夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

更に追い討ち

2016-07-17 10:37:59 | 教育・躾全般
悪いときには悪いことが重なるものだ。三連休に父が一時帰宅となり家に帰れることになり、国立病院へ迎えに行って、その帰りに事件は起こった。父が座る座席のドアロックが気になって視線を正面から外した瞬間に、前に停車中のトラックに追突した。車の破損は結構深刻で、困ったものだが、相手の方が無傷だったのが不幸中の幸いだ。家族は皆、精神的にぼろぼろの只中に追い討ちをかけてしまう事件だ。
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泣きっ面に蜂

2016-07-16 01:47:50 | 教育・躾全般
父が倒れて1ヵ月経過した。放射線治療が始まって、明日からの三連休を自宅で介護するべく、連れ帰る準備を母に任せて、今日は職場のお食事会に。久しぶりの宴会を楽しもうと、張り切って名古屋駅前へ。早めに到着したので、メールチェックしようと携帯電話の電源を入れたら、電話着信とメール着信とショートメールが大量に!それも家族から。留守番電話を聞いたら、母が泣き叫ぶ声が!父が急変したのか?と思ったら、弟が交通事故に遭ってえらいことに!という。久しぶりの宴会をキャンセルして、会場から駆け出し、名古屋駅前でタクシーを拾う。一日乗車券で動いていたのに、ここで大量出費だ。でも、呑む前で良かった。名古屋駅から自宅まで走ってもらった。その時の運転手さんが、我が家の危機的状況を感じ取られたのか、2Km以上前からメーターを止めてくださった。感謝です!連絡がつかなかった母とやっと連絡がつき、日赤病院に担ぎ込まれたことが判明する。自宅からすぐ車に乗り換えて、日赤病院へ。救命救急センターに二月連続で家族が世話になるとは。救命救急前でまたしても4時間。救急車の中では母と会話が出来ていたらしい弟も、時間が経つに連れて痛みが増し、朦朧とし始めたらしい。病院に着いてからは、医者との対応を一手に引き受け、怪我の様子を聞く。母は、おでこを少し切って血が出ただけだと思っていたようだが、実際は、後頭部頭蓋骨骨折、くも膜下出血、脳内出血、後頭部打撲による脳への衝撃はかなり大きく、記憶の混乱が見られた。明日の朝、いや、日付が変わって今日の朝一で、父を医療センターまで迎えに行かねばならなかったので、弟は明日の午後になる。待合室で貧血を起こして三度も倒れる母。加害者の女性にも、気遣う心を忘れない母。頭が下がる。しかし、11時を回っても警察の事情聴取はある。疲れた。連日大変だった私は疲れがたまっていたようだ。ボヤける眼で運転して帰ってきた。今は午前1時を回っている。母を支えながら2つの病院を掛け持ちして自分の仕事が出来るのか?とにかく頑張ろう。こっちが倒れそうだ。泣きっ面に蜂。正にそんなタイミングです。
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母の悲しい誕生日・続編

2016-07-08 19:54:04 | Weblog
 余命宣告から2週間が経ち、今日は7月8日(金)。夕べは珍しく七夕で織り姫と彦星が見られた奇跡的な夜だった。にもかかわらず、星の神様はもっと悲しい試練を与えた。1年あったはずの余命が、1ヶ月ほどに極端に縮まったのだ。悪性リンパ腫ではなかった。もっとひどい、聞いたこともない病気だった。もちろん手の打ちようはなく、薬(抗がん剤)の効かない癌だそうだ。放射線で一時の延命を図ることができるが、1年持ちはしないだろうと。本人を前にしてもそう言いきる先生の眼差しは厳しかった。放射線治療をした後は、家で余生を送るようにいわれるしかないらしい。あと1年、何かやれることをと、はりきっていた母も、とうとう諦めがついたようだ。このまま父の後を追わないようにしっかり見てやらねば。次の4月で金婚式を迎える二人。盛大に祝ってやりたかった。無理なようだ・・・。何がしてやれるのだろう。考えよう。
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理解啓発授業の出前

2016-07-01 20:40:16 | 教室経営
 前任校でも行ったことがありますが、今回、久しぶりに、本校以外の学校へ、理解啓発授業の出前に行く機会を得ました。ほんの15分の機会ではありましたが、通級児童が関わる学年の3クラスへ、順番に話しに行きました。学校側からの依頼で、保護者の方の希望に応えるために行われた啓発授業。本来は担任の先生が行われる啓発授業に、アドバイザーとして加わるのが筋ではありますが、僭越ながら、学校側が考える授業の1/3を頂戴して話すことができました。
 自己紹介、ことばの教室とは何か、吃音とは何か、疑似体験、吃音者に出会ったらして欲しいこと。以上のような内容を、15分間でぎゅっとひとまとめにしてお話しさせていただきました。3クラスが三様の特色で、授業そのものが微妙に変わらざるを得ない感じでしたが、一番大切だった該当児童のクラスでは、所謂、「珍しいゲスト」に興味津々にぶつかってきてくれる2人の子どもがいました。初めは調子づいて沸き立っていた彼らも、障害の奥深さを知った時、流石に口数は減りました。彼らなりに、ふざけるべき対象ではなかったことを知ったのでしょう。授業後に、直接私のところへ真面目に語りにやってきてくれました。きっとこれからは該当児童の味方になってくれることでしょう。でも、実際にどこまで話を理解してくれたのかは分かりません。しかし、理解啓発というのは、あくまでも「種まき」です。道徳の授業みたいなもので、90人の子どものうち、ほんの一人でも理解してくれる子どもがいれば、それは「明日へ」繋がります。近いうちに「芽が出る」ことを祈ってやみません。
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