長かった。ここまで至るのに6年間。次男が中学剣道部の創設メンバーになって以来、6年間。毎年この日は休暇を取って、仕事を入れずに試合観戦に没頭する父。同世代に「剣道で飯を食えそうなやつ」が、そう何人もいる学年ではなかった次男坊。メンバーに恵まれていたにもかかわらず、何故かチームでは県大会への切符を手に入れることなく終わった3年間。くじ運も悪く、初戦で強い学校にあたってきた次男坊。まぁ、いずれ倒さねばならない相手だから、と果敢に向かって行くも、初戦敗退。そんなことが続いた3年間。彼も不完全燃焼だったからだろうか、高校でも迷わず剣道部に入った。その後の3年間は活躍することはなかったが、楽しい部活動だったようだ。何だかんだと3年間試合にも使っていただけたから、彼にしてみれば楽しむことができたということだろう。
娘は次男坊と入れ替わりで剣道部に入部。小学校で散々強い男子たちに揉まれて、とても強くなった。そこらの男子には簡単に負けないようになった。パワーが付いたのだ。だが、中学からは男女分かれて試合をするようになる。女子だけなら何とかなるかも!?と淡い期待を抱いての各種試合への出場。1年生ながら、副将を務め、色々な大会を切り抜ける。だがしかし、中学の名体連(名古屋市立小中学校体育連盟剣道部)の先生方に「あの1年生は誰だ?」とすぐ素性調査をされ、剣友会の大将だったことがバレる。1年生剣士で副将なんて、こいつさえ潰せば怖くないチームだ!ということがバレバレ。それ以降、他のチームは本来の大将クラスを副将に据えて、うちの1年生を潰しにかかってきた。それでも、娘が最強の敵を食い止めることができていたので、何とか勝ち上がり、市総体で5位通過。県大会の切符を手にした初めての瞬間だった。しかし、強敵相手に勝ち星を挙げられない娘に対して出された判断は、娘を補欠に回して3年生だけで闘うことだった。切符を手に入れたのは、ある意味娘の加入のおかげだったにもかかわらず、県大会では出場の機会を剥奪されてしまった。当時娘はかなり傷ついていた。最強と謳われる2,3年生のライバルたちに勝てないまでも引き分けて、敵チームの戦力をそぎ落としたから、初心者の集団だった3年生でも勝てたのだと。剣道関係者の目から見ても、その理屈はごもっともで、県大会に娘を使わないことを「何故?どう見てもあの子がチーム1強いのに?」と不思議に思ってくれている名体連の先生方だった。でも、年功序列にした顧問の先生の気持ちも分かる。私なら、自分のチームに娘がいても、最年少なら最初から使わない。初めから年功序列を守る。県大会へ、ちょっと頑張れば手が届くと思ったのだろう。勝ちに逸った監督の気持ちはよく分かる。ここで年功序列を決めた監督は、次の年も純粋に3年生を育てて県大会へ行くことが出来た。さぁ次の年は!と言いたかったが、顧問が転勤することは分かっていた。そして、娘の代は男女1人ずつしか入部しなかった。それ故、団体戦は昨年度で終わりを告げたのだった。たくさんの団体戦があっても、試合にも出られない。練習試合さえも、よそのチームの補欠の子と合同で組まれる始末。時には男子の補欠と組む練習試合も。扱いがひどくて可哀想だった。だが、どのチームに入っても大将を務めさせてもらったことと、名体連の先生方の中でも最強を誇る先生方に眼をかけていただけたことで、娘はどんどん強くなっていった。個人戦しか出場機会はなかったものの、今年に入って名実共に3年生の代表選手とおぼしき子たちと肩を並べられるようになってきたのだ。160人規模の中学女子の部でベスト8以内に頻繁に入るようになったのだ。名古屋市選手権では3位入賞することができた。我が家では誰も達成したことのない悲願だった。
この調子で市総体も参戦できたら!しかし、練習の機会は減っていく。熱中症の事件で、剣友会の稽古や部活動の時間がかなりカットされてしまったのだ。廃部が決定している部活動には朝練もさせてもらえない。そこで、毎週月曜日の英語塾を日曜日に変えさせて、私が月曜日の市剣道連盟合同稽古会と県剣道連盟合同稽古会に連れて行くことにした。今まで長男を連れて行ったことはあったが、奴はそれ以降2度と行こうとしなかった。身体が小さかったから、大人ではないことが一目で分かってしまったからである。だが、娘は違う。デカい。対戦してくださった先生方から、「どこの大学だ!?」と声をかけられる始末。女子大生に見えたらしい。確かに私に似てガタイはデカい。しかも、常に稽古していただいている先生方も、娘を見つけると嬉しそうに「がんばっとるなぁ!お父さんにもやるように言いなさい!」と声をかけられるらしい。まぁ、お父さんはこの際置いといて・・・。稽古会の楽しさを知ってしまった娘は、臨時で変えてもらっていた塾を完全に変更して、月曜日は稽古デーにしてしまうようだ。父も頑張ります。
そして迎えた市総体当日。前日には験を担いで「かつ雅」でトンカツを食べ、エネルギー満タンで試合に臨む。勝!勝!勝ちまくる!準々決勝(6回戦)も1本先取!しかも、中学に入ってからは負け無しのライバルが相手。時間もあと数秒。一瞬、勝ちを意識したその時、相手の面打ちに反応できなかった。ギリギリで延長戦に持ち込まれ、焦る娘と死にものぐるいで畳み掛けてくるライバル。この時点で父には娘が負けることが目に見えていた。小学校の時から戦い続け、小学校では一度も勝てなかったのに、中学では圧倒的な稽古量の違いと試合出場経験数の違いで勝ち続けていた相手。娘の心に驕りがあったのだ。勝てると思っていたのだろう。確かにパワーでは負けないが、こんな時にものをいうのは「必死さ」だ。相手を倒して自分が準決勝へ進むという気持ちだ。延長戦での焦り始めた動きの中に、娘の勝ちは見えなかった。娘は準決勝で優勝候補の筆頭と戦って倒すために、稽古会に参加してきたのだ。それを目前で逃してしまったショックは大きい。ベスト8(5位)入賞なので県大会には行けるものの、追い掛けていたライバルに、また1つ差を付けられて、悔しい思いの表彰式だった。もちろん、彼女は準決勝で娘を負かした相手を手もなくひねり潰し、決勝戦で「物言い」がつくほどの鮮烈な試合をして1本勝ちの優勝である。私立の有名校へ剣道の特待生で行くという。娘にも特待の話は3校ほど来ているそうだが、剣道で飯を食うつもりのない娘には、ちゃんと受験をして、学力で勝負して、どんなチームに入っても、自分が強くしてみせるんだという気持ちが芽生えている。頑張って欲しい。
県大会まであと1週間を切った。月曜日の市総体で1日中、露橋SCにいたにもかかわらず、ほんの2時間休憩しに家まで戻り、仮眠を取った後、再び露橋SCへ。市の稽古会である。1日のほとんどを露橋SCで過ごすなんて・・・。目指せ東海大会!全国大会!!頑張れよ!!!
娘は次男坊と入れ替わりで剣道部に入部。小学校で散々強い男子たちに揉まれて、とても強くなった。そこらの男子には簡単に負けないようになった。パワーが付いたのだ。だが、中学からは男女分かれて試合をするようになる。女子だけなら何とかなるかも!?と淡い期待を抱いての各種試合への出場。1年生ながら、副将を務め、色々な大会を切り抜ける。だがしかし、中学の名体連(名古屋市立小中学校体育連盟剣道部)の先生方に「あの1年生は誰だ?」とすぐ素性調査をされ、剣友会の大将だったことがバレる。1年生剣士で副将なんて、こいつさえ潰せば怖くないチームだ!ということがバレバレ。それ以降、他のチームは本来の大将クラスを副将に据えて、うちの1年生を潰しにかかってきた。それでも、娘が最強の敵を食い止めることができていたので、何とか勝ち上がり、市総体で5位通過。県大会の切符を手にした初めての瞬間だった。しかし、強敵相手に勝ち星を挙げられない娘に対して出された判断は、娘を補欠に回して3年生だけで闘うことだった。切符を手に入れたのは、ある意味娘の加入のおかげだったにもかかわらず、県大会では出場の機会を剥奪されてしまった。当時娘はかなり傷ついていた。最強と謳われる2,3年生のライバルたちに勝てないまでも引き分けて、敵チームの戦力をそぎ落としたから、初心者の集団だった3年生でも勝てたのだと。剣道関係者の目から見ても、その理屈はごもっともで、県大会に娘を使わないことを「何故?どう見てもあの子がチーム1強いのに?」と不思議に思ってくれている名体連の先生方だった。でも、年功序列にした顧問の先生の気持ちも分かる。私なら、自分のチームに娘がいても、最年少なら最初から使わない。初めから年功序列を守る。県大会へ、ちょっと頑張れば手が届くと思ったのだろう。勝ちに逸った監督の気持ちはよく分かる。ここで年功序列を決めた監督は、次の年も純粋に3年生を育てて県大会へ行くことが出来た。さぁ次の年は!と言いたかったが、顧問が転勤することは分かっていた。そして、娘の代は男女1人ずつしか入部しなかった。それ故、団体戦は昨年度で終わりを告げたのだった。たくさんの団体戦があっても、試合にも出られない。練習試合さえも、よそのチームの補欠の子と合同で組まれる始末。時には男子の補欠と組む練習試合も。扱いがひどくて可哀想だった。だが、どのチームに入っても大将を務めさせてもらったことと、名体連の先生方の中でも最強を誇る先生方に眼をかけていただけたことで、娘はどんどん強くなっていった。個人戦しか出場機会はなかったものの、今年に入って名実共に3年生の代表選手とおぼしき子たちと肩を並べられるようになってきたのだ。160人規模の中学女子の部でベスト8以内に頻繁に入るようになったのだ。名古屋市選手権では3位入賞することができた。我が家では誰も達成したことのない悲願だった。
この調子で市総体も参戦できたら!しかし、練習の機会は減っていく。熱中症の事件で、剣友会の稽古や部活動の時間がかなりカットされてしまったのだ。廃部が決定している部活動には朝練もさせてもらえない。そこで、毎週月曜日の英語塾を日曜日に変えさせて、私が月曜日の市剣道連盟合同稽古会と県剣道連盟合同稽古会に連れて行くことにした。今まで長男を連れて行ったことはあったが、奴はそれ以降2度と行こうとしなかった。身体が小さかったから、大人ではないことが一目で分かってしまったからである。だが、娘は違う。デカい。対戦してくださった先生方から、「どこの大学だ!?」と声をかけられる始末。女子大生に見えたらしい。確かに私に似てガタイはデカい。しかも、常に稽古していただいている先生方も、娘を見つけると嬉しそうに「がんばっとるなぁ!お父さんにもやるように言いなさい!」と声をかけられるらしい。まぁ、お父さんはこの際置いといて・・・。稽古会の楽しさを知ってしまった娘は、臨時で変えてもらっていた塾を完全に変更して、月曜日は稽古デーにしてしまうようだ。父も頑張ります。
そして迎えた市総体当日。前日には験を担いで「かつ雅」でトンカツを食べ、エネルギー満タンで試合に臨む。勝!勝!勝ちまくる!準々決勝(6回戦)も1本先取!しかも、中学に入ってからは負け無しのライバルが相手。時間もあと数秒。一瞬、勝ちを意識したその時、相手の面打ちに反応できなかった。ギリギリで延長戦に持ち込まれ、焦る娘と死にものぐるいで畳み掛けてくるライバル。この時点で父には娘が負けることが目に見えていた。小学校の時から戦い続け、小学校では一度も勝てなかったのに、中学では圧倒的な稽古量の違いと試合出場経験数の違いで勝ち続けていた相手。娘の心に驕りがあったのだ。勝てると思っていたのだろう。確かにパワーでは負けないが、こんな時にものをいうのは「必死さ」だ。相手を倒して自分が準決勝へ進むという気持ちだ。延長戦での焦り始めた動きの中に、娘の勝ちは見えなかった。娘は準決勝で優勝候補の筆頭と戦って倒すために、稽古会に参加してきたのだ。それを目前で逃してしまったショックは大きい。ベスト8(5位)入賞なので県大会には行けるものの、追い掛けていたライバルに、また1つ差を付けられて、悔しい思いの表彰式だった。もちろん、彼女は準決勝で娘を負かした相手を手もなくひねり潰し、決勝戦で「物言い」がつくほどの鮮烈な試合をして1本勝ちの優勝である。私立の有名校へ剣道の特待生で行くという。娘にも特待の話は3校ほど来ているそうだが、剣道で飯を食うつもりのない娘には、ちゃんと受験をして、学力で勝負して、どんなチームに入っても、自分が強くしてみせるんだという気持ちが芽生えている。頑張って欲しい。
県大会まであと1週間を切った。月曜日の市総体で1日中、露橋SCにいたにもかかわらず、ほんの2時間休憩しに家まで戻り、仮眠を取った後、再び露橋SCへ。市の稽古会である。1日のほとんどを露橋SCで過ごすなんて・・・。目指せ東海大会!全国大会!!頑張れよ!!!