夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

さんふらわあ

2022-08-25 03:19:36 | 皇大26期生向け
お盆休み前から帰省してきていた娘を送って、車で大隅半島の真ん中までドライブ・マイ・カーしてきた。片道1180km程の行程。九州一周や弾丸旅行は何度もやっている私にとって、往復2000kmオーバーなんて「屁のかっぱ」と思うが、お盆休み前に新型コロナウイルスの餌食になった私は体調の悪い日が続いていた。体力を消耗して、いろんなことに自信を喪失していた。だがしかし、娘に甘い父は下宿まで送ってやるからなと約束。妻も重なっていた大学の同窓会をキャンセルしてまでついて行くという。そうなればやはり家族旅行の体を成すようにしてやりたい。そこで、ドライバーである私の負担を減らすように組んで、旅を楽しみたい。そこで、前回の往復時に使った道路を極力使わないようにと仕組んだ。淡路島海峡大橋を経由して四国へ渡り、地図で発見した国道197号線フェリーで九州へ渡るコースを取ってみた。安い、早い!しかも佐田岬へ向かう道は風の道として、風力発電の風車が林立する国道沿いを走る。快晴の空の下、緑の中に白亜の風車の下を真っ赤なエクストレイルが走り抜ける五色染めの姿を想像してください。Porscheなら尚良かった。
国道九四フェリーの予約時間の一時間以上前に着いたので一本前の便に乗せてもらえた。

船の名前は「ゆうなぎ」。旧日本海軍の駆逐艦の名前であると同時に、宇宙戦艦ヤマトで古代守艦長がガミラスに特攻した船の名前でもある。そんな思いを馳せながら、70分の航海。九州に上陸して東九州自動車道をひた走る。だが、新しく完成した道が多く、ナビに載っていないから、道標がほとんど見えない私には、分岐点でどちらへ走るのか分からない!妻は地図が読めずナビも触れず、ナビゲータとしての役目も果たせない。困ったものだ。五回くらい間違えてインターチェンジを出入りした。
何やかんやで、予定より1時間ほど早く下宿先に着いた。途中、とても美味しい海鮮丼を食べながら。
下宿の中がカビ臭く、妻は掃除魔の本領発揮。滞在中ずっと掃除と買い物に明け暮れた。母の奮闘をよそに、ベッドでゴロ寝する娘。先が思いやられる。
あっという間に4日間が過ぎ、隣町の志布志港からフェリーで帰る日が来た。午前中から始まった剣道部の強化練習に送り出し、その間に最後の洗濯をする妻。母親としてやれることは全てやった。昼休憩に娘が戻ってきた。昼食を摂り、午後の練習まで身体を休めていた娘が携帯の連絡で飛び起きる。部員の数名がコロナにかかっており、練習が中止に。残念がりながらベッドに潜る娘。これでは痩せられない。しかし、親は帰らねばならない。
出発。志布志港へ。約40分で到着。久しぶりのさんふらわあだ。分かってはいたが、デカい!


学生の頃の春合宿はいつもさんふらわあだった。前は気づかなかったが、このさんふらわあにも名前があった。「きりしま」である。

旧日本海軍の戦艦だが、それ以上に、宇宙戦艦ヤマトで沖田十三提督の座乗艦であり、山南修艦長の船、地球連合艦隊旗艦の名である。往路は古代守で復路は沖田十三と山南修。何という巡り合わせだろう!ヤマトファンにはたまらん!







さんふらわあに乗ると、思い出すのはワンゲルの春合宿ばかり。初めて平川先輩に誘われて一緒に甲板で見上げた瀬戸大橋。部員みんなと雑魚寝しただだっ広い三等船室、実家の引っ越しのために一日早く帰ることになり、同じく早帰りの美人女子部員・伊東さんと2人きりで乗って、三等船室に並んで寝た時は、流石にドキドキして眠れなかった。いろいろな思い出が溢れてきた。今回の船は新造船ということでとてもきれいだった。バイキングはコスパも味も最高です。良い旅になりました。
大阪南港から京都に入るまでが渋滞して大変でしたが、無事に名古屋までたどり着けました。次は新幹線とレンタカーで行ってみようかな?何より開聞岳とひまわり畑の景色が観たいから、次の夏も行かなきゃ!













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