世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

予祝・ブログ開始3000日記念

2022-12-11 08:23:44 | 日記

明日でブログ掲載開始3000日となる。何をやっても長続きしない当該ブロガーにとっては、驚き以外の何物でもない。当初は趣味の”北タイ陶磁”の何某かをupdateすれば・・・と思って開始したが、自分でも呆れるほどレパートリーが増えて今日に至っている。

そこで、3000日を自分なりに記念して『埴輪と装飾古墳で考えた』とのテーマで4回シリーズの記事を掲載することにした。埴輪や古墳に興味をお持ちの方にご覧願えれば幸いである。

第1回:刺青『胸形』から想いを馳せる

魏志倭人伝が記す倭人は、鯨面文身する・・・と記述する。即ち顔と体に刺青をしていると。福岡県八女市岩戸山歴史文化交流館には、立山山古墳出土の埴輪を展示している。貴人の胸には刺青があり、その文様は向かい鱗文すなわち『胸形』である。

(鞍に乗った貴人 立山山古墳出土)

この『向かい鱗文』は熊本県の装飾古墳であるチブサン古墳の壁画にも見ることが出来る。

チブサン古墳壁画 中央やや右に赤と黒の向かい鱗文をみる

無関係にみえる埴輪の文様と、装飾古墳の文様には関連があったのである。第1回は、そのようなことどもに想いを馳せた。

第2回:お化けの三角頭巾

お化けが被る白の三角頭巾を天冠(てんかん・てんがん)と云う。その起源を調べた訳ではないが、どうやら古墳時代に遡のぼれそうだ。

大阪府高井田第3支群5号横穴墓 線刻壁画 3名の線刻人物に三角頭巾をみる

酒巻14号墳出土埴輪

東南アジアの風俗にも、三角頭巾を見ることができる。過去ベトナムはハノイに半年滞在していたことがある。路線バスに乗っていると渋滞でノロノロとなった。見ると葬送場面で親族は額に白の三角頭巾を被っていた。これらの事どもについて考えた。

第3回:魂を運ぶ馬

馬形埴輪は、被葬者が生前に騎乗していた馬を象って、被葬者が埋葬された墓に並べたとの見方も可能であるが、それだけかとも想われる。その馬も装飾古墳に描かれている。

埼玉県熊谷市上中条出土 馬形埴輪

福岡県王塚古墳の装飾壁画

特に装飾古墳に描かれたゴンドラ状の船に載る馬をみていると、被葬者の魂を来世に運ぶ様を描いたかと思われる。来世観を含めそれらのことについて考えてみた。

第4回:来世・冥界への旅立ち

古墳を飾る肖形として船形埴輪がある。長原高廻り2号墳(4世紀後半)の船形埴輪が名高い。

大阪歴史館展示

一方、装飾古墳にも多くの船が描かれている。船形埴輪は本人ないしその祖が船に乗って渡り来たったことを示すものとも思われるが、やはり被葬者の魂を来世(常世やニライカナイ)へ運ぶものと理解したい。それは装飾古墳壁画の題材になっていることからも理解できるであろう。

写真は福岡県の五郎山古墳に描かれた棺を載せる舟である。この棺を載せる舟が奈良県から出土した。それらのことを感想を交えながら記してみたい。

・・・以上のテーマで4回にわたって記したいと考えている。尚、現在中断しているが、『鳥取県埋蔵文化財センター』シリーズを終了後掲載したいと考えている。

<了>


何でもありの北タイだが・・・

2022-12-09 08:22:39 | チェンマイ

今回の本題は下の記事であるが、ChiangmaiNewsをみていると、先の11月に開催された”ローイクラトゥン2022(チェンマイイーペン2022)”の動画が掲載されていたので、よろしければご覧願いたい。今から2月末までが、北タイのベストシーズンである。

BEST Loy Krathong PARADE 2022 | Full Tour Chiang Mai Thailand | INSANE Festival & Celebration - YouTube

何でもありの北タイだが・・・。過日のChiangmaiNewsを見ていると、なんじゃこら~。北タイは何でもありとは云へ、チョットひどすぎると云うより、交通事故が心配になる記事である。

おいおい。だれがこのように中央線と側線がズレるようにライン引きを指示したのか? 危なくてしようがない。

このような光景は日常茶飯事のようだ。場所は、チェンマイの北隣でメーリム郡サンポン地区のムー7とか、避暑地というか観光地のモンチェムへ行く途中とのこと。

メーリム郡役所の役人は分かっているのか、いないのか、いずれにしても早急に手を打つべきだが、そう思うのは我々日本人の意識で、コンムアン(北タイ人)は、気にもかけていないのか?『不思議の国北タイ』の一コマである。

<了>


鳥取県埋蔵文化財センター(3)

2022-12-08 08:43:05 | 博物館・鳥取県

<続き>

今回は、縄文時代の出土遺物を紹介する。大山山麓は旧石器時代に続き、縄文時代にも人々が暮らした遺跡が知られているようだ。

縄文時代に写真のような、現代でも使えそうな網籠が既に出現していた。

写真は、縄文時代後期(約3000年前)の竪穴式住居跡(大山町・殿河内上ノ段大ブケ遺跡)である。床面中央には石囲炉(いしかこいろ)が設けられている。弥生時代から古墳時代にかけて連綿とつづく、住居の基本形がすでにできていたことになる。

(縄文時代草創期)

(上掲2葉は縄文時代前期遺物但し右は縄文時代後期)

以下、縄文時代後期から晩期にかけての出土品である。すでに弥生時代にも見ることができる品々が出現していたことになる。

杓子が出土すると云うことは、縄文時代後期には穀物を煮炊きすることが始まっていたであろう。

西日本の縄文人も東や北日本の縄文人ほどではないが、いわゆる縄文様式の文様を刻んでいた。

以上で縄文時代の展示品紹介を終え、次回は弥生時代の出土遺物を紹介する。

<続く>


鳥取県埋蔵文化財センター(2)

2022-12-07 07:42:40 | 博物館・鳥取県

<続き>

今回は、前回と時代が前後するが、旧石器時代の展示品を紹介する。

上掲4葉の写真は全て大山北麓旧石器時代遺跡出土品

大山北麓の下甲退休原(しもきたいきゅうばら)第1遺跡、豊成叶林(とよしげかのうばやし)遺跡、名和小谷遺跡等幾つかの旧石器時代遺跡が存在したようである。旧石器時代といえば、大山は盛んに噴火活動をしていた。我々の祖先は厳しい自然環境の中を生き抜いてきたのである。

<続く>


鳥取県埋蔵文化財センター(1)

2022-12-05 08:51:44 | 博物館・鳥取県

過日、鳥取県埋蔵文化財センターを訪れたので、その展示品を数回に渡り紹介する。

第1回目は、弥生集落が発見された青谷上寺地遺跡出土品を紹介する。尚、展示品はレプリカで実物は、過去に紹介した青谷上寺地遺跡資料館で展示されている。

青谷上寺地遺跡は、上掲写真パネルの入り江に面した処で、集落が形成されていた。

上掲写真のような田舟が出土している。最初のパネル写真にあったように、低湿地地帯で腰辺りまで浸かる湿田であったと思われる。そのための田舟で、稲穂を収穫するとそれに載せて運搬していたものである。

大量の炭化米も出土している。

<続く>