夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

サイボーグ親子?

2013-10-22 17:52:29 | Weblog
 人工レンズが入りました。勿論まだ目は開けられません。手術の最中も、痛かったのは麻酔の注射ぐらいで、あとは針を刺されても、硝子体をバキュームされても、水晶体をはぎ取られても、痛みも何も感じません。
 それにしても、貴重な経験をしました。決して気持ちの良いものではないですが、硝子体のバキュームと入れ替えは、途中で眼内出血も混じって、まるでイリュージョンか、マーブリングを見ているようです。
 手術前に見舞いにやってきてくれた両親と、「お互いに体に人工物が入って、サイボーグ家族だな!」と笑い合っているくらい、のんきな家族です。子どもたちにも心配をかけてしまいましたが、まずは一件落着でしょうか・・・。しょせんは人工物ですから、壊れることもあるでしょう。大切に使いたいと思います。見えるようになるまでは最悪1年がかりだということで、気長に待ちたいと思います。
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人工レンズ装着前夜

2013-10-21 17:04:00 | Weblog
久しぶりの入院生活が始まりました。明日はいよいよ、右目に人工のレンズが入り、網膜の水膨れを治すべく、硝子体のジェル状の液体も人工の液体に換わります。自らの右目で物を見る最後の夜です。親にもらった体の一部が人工的な物に置き換わるのはとても寂しいことですが、そうなるまで自分の体を放っておいたのですから、自業自得ですね。それよりも、自分の新しい体に、今度は無理をさせないように、丁寧にケアしてあげたいと思います。そして、これを機会に、点字を勉強して、来るべき時にいつでも対応できるようにしておきたいと思います。明日が終わってみないと何とも言えませんが、やることはまだ山積みです!こんなことくらいで沈んではいられない!!前進あるのみです。
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次男坊の初段試験

2013-10-20 22:27:47 | 剣道
 4月生まれの長男が、今の新しい受験資格になってからすぐに初段を受けたとき、「これをやったら落ちるぞ!」と言い置いたことを全てやってしまい、同級生の仲間のうち一人だけ不合格になった。その経験があったせいか、初段は落ちて当然という我が家の感覚があった。ところが、次男が今回、受験資格の最年少・受験番号2番で、見事に一発合格してきた。決して上手い剣道が出来るわけではない。緊張すると手首が硬くなり、剣先が上がってくる癖がある。身体全体が堅く、食も細いため、身体は妹より細く、小学1年生の時に買った胴がまだ余裕で使える。そんな細さで頼りなく映る次男だが、彼にはひとつだけ特技がある。踊ることが得意なのだ。テレビのCMやコント番組のような動き、更には日本舞踊的な踊りまで、見たものを見た通りに真似る力を持っている。あくまでも真似の領域なので、剣道形のような動きは得意でも、剣さばきそのものは師匠の動きを真似るところまでは行かない。運動音痴であることに変わりは無いのだ。そんな次男坊が、一発で合格するとは思っていなかったので、我が家は兄と妹の近藤杯の試合が惨敗だったにもかかわらず、お祭り騒ぎである。だが、長男は素直に喜べない。自分は一度落ちている。試合をすれば弟よりは強いと思い込んでいる。悔しい気持ちは分かるが、これが現実。お互いに弐段・初段の剣道をして、腕を磨き合っていってほしいと思う父です。ここで余談ですが、父の四段は受かるのでしょうか?それは神のみぞ知る!と言うことにしておきましょう。受験まであと1ヶ月。
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子ども達からの質問

2013-10-17 18:23:43 | 教室経営
 先日、4年生のひとクラスから要請があって、点字の学習をした子ども達に「視覚障害」に関する話をして欲しいというので、教室に招き入れて視覚と聴覚の障害について話をした。5年生になると本校では理解啓発授業と称して、言語障害通級指導教室についてを詳しく話す。前任校ではこのついでに視覚と聴覚についても話をしてきたが、反省点として、子ども達が「視覚障害・聴覚障害」の子ども達のための教室であると勘違いする子が見受けられたので、本校ではその反省を活かし、言語障害に特化した啓発活動をしている。そこへ、今回このようなチャンスを得られたので、別口で話せばきっと間違えることはないだろうと、視覚障害と聴覚障害についての概要を話すことにした。しかし、いざこれだけを話そうと思うと難しいものだ。つい余分なことも話したくなってしまう。時間が足らないと焦りながら、体験を交えた視覚・聴覚の障害体験に関する話を終えた。
 翌日、担任の先生は子ども達に作文を書かせた。私の話を聞いてどう思ったか、感想や分かったことが書かれている。中には自分の家族の障害について書いてくる子どももいる。4年生という発達段階にはまだ難しい分野ではあるが、朧気に、内容を把握してくれたようなので、安心した。一つ一つに返事を書こうと思って読んでいたら、かなりたくさんの子どもが質問を書いている。その殆どが「何故、私は言語障害教室の先生をやっているのか?担任の先生のように、学年の先生にならなかったのか?どんなことを教えているのか?」の3点だった。どんなことを教えているかは、来年話すことになっているから良いとして、何故言語の先生なのか、何故通常の学級担任じゃないのか、これが子ども達にとって最大の疑問だったようだ。視覚・聴覚の話は理解できたのだろうか?不安だ…。
 こだまの子ども達のために、こだまの子ども達の保護者の皆さんのために、そして今まで担当してきたつばさやにじ組の子ども達・保護者達のために、この教室の先生になったのです。障害に悩む親子の支えになるために、この道を選んだのです。通常の学級の世界にはたくさんの先生方がいる。だからそっちは任せていいと思う。ことばの教室は8教室しかない。つまりそこで働く先生も名古屋には8人しかいない。400もの義務教育諸学校がある名古屋に、8人しかいない。まさに「一隅を照らす」存在。我が師・皇學館大学名誉教授:宗林正人先生が私に教え諭されたこの言葉に感銘を受けて、ことばの教室の先生であり続ける道を選んだのは17年前。残る教員人生を、このままことばの教室で過ごさせていただけるかどうかは分からないが、最後の時まで精一杯努めさせていただければと思います。頑張るぞ!!
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