夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

親のすべきこと

2007-07-31 22:29:05 | 教育・躾全般
 昨日,名古屋難聴児を持つ親の会が主催する勉強会に参加してきました。親の会の皆さんはとっても元気で,お一人お一人がお子さん(といってもほとんど成人していらっしゃるようですが)の障碍を真摯に受け止め,お子さんと共に歩んでこられた今までを,一般の方々には経験できない宝物のように思っていらっしゃる様子を拝見して感動いたしました。きっとその当時は世の中の理解のなさやお子さんの気持ちの落ち込みなどに悩みながら子育てをしてこられたんだろうなぁ,と思いながらお話を伺っておりました。まさに「子育て奮戦記」です。私にも2歳年下の障碍のある弟がいますが,物心ついた頃から弟の障碍については聞かされてきましたし,それに悩み首を括ろうとする母親を見てきました。障碍のある子どもの親になるということは,周りのものには計り知れない苦労が伴うわけです。しかし,うちの母親もそうですが,ある程度時が立つと,泣き言は言っていられないことも事実です。親は常識で考えれば子よりも先に亡くなるわけです。障碍を持った子が独り立ちするまで見届けられるかどうかも分からない。だから健常児の親以上に一所懸命に子どもの未来を我が事のように考える。幾つくらいの年までに,どんなことを一人で出来るようにしておかなければ!うちの母が弟を育てながら私に語った言葉でもあります。母の姿を見ていたから,今,障害児教育に打ち込む私がある。そういった思いが,昨日のお母さん方との会話で久しぶりに思い出されました。
 親として出来ることは何だろう?子どもたちが障碍を受け入れながら成長していく中で,親がすべきこと。親しか教えてくれない,学校では教えてくれないこと。何かな?私なりに考えました。その答えはみんなそれぞれ違うので,皆さんで考えてほしいのですが,私は自分の親がしてくれたこと,語ってくれたことが,今,自分の「親」としての我が子への接し方に現れています。両親は長男である私を愛してくれました。信頼してくれました。兄として弟たちと接する時間をたくさん作ってくれました。責任感を持てるような役割を与えてくれました。障碍を被った弟のために好きなたばことゴルフを一切やめた父。内職をしながら子どもの帰りを家で待ってくれた母。私の敬愛する両親が,私の「親」としての手本であり,超えるべき目標です。我が子が将来独り立ちしたときに,自分の親(私)を目標にしてもらえるような親でありたい。世の中から見たら自分はたいした人間ではありませんが,我が子の目にだけでも,人生の手本として映ることが出来たら,なんて思っています。もちろん私がこんな思いを抱くことが出来るようになったのも,親になってからのことです。ひたすら親に感謝!です。
 親が一所懸命な姿を背中で見せていれば,子どもはそれなりに感化されると思うのです。何故そんなにまでして働くのか,何故勉強しなければならないのか,何故挨拶が必要なのか,何故隣近所の人と仲良くする必要があるのか,など,今の子どもたちはいろいろなことを「説明されていない」気がします。人と人のコミュニケーションは媒介がなければ成立しない,と今日参加してきた研修会の大学の先生が言っておられましたが,まさにその通り。会話のネタになるもの=媒介があって初めてコミュニケーションが成立するのです。「今日はいい天気ですね。」「今日学校で○○があったよ。」考えてみればいろいろなネタはあるのですが,今,自分でそれを考えることが出来ない子どもたちが増えています。ネタ=語彙力がない子どもたち。でもそれは子どもたちが悪いわけでも,彼らの頭が悪いわけでもない。そういった媒介を与えてあげない大人が悪いのです。知的好奇心をそそる言葉掛けをしていない大人が悪いのです。この場合の大人とは「親」「地域の大人」「教師」など,子どもを取り囲む全ての大人を指します。今,我が家の夏休みは,子どもたちに発見することの楽しさを学ばせています。つまらないことでもいいんです。自分で発見したことを報告させています。「へ~知らなかった!!」と大騒ぎする我が子を見ながら「父」も楽しんでいます。この夏どれだけのことを見つけ,体験することが出来るか,楽しみです。お金なんか使わなくても,どこか遠くへ行かなくても,近所を散策するだけでも不思議は見つかりますよ!まさに不思議発見!そばにいて,一緒に喜んで,一緒に感動して,一緒に大笑いする!これが今私が取り組んでいる「親」業です。

夏休みに入りました?

2007-07-24 14:38:11 | 剣道
 ついに夏休みになってしまった。休みになると何かいいことがあるか?出費がかさむだけであまりよいことはない。実際に夏休みになっても毎日の流れは今のところ変わらない。忙しい。それなのにお昼は給食じゃない。これが痛い!安くすませたいのに,給食ほど安くはならない。しかも外食は時間がかかる。結局は昨日の残り物を弁当にして持ってくるのが一番の安上がりか。愚痴りながらの昼休憩は虚しい。
 終業式の日の夜から,我が子がお世話になっている剣道教室の子どもたちを連れて合宿に参加してきました。この数ヶ月忙しく仕事ばかりしていたので,父として,また,師範代として稽古に参加するのは本当に久しぶり。日ごろの運動不足を解消するために,とても重い木刀を持参して,子どもたちと同じメニューで素振りを全てこなしました。ところが午前中の稽古が終了して昼食の時,既に箸を持つ手が上がらない!!運動不足という前に「これって,歳?ってこと?」案の定,上がらなくなった右腕(一応左腕は剣道の命なのでそんなに痛くないしよく動く)は,翌日の夜に筋肉痛へと進化し,帰りの運転に支障を来す羽目となった。湿布をしても二日間は痛かった。これって老化現象以外の何者でもない。自分の限界を思い知らされて始まった夏休み。まだ始まったばかりです。我が家の子どもたちは毎朝のラジオ体操にたたき起こされて出かけていますが,その後,トワイライトに行き学習時間を送っているはず…ですが,どうでしょう?皆さんのお宅では如何ですか?
 我が家でも絵日記帳を購入して毎日書かせることに挑戦していますが,やはり難しい。親が書かせようとするとけんかになるようですね。うちのカミさんの叱り方に,息子(長男)もブチ切れ!勉強,勉強と責め立てるのもどうかな?と夫婦で語り合うのですが,カミさんには息子たちの「出来なさ」加減が許せないらしいのです。でも私から見れば,そんな許せないほど「腹が立つ」事はないと思うのです。そこで今朝もこの話題になったのですが,概して大人は「出来なかったころの自分」を忘れてしまっていると思うのです。我々だって赤ちゃんのころからペラペラと喋ることが出来たわけでなく,習う前からかけ算九九が言えたわけでもない。習ったその日に一瞬で覚えたわけでもない。覚えるまでに苦労した経過を忘れてしまっている大人が多いと思うのです。何をするにも時間がかかるのが子どもの発達。過ぎてしまえばその時間もなかったかのように思い出の彼方へ消えてしまいます。親のやるべき事は,叱り飛ばすこともたまには必要ですが,やはり子どもの成長を褒め称え,応援してやることだと思うのです。剣道の合宿でも私の同級生が母親として参加していました。ご自分の息子さんをいつでもどこでも叱り飛ばしてばかり。当然のように全く親の言うことを聞きません。保育園では「AD/HD」と言われ,診断も下りているとのことですが,その扱い方に慣れた私たちのような専門職が声をかければ,それなりに話を聞いてくれるし,がんばろうとしてくれるものです。稽古時間が長かったので最後までの集中力は流石に続きませんでしたが,かなり長い時間がんばって稽古に参加できていたことや,体育館で見つけた雀の死骸を,休憩時間中に率先して弔ってあげる優しさを,彼のお母さん(私の同級生)に伝えて誉めてあげたら,彼の得意げな顔にお母さんも安堵した表情になり,楽しく合宿を終えることが出来ました。要するに言葉掛け1つなのです。子どもののんびりとした発達(もちろん個人差があることが前提です)に親がどこまで合わせてあげられるかといっても過言ではないでしょう。通級指導教室が全ての学校に設置されるといいな,と何人ものお母さん方から言われますし,私もその通りだと思いますが,家庭教育が一番の基盤であることも外せない事実です。在籍学級と同じように一番長く在籍する家庭でのコミュニケーションを再考してみる価値はありますね。
 長くなってしまいましたが,今朝カミさんに言った言葉を最後に書いて終わりましょう。「自分も幼いころに母親に叱られながら育ったのだということを忘れずに。」

子育て

2007-07-12 17:20:18 | 教育・躾全般
 本日は大雨の中,保護者会にお集まりいただきありがとうございました。今回の集まりで,今まで以上にお母さん方の子育てに関するお考えや悩み事をリアルに聞かせていただくことが出来て良かったと思います。ちょうど同じ世代の子供を持つ一人の親としても大変参考になりました。お母さん方と私とでは性が違うため,母親としての見方と,父親としての私の見方とでは多少なりとも差があると思いますが,同じ子どもを見ながら育て合い,共に学び合うことが出来たらと思っております。
 さて,今日の会の中でもありました話題の一つ。子どもが暴力に訴えるわけですが,通級児童にはよくある話です。ほとんどのお子さんが語彙力やコミュニケーションの面で問題を抱えて通級してきているわけですが,周りのお友達は,相手のコミュニケーション能力がどうとか,語彙力がどうとかは当然考えてはくれません。相手は子どもですから,自分の言いたいことをいい,聞きたくないことは聞こうとしないのが普通です。もちろん自分の主義主張に合うことを言われれば意気投合し,苦手であったはずのコミュニケーションも,詰まりながらも話そうとするものでしょう。しかし,ひとたび主張の違いを感じれば,当然けんかになります。そして,言葉の数が多い方が圧倒的に有利となり,不利な方は言い返す言葉が見あたらずに,つい手が出てしまうわけです。大人でも感情的になると手が出ることがあると思いますが,子どもですからその「堤防」の高さもかなり低いわけですね。自己防衛本能のなせる技ですが,理由はどうあれ,手を出した方が悪いというのが社会の掟。そのことだけは納得させておきたいものです。しかし,ここで終わらないのが「教育」です。この場合の「教育」とは学校教育だけでなく,家庭教育や地域の教育にも関わります。このまま終わったのでは,語彙の少ない,手を出して叱られた方の子があまりにもかわいそう。子どもが手を出すに至った理由があるはずです。きっと我慢ならないことを言われてキレてしまったのでしょう。その背景を探ることを怠ってはいけません。もちろん初めの言い出しが本人で無いとも限りませんのでそのことも考慮に入れて。最近うちの娘(まもなく4歳)が保育園で男の子に噛みつかれたと言って負傷して帰ってくることが増えました。担任の先生曰く,口げんかで娘に敵う子どもが年長クラスにもなかなかいないらしいのです。兄が二人もおり,確かに他のお子さんよりよくしゃべり,難しい言葉も遣います。女の子は男の子より相対的に言葉の成長が早いのも理解しています。お節介な娘なので,他のお友達が自分より年下に見えるのでしょう。お姉さんぶる面があり,仕切り屋のようです。だからトラブルも絶えず,噛みつかれて当然なのです。担任の先生を通じて園内の様子はお聞きしてあるので,娘に諭してはいますが,それでもいらぬお節介をして被害に遭っているようです。そういったトラブルもある意味勉強かな?と思ってこちらがケガをさせない限りは見過ごそうと思いますが。今後どうなるやら。
 コミュニケーションとは言葉で話すだけではありません。文字で書いたり体で示したり,ある意味,噛み付きや殴るという行為もコミュニケーションの一つです。それがどんな言葉を受けての行為か,さえ,周りの大人が押さえておけば,無駄にはならない「教育」の場になるはずです。自分の言った言葉が相手を傷つけて,その応酬として殴られる,噛み付かれる,ということも勉強ですし,殴ったり噛み付いたりすれば何故いけないのか,相手はどんな風に思うのか,ということも知っていく必要があります。そんな事件があったときは,「コミュニケーション指導の好機到来!」と言わんばかりに話して聞かせてあげるのが大切ですよね。「殴っちゃ駄目!」という前に,「殴りたいほど腹が立ったんだね!でも殴られた相手はきっと痛かったよ!」と本人の気持ちに同調しておいて尚かつ,相手の気持ちにもなれるように話すことを心掛けたいと思っています。その上で痛みを与えたことに対して相手に謝ることが出来ると,危害を加えることに対して一呼吸置いて考えるようになるかもしれません。今日は子育て真っ最中のカミさんを横目で見ながら,こうすればいいのに,と他人のような顔で見ている自分を反省しながら皆さんのお話を伺い,その思いを文章にしてみました。

学習の歩み

2007-07-03 13:57:42 | 教室経営
 とうとう7月に入りましたね。夏休みもすぐそこに。テンプレートの背景も七夕を意識して星空を飛び越えて宇宙へ行ってしまいました。昨日,通販で頼んでいた,学研のホームスターPROが届きました。我が家も7歳になる次男坊のために,今年は豪快に七夕飾りを飾っています。提灯,走馬燈,灯籠,笹飾り,子ども部屋はさながらオズモール(うわっ!ローカル!)の七夕祭りのよう。(一宮とか仙台とか言わないところが控えめ?)ホームスターをセットして,梅雨空で見えない星々に思いを馳せておりました。思えば6月の頭に水星が最大離隔を迎え,惑星全部見ようキャンペーンに応募したのがきっかけで,我が家では星を見ることが増えてきました。梅雨らしい日々が続きそこへタイミング良く学研から通販のお誘いが。最初のページに載っていたのがこれ。存在は知っていたものの,高いので避けていたのでした。以前からほしかったものなので,ついこっそりと通販で。当然カミさんには断り無し。でもそろそろバレるよね?
 さて前置きが長くなりましたが,このところとても忙しかったところへ,更に追い打ちをかけるように通知表の下書きを提出せよとのお達しがありまして,先週の金曜日くらいから悩み,土日に構想を練り,月曜日に夜中まで残って完成させました。子どもたちのことを頭に浮かべながら,この3ヶ月間,何を取り組んだっけ?と記録を見る。でも,忙しすぎた5,6月の記録は文章化していない!慌てましたが,そこはそれ,通級11年目。取り組みに対する記憶は衰えていませんでしたよ!ちゃんと一人一人が思い浮かぶもんですね。あのときAちゃんはあの課題で失敗して泣いていた,B君は大喜びで得意そうだった,C君はたくさんおしゃべりできるようになってきた,などなど。それもこれも,皆さんにいただいた「個別の支援計画のための親・担任の願う子どもの姿」が元になっているわけです。そこから作る個別支援計画が通知表の元になっているわけですから。今の「その子」に合った課題を考えて行ってきたことで,その出来具合を評価する。たまには辛口評価も織り交ぜてお尻を叩きながら前進させる。いざやってみると難しいことですね。通級の場合は通常の学級と違って,いつもほとんどの場合,お母さんが目の前にいて,常に授業の進行を見つめていらっしゃるから,お子さんの状態もよく分かってくださる。(もちろんそれを補足するためにこのブログを始めたんですけど)だから私の評価の文章がいまいち上手にかけていなくても,わかりにくい表現をしてあっても,「あぁ,あのことを言いたいんだな?」と理解していただけるのが救いです。(もちろんそれでもわかりにくいときはいつでもお問い合わせください)まもなく通知表(当教室では学習の歩みという)を清書して配り始めるわけですが,それが終われば子どもたちは待ちに待ってた夏休み。今後の話題は「夏休みにやりたいこと,行きたいところ」に決定かな。私も一親として何とか1回くらいはどこかへ連れて行ってやろうと思いますが,大会が終わらないと気分的につらいかな。暇は作るもの。頑張ってみます。