長持ちするようだ。

 

<了>

 


古代出雲『青銅器と勾玉』の聖地巡礼#6

2019-05-09 08:50:13 | 古代出雲

<続き>

〇神原神社古墳

加茂岩倉遺跡の南方3kmほどであろうか、斐伊川の支流沿いに神原神社古墳がある。

この古墳からは、卑弥呼が魏から下賜された銅鏡100枚のうちの1枚と云われる景初三年銘の三角縁神獣鏡が出土した。

それなりの勢力を誇る首長が埋葬されたものと考えられる。卑弥呼は古代出雲の勢力を無視できなかったであろう。

 

<連載一時中断>

 

 


古代出雲『青銅器と勾玉』の聖地巡礼#5

2019-05-08 06:39:54 | 古代出雲

<続き>

〇加茂岩倉遺跡ガイダンス

銅鐸39個が一括出土した。一箇所の出土例としては日本最大である。その様子が出土地点にジオラマ展示されている。

ガイダンス棟は入館料・無料で幾つかの銅鐸が展示されている。ただし複製品で、実物は古代出雲歴史博物館に一括展示されている。いずれの銅鐸も国宝に指定されている。

 

<続く>