晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代②                546

2012年11月24日 22時22分36秒 | 昭和のプロレス
■久しぶりにプロレスの記事を、先日放映があった“昭和のプロレス黄金時代”を
紹介します。


■もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代②
○BSテレビ : BS日テレ
○放送日   : 2012年11月12日(月)
○番組名   : 徳光和夫のトクセンお宝映像!
○放送内容 : もう一度見たい! 昭和のプロレス黄金時代

▼黄金期を彩った 外国レスラー
○「超獣」 ブルーザー・ブロディ
○「不沈艦」 スタン・ハンセン
昭和58(1983)年12月12日 蔵前国技館
ジャンボ鶴田   VS スタン・ハンセン (34歳)
天龍源一郎       ブルーザー・ブロディー(37歳)
※ブロディーの助走をつけての高角度のギロチン・ドロップを天龍にみまう。
そして、ハンセンのアメリカンフットボール出身のウエスタン・ラリアットが天龍に炸裂し、
天龍がリングに沈む。
ブロディーの入場テーマ曲は、雄叫びが響く、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」
ハンセンの入場テーマ曲は、馬の嘶きや鞭音とともに、スペクトラムの「サンライズ」


○「仮面貴族」よりも「千の顔を持つ男」 ミル・マスカラス
※夏場のシリーズに例年参戦。入場テーマ曲は、華麗な空中殺法を彷彿させる
ジグソーの「スカイ・ハイ」。
オーバーマスクをリング上から投げファンにプレゼントのパフォーマンスが人気。

昭和52(1977)年3月11日 日大講堂
USヘビー級選手権
ザ・デストロイヤー(46歳) VS ミル・マスカラス(34歳)
※得意技のフライング・クロス・チョプがデストロイヤーの首元に突き刺さる。



▼ハプニング
○ボボ・ブラジル(43歳) VS ジャイアント馬場(30歳)
※この試合は、昭和43(1968)年6月25日、ブラジルが馬場選手からインターナショナル
・ヘビー級王座を奪い、そのリターンマッチ。この頃のブラジルはWWA世界ヘビー級王座
(ロス版)を保持していて全盛期。
3本目は不可解な結果でブラジルのリングアウト負けで、馬場選手がインター王座を奪回。


○「インドの猛虎」タイガージェット・シン(33歳)、「まだら狼」上田馬之助(41歳)
昭和56(1981)年12月13日 蔵前国技館 控室で大乱闘
※全日本世界最強タッグリーグ戦。控室でサーベルを振りかざすシン、ブッチャーと
シークに襲い掛かる。



▼珍場面
○馬場選手とデック・マードックかな。
○「原爆男」 大木金太郎(47歳) VS アブドーラ・ザ・ブッチャー
昭和51(1976)年5月1日 日大講堂
※「頭突き世界一決定戦」の試合前、欠場の挨拶をするレイスを急襲。試合中にハリー・レイス
(33歳)が殴り込み、ストリートファイトに展開。


○ザ・ファンクス VS アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク(53歳)
昭和54(1979)年12月13日 蔵前国技館
※「地上最凶悪コンビ」、ブッチャーの地獄突きをドリーがかわし、シークに突き刺さり、
同士討ちとなり喧嘩に発展。シークの火炎攻撃がブッチヤーの顔面へ。


○「東洋の神秘」 ザ・グレート・カブキ(35歳) VS 上田馬之助
昭和59(1984)年6月 札幌中島体育センター
※高千穂明久のリングネームから海外武者修行時代にマネージャーのアイデアで歌舞伎
役者をモチーフに、ペイントレスラーのザ・グレード・カブキに変身。
凱旋帰国のカブキは、着物や能面を着て登場、ヌンチャクを操り毒霧を吹く東洋系のヒール
キャラクターが受ける。
上田馬之助も負けじと、ペイントで天狗ようにペインテングして、黄色の霧を吹く。



▼「若大将」 ジャンボ鶴田
昭和48(1973)年10月9日 蔵前国技館 鶴田選手(22歳)
インターナショナルタッグ選手権
※プロ転向1年でタッグ王座に挑戦。

昭和50(1975)年12月15日 (24歳)
師匠ジャイアント馬場とシングル初挑戦

昭和52(1977)年8月25日 田園コロシアム (26歳)
UNヘビー級選手権
※ミル・マスカラスとの試合は、東京スポーツ主催の最高試合(ベストバウト)を受賞。

昭和59(1984)年2月23日 蔵前国技館 (32歳)
AWA世界、インターヘビー級選手権
※ニック・ボックウィンクルをテーズ直伝の「バック・ドロップからホールド」でピンフォール
日本人初のAWA世界王座を獲得。

昭和63(1988)年4月19日 宮城県スポーツセンター (37歳)
インターナショナルヘビー級選手権
※バックドロップでブロディーからインター王座を奪還する。



▼三沢光晴
※鶴田選手の付き人だった三沢。

昭和59(1984)年8月26日 田園コロシアム (22歳)
※メキシコ遠征中の三沢は、帰国後2代目タイガーマスクとしてデビュー。
両腕をチキンウィングの体勢にとらえ、タイガースープレックスで固める。

鶴田選手とエースを掛けて戦い、切り替えしてフォール勝ち。(27歳)

全日本プロレスを離れ、ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として団体を牽引。

試合中、急角度のバックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥り死去。(46歳)

◆残念ながら、三沢選手の時代は、プロレスに興味が薄れ試合は観ていません。

★ここに紹介したレスラーは引退や鬼籍に入り寂しい限りです。
古き良き時代、まさに昭和のプロレス黄金時代でした。


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もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代①                545

2012年11月23日 22時29分42秒 | 昭和のプロレス
■久しぶりにプロレスの記事を、先日放映があった“昭和のプロレス黄金時代”を
紹介します。


■もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代①
○BSテレビ : BS日テレ
○放送日   : 2012年11月12日(月)
○番組名   : 徳光和夫のトクセンお宝映像!
○放送内容 : もう一度見たい! 昭和のプロレス黄金時代

▼戦後の日本に勇気と活気をもたらした昭和のプロレス。
プロレス人気の高まりとともに、世界の名だたるレスラー達が次々と来日。
ゲストは、レフェリ- 和田京平さん。


▼もう一度見たい! 昭和のプロレス黄金時代
○「東洋の巨人」 ジャイアント馬場選手
○「人間発電所」 ブルーノ・サンマルチノ
昭和42(1967)年3月2日 大阪府立体育館
インターナショナルヘビー級選手権
ジャイアント馬場(29歳) VS ブルーノ・サンマルチノ(31歳)
※WWWF王者のサンマルチノ初来日。
必殺のベアハッグで馬場選手もたまらずギブアップ。
馬場選手とは若手時代から友人でありライバルである。お互いに世界王者となる。


○「荒法師」 ジン・キニスキー
昭和45(1970)年12月3日 大阪府立体育会館
インターナショナルヘビー級選手権
ジャイアント馬場(32歳) VS ジン・キニスキー(42歳)
※前年ドリー・ファンク・ジュニアに敗れNWA世界王座転落。キニスキーが馬場選手
のインターに挑戦。馬場選手の32文ドロップキック二連発でキニスキーもマットに沈む。


○「鉄の爪」 フリッツ・フォン・エリック
リング外から馬場選手にストマッククローをかけるエリック。
※顔面へのアイアンクローは迫力がありました。


▼黄金期を彩った 外国レスラー
○「白覆面の魔王」 ザ・デストロイヤー
昭和44(1969)年3月5日 東京体育館
インターナショナルヘビー級選手権
ジャイアント馬場(31歳) VS ザ・デストロイヤー(38歳)
※白地に赤や青の縁取りを付け目と鼻、口の部分を開けたマスクを着用。
必殺の4の字固めは、力道山や豊登と激闘を繰り広げ、さらにジャイアント馬場選手を
新たなライバルとした。


○「テキサスの荒馬」 ザ・ファンクス
※兄弟ともに得意技のスピニング・トーホールド、
入場テーマ曲は、ツインリードーの 日本ロックバンド“クリエイション”演奏の「スプニング・
トーホールド」。


○「黒い呪術師」 アブドーラ・ザ・ブッチャー
昭和54(1979)年12月13日 蔵前国技館
ザ・ファンクス VS アブドーラ・ザ・ブッチャー(38歳) ザ・シーク
※日本プロレス、全日本プロレス団体の常連で悪役。
毒針エルボー・ドロップ、高くジャンプし、全体重を乗せて落とす、フィニッシュ・ホールド。
入場テーマ曲は、不気味なベース音と金属音の響き、ピック・フロイドの「吹けよ風、呼
べよ嵐」。


○「黒い魔神」 ボボ・ブラジル
昭和50(1975)年3月13日 日大講堂
NWA世界ヘビー級選手権
ジャック・ブリスコ VS ボボ・ブラジル(50歳)
※南部の麒麟児ブリスコのセコンドに高千穂選手が。
ヘッドバッドは両腕で相手の頭を抱え、自分の頭に叩き付ける。
ココバットは、長身のブラジルがジャンプして体重とともに叩き付け破壊力は抜群。


★もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代②へ続く。


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大宅荘一ノンフィクション賞の授賞作「木村政彦・・・・・・」    498

2012年08月08日 23時28分42秒 | 昭和のプロレス
■本日(2012/08/08<水>)は、出張帰宅後、読売新聞朝刊を観ると文化欄に
大宅荘一ノンフィクション賞の授賞作「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
以前、ブログで紹介していますが、今一度紹介。


■大宅荘一ノンフィクション賞の授賞作「木村政彦・・・・・・」 
史上最強の柔道家とうたわれた木村政彦の生涯を描いた大作。
「昭和の巌流島」とも呼ばれた試合で、勝った力道山がプロレスブームで脚光を浴
びるのと対照的に、敗れた木村は表舞台から消えていく。
著者増田俊也は主にプロレスの側から書かれてきた一戦を、木村の視点でとらえ
直した。

ちなみ、山の神に「大宅荘一(おおやそういち)ノンフィクション賞」知っている、と聞くと。
有名ですよと。さらりと言われました。
※「大宅荘一ノンフィクション賞」は大宅荘一の業績を記念して、各年のすぐれたノンフィク
ション作品を表彰する文学賞。


「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで




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TBS-TV バース・デイ 長州力 因縁のライバル物語               449

2012年05月12日 22時25分18秒 | 昭和のプロレス
■本日(2012/05/12<土>)は、右ヒザが痛く、加えて走る気持ちが今一つ。
古いノートパソコン(2台)をケースデンキで処分(1台100円で買取)してから
図書館へ。
帰宅すると、TBSテレビでプロレスの放映があったので紹介します。


■TBS-TV バース・デイ 長州力 因縁のライバル物語
○テレビ  :TBSテレビ
○放送日時:2012年5月12日(土)17:00~17:30
○バース・デイ
<番組・コンセプト>
過去の自分を突き破り、未知なる自分が産声を上げた時、人生という名のカレンダー
に新しい誕生日が刻まれるバースデイ。
○キャスト:東山紀之(語り)
○今回のオンエア
「長州力 因縁のライバル物語 ~ お前がいる限り俺は辞めない!~

※長州力といえば、藤波辰巳(辰爾)への「かませ犬発言」から、因縁の試合となり
その後、「名勝負数え唄」となる。

▼長州力
山口県徳山市の“桜ヶ丘高校”から“専修大”に進学し、ミュンヘン・オリンピック
には韓国代表として出場(在日韓国人2世)。
アントニオ猪木選手のスカウトにより新日本プロレスに入門デビュー戦。
※私は山口県にも住んでいましたが、桜ヶ丘高校はレスリングの名門校。
デビュー時のリングネーム“吉田光雄(22歳)”で、決め技(得意技)は“羽折固め”。

長州力より一足先に入門していた藤波選手(日本プロから新日本プロに転向)は
MSGの檜舞台でWWWFジュニアヘビー級を獲得。
その時の決め技 “ドラゴン・スープレックス” は、藤波選手の代名詞となる。

藤波選手に遅れること、長州選手は海外武者修行でメキシコに転戦し、実力No1
のエルカネックを破り、UWA世界ヘビー級王座を奪取し、凱旋帰国。

六人タッグマッチで猪木選手と藤波選手と組むが、入場の前の順番や選手コール・
最初にリングに入る順番など、格下が先となる。
長州選手はそれまでの業界の慣わしに反発し、爆発したのである。
その時の発言 「俺はお前のかませ犬じゃない」。その後、当時の体制に反旗を翻し
藤波選手との対戦は「名勝負数え唄」、そのうねりは、「革命のうねり」となり、
”革命軍”、”維新軍”と続いていく。


時を超えて、長州選手(60歳)、藤波選手(58歳)が、巌流島で対戦。
タッグマッチでの対戦であったが、両者の得意技が繰り出し観客は満足したよう。
お互いにライバルがいることにより、刺激を受け ”アイツがいる限り、俺は辞めない”
終わりなき戦いを続けてほしい。


★明日は、高宕山トレイルランをしよう。






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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで         398

2012年01月15日 23時27分04秒 | 昭和のプロレス
■本日(2012/01/15(日))は、年末に借りた「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を
紹介します。


■「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで
図書館からリクエストした本が入荷した連絡があり、年末・年始に読んでいました。

○書籍名:木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
○著者  :増田俊也
○発行  :2011.9.30  2刷 2011.10.5
○定価  :本体 2,600円(税別)
○ページ数:701ページ
※昭和のプロレスファンであれば、“力道山”と日本一決戦した柔道家“木村政彦”のことか。
と思いますが、しかし細かなことは知らないのが現状でしょう。
そこで、時系列に紹介(説明)します。

<番号と写真が対応>
▼戦前・戦中、そして戦後を通じて15年間不敗のまま引退し、「木村の前に木村なく、木村
の後に木村なし」と謳われた。

01:表紙 木村政彦の全盛期の写真(上半身)
▼熊本の怪童
熊本県加瀬川の砂利採りを生業とする家に生まれ、小さい時より稼業の砂利採りを手伝い
強靭な肉体が培われた。
尋常小学校の時、熊本で開催された、全九州相撲大会決勝で他県代表を得意の大外刈り
をするも勇み足で準優勝となるが、鎮西中からスカウトされる。
その後、鎮西中出身の拓殖大学柔道部師範の“牛島虎熊”からスカウトされ拓殖大学予
科に入学する。

02:木村政彦の師匠となる“牛島虎熊(全日本選士権二連覇)”

03:拓大予科、高専柔道大会(国立大学以外の大学及び専門学校の大会)の団体優勝
する。

04:「三倍努力」の誕生
木村の稽古は毎日9時間以上、朝は警視庁へ稽古、昼は拓大、夕方は講道館、そのあと
は牛島塾、そしてうさぎ跳び、ウェートトレーニングなど。

05:全盛期の木村政彦の肉体、まさにマッチョマン 170センチ、85kg
全日本選士権3連覇 S12(1937)拓大三年生、二十歳
(この記録は、40年後、山下選手<ロス金メダリスト>が破る)

06:ばんカラな校風、拓大時代の木村政彦

07:S15年(1940)師弟悲願の天覧試合制覇、昭和天皇から下賜(かし)された短刀
その後、戦争、終戦、戦後の闇屋

08:、古流柔道から柔道へ「講道館」「高専柔道」「武徳会」に派生し、GHQ(連合国軍
最高司令官司令部)の指導により「高専柔道」「武徳会」が消滅する。

09、10、11:プロ柔道の旗揚げ、S25国際柔道教会 柔道のエースとして活躍
木村、プロ柔道でも王者に
プロ柔道破壊(プロモーター経済的理由、マッチメーク、選手人数等)

12、13、14、15:ハワイへの逃亡、ブラジル遠征、ブラジリアン柔道

16:空手家 大山倍達 木村を兄貴と慕う

17:もう一人の怪物、力道山 そしてプロレス団体旗揚げ、日本プロレスリング協会
街頭テレビ、木村政彦 vs 力道山の世紀の一戦

18:シャープ兄弟 vs 力道山・木村政彦との世界タッグ選手権
負け役に徹する。

プロレスにはブッグ(シナリオ通り)がある。
※プロレスはショーとか八百長とか言われますが、はやりプロですからお客さんに見せる
楽しませる要素が必要となります。
例えば、1本目は相手の得意技を受け、2本目は自分の得意技を決め、そして3本目は引
き分けや反則勝となることなど。

19:木村政彦 vs 力道山 世紀の一戦
事前に両者話し合いで、「引き分けにし、もう一度引き分けを繰り返し、次に力道山が勝ち
木村が勝つ」ことで合意していた。
木村政彦は気の緩みで練習せず、酒を飲んでいた。一方、力道山は練習を積み万全な体
制で試合に臨んだ。

20:試合は力道山がブックを破り、本気で攻め頸動脈にキックが入り脳震盪を起こし
ダウン、15分49秒ドクターストップ。
その後、木村政彦の再戦を望むも力道山が無視する。

21:海外放浪へ、そして拓大の柔道顧問となる。
愛弟子“岩釣兼生”を育て、プロレスへの復讐

22:木村政彦の全盛期と老年期
木村政彦の墓、墓誌には「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」という有名な言葉が
彫られている。

※木村政彦の柔道への熱い思いが分かりました。


▼本日は、昼からロードジョグを2時間。途中、“内みのわ走遊会”のKさん、K女史も若潮
マラソン(フル)に向けて練習していました。




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