世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

古代出雲『青銅器と勾玉』の聖地巡礼#4

2019-05-07 07:48:34 | 古代出雲

<続き>

〇出雲・弥生の森博物館

博物館は出雲市大津町西谷で四隅突出墳丘墓の麓に在る。この四隅突出墳丘墓は、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。

西谷3号墳は方形部は東西40メートル×南北30メートル、高さ4.5メートル、突出部の付け根の幅7~8メートル、長さ6~7メートルの幅広大形であり、この突出部上面が墳頂への墓道と考えられている。つまり卑弥呼の時代に大きな墳丘墓が築かれ、大きな権力が存在していたことを思い出させる。墳丘頂部には4つの柱穴が存在していた。博物館内部にはそのジオラマが展示されている。

何かの祭祀が行われていたか? それとも北タイのラック・ムアン(クニの祖柱)と同様な意味をもつのであろうか?

(島根大学考古学資料室蔵品)

これらは、上の写真で示した西谷3号墳から出土した勾玉である。魏志倭人伝(南宋・紹熙本)によれば、次の一文がある。

壹(臺)与遣倭大夫率善中郎将掖邪狗等二十人送政等還因臺献上男女生口三十人貢白珠五千孔青大句珠二枚異文雑錦二十匹・・・とある。ここで孔青大句珠二枚をどうとらえるか?これを翡翠と推測するか、それとも上の青色の勾玉と捉えるか? 当時も翡翠の緑を青と呼んだであろうか? ここは写真の青色の勾玉二枚と考えたい。弥生の勾玉と云えば出雲の玉作工房である。噺は飛躍するが、台与(とよ:壹(臺)与)は孔青大句珠二枚を古代出雲から調達したのであろうか。

空想を掻き立てる展示物が並んでいる。一度訪れられてはどうであろうか。

 

<続く>


山口のタイスキ・MK

2019-05-06 07:50:15 | グルメ

昨日、山口で規模の大きい骨董市・フリマが開催されるとのことで、遠路180kmだが出かけてみた。随分前だが山口・湯田温泉にMKが在ることは分っていたが、今回そこで食事することにした。

古い話で恐縮であるが、1995年チェンマイに赴任した時、ハイウエー脇のワット・ジェットヨートの隣にあるタイスキ・Cocaに何かと行ったものである。MKも行ったがCocaより頻度は少なかった。その山口店である。フランチャイズか直接資本か知らないが、懐かしさもある。

う~ん。懐かしいMKのロゴ。仮名とカタカナは不要かと、代りにタイ字でもどうかと?・・・客は来ないか?

食べ放題をオーダー、但し制限時間は1時間。最後には”おじや”にした。

食する前だが、パクチ入りのオリジナル以外に、写真のタレがあった、日本人好みにアレンジされているようだ。チェンマイでは、キッコ―マーン(醤油)にマナオーを絞ってポン酢タレを作っていたことを思い出し懐かしい。

オリジナル出汁が左で豆乳出汁が右側であるが、双方共に味は良かった。正調タイスキとは多少変化しているが、これはこれで日本人好みになっている。本場の味は本場へ行けということであろう。

 

<了>

 


古代出雲『青銅器と勾玉』の聖地巡礼#3

2019-05-04 07:35:42 | 古代出雲

<続き>

〇荒神谷博物館&荒神谷遺跡

1984年荒神谷遺跡から弥生時代の中細型銅剣358本、翌年の1985年銅矛16本・銅鐸6個が出土。1箇所でこれだけまとまった青銅器が出土したのは最初で最後と思われる。魏志倭人伝の投馬国か?

 

荒神谷遺跡出土の青銅器は大半が、古代出雲歴史博物館に展示されているが、数点はここ荒神谷博物館にも展示されている。

屋外発掘現場には出土状態が復元展示されている。見ると膨大な数なので圧巻である。

列ごとに異なる本数の埋納、埋納時の並べ方に何か意味はあるのか?・・・納得いく見解は未だ耳にしていない。

 

<続く>

 

 


古代出雲『青銅器と勾玉』の聖地巡礼#2

2019-05-03 07:19:58 | 古代出雲

<続き>

先ず『古代出雲の四大スポット』と銘打つ、遺跡・展示施設より紹介する。初回は県立古代出雲歴史博物館。

駐車場は無料。出雲大社参拝の際に是非立寄られることをお薦めする。

荒神谷遺跡出土の銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6個と加茂岩倉遺跡出土の銅鐸39個のまとまった展示は圧巻以外のなにものでもない。

更に神原神社古墳出土の景初三年銘の三角縁神獣鏡も展示されている。卑弥呼が魏より銅鏡100枚を賜ったうちの1枚か?

いずれにしても北九州や畿内を上回る青銅器の出土である。魏志倭人伝の投馬国の所在地であったか?

現在、『古墳文化の珠玉』展を開催中。それについては別途紹介する予定である。

 

<続く>

 


鳥取砂丘と砂の美術館

2019-05-02 06:13:21 | 因伯二州

令和元年五月一日、鳥取砂丘の砂の美術館へ行って来た。今回の砂像のテーマは『南アジア編』、展示されている像については追って紹介するとして、人出と渋滞にはウンザリした。孫が馬の背に登るという、斜度がきついので遠慮。

馬の背も砂の美術館内もひと人で、ゆっくり見物すること能わず。天候は優れないのに人出は多い・・・1億総?の一員でした。

 

<了>