最近、研究が進んで、我々の子供の頃に習った、
日本史が随分変わっているそうです。
いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府ではなくって、
いい箱(1185年)作ろう鎌倉幕府に成ったっていうのは、
割りあいと有名な話ですが。
「和を以て貴しとなす」ってどうやって読みます?
「わをもってとうとしとなす」って読んでましたが、
録画していた歴史探偵を観てたら、
「わをもってたっとしとなす」って、出演者ミンナが普通に言っていた。
誰か、昔は「とうとしとなす」って読んでましたよねぇって言ってくれるのを
期待したけど
ネットで調べたら、「たっとし」と読む人もいるって感じで書いてあった。
だったら、「とうとし」で良いじゃないNHK。
関ヶ原の戦いと言えば、小早川秀秋の裏切りですが。
もしかしたら、裏切ってない可能性が大だそうで
そうだよなぁ。
痺れを切らした家康が小早川のいる松尾山に向かって鉄砲を放つと、
一気に小早川軍が西軍に襲い掛かる。って
聞こえるのか?銃声。
聞こえても自分の方に撃ってきたって見える?って疑問に思ってたけど。
小早川は、既に関ヶ原前に家康側だった可能性が出てきたらしいです。
小早川が布陣したら、石田勢が攻撃に向かったって記録があるですって。
どうして、そんなに変わるのか?
今迄は、後年に書かれた二次資料を採用してたそうです。
後年に書かれたので、面白おかしく、大袈裟に書かれる傾向にあるそうで、
今は、その当時に書かれた一次資料に重きを置かれているそうです。
研究が進んで、信憑性がある一次資料が発見されているんでしょうね。
信長の延暦寺焼き討ち。
皆殺しってイメージですが、
実際は、そうでもなかったらしいですよ。
やっぱり、大袈裟に書かれていたようです。
笑ったのは、毛利元就の「三矢の訓」
元就が長男・隆元、次男・元春、三男・隆景を呼び寄せて、
矢が一本なら簡単に折れるけど、三本に束ねると折れない。
だから、兄弟三人力を合わせなさい。って話し。
嘘らしい
その場面に当たる年は、
長男の隆元は既に亡くなっていたって。
近代史でも、昔とは違った発見があるようで。
東條英機。
陸軍大臣と総理大臣を兼務して、戦争にまっしぐら。
ってイメージだったけど、軍を抑え込む事を期待して、
総理に就任させたそうです。
陸軍大臣を兼務したことで、逆に戦争回避が難しくなったようですが。
時代はあちこちに飛びますが、遺跡。
去年、静岡に登呂遺跡って道路標示があったのですが、
時間が無くって寄れなかった。
その登呂遺跡、今は教科書には出ないそうです。
吉野ヶ里遺跡や纒向遺跡の発掘で追いやれれちゃったそうです。
遺跡と言えば、登呂遺跡って感じでしたよね。
この先、吉野ヶ里遺跡、纒向遺跡の発掘が進めば
邪馬台国論争にも決着が着くのかも知れませんが、
纒向遺跡は、まだ全体の2%しか発掘されていないそうです。
でも、発掘しすぎないようにしているですって。
50年先にもっと優れた発掘技術が開発されるだろう。
だったら、その優れた発掘技術に任せたほうが良いって判断らしい。
こりゃ、生きている間には、決着は見られないなぁ。
個人的は、機内だと思うのですが。
日本史が随分変わっているそうです。
いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府ではなくって、
いい箱(1185年)作ろう鎌倉幕府に成ったっていうのは、
割りあいと有名な話ですが。
「和を以て貴しとなす」ってどうやって読みます?
「わをもってとうとしとなす」って読んでましたが、
録画していた歴史探偵を観てたら、
「わをもってたっとしとなす」って、出演者ミンナが普通に言っていた。
誰か、昔は「とうとしとなす」って読んでましたよねぇって言ってくれるのを
期待したけど

ネットで調べたら、「たっとし」と読む人もいるって感じで書いてあった。
だったら、「とうとし」で良いじゃないNHK。
関ヶ原の戦いと言えば、小早川秀秋の裏切りですが。
もしかしたら、裏切ってない可能性が大だそうで

そうだよなぁ。
痺れを切らした家康が小早川のいる松尾山に向かって鉄砲を放つと、
一気に小早川軍が西軍に襲い掛かる。って
聞こえるのか?銃声。
聞こえても自分の方に撃ってきたって見える?って疑問に思ってたけど。
小早川は、既に関ヶ原前に家康側だった可能性が出てきたらしいです。
小早川が布陣したら、石田勢が攻撃に向かったって記録があるですって。
どうして、そんなに変わるのか?
今迄は、後年に書かれた二次資料を採用してたそうです。
後年に書かれたので、面白おかしく、大袈裟に書かれる傾向にあるそうで、
今は、その当時に書かれた一次資料に重きを置かれているそうです。
研究が進んで、信憑性がある一次資料が発見されているんでしょうね。
信長の延暦寺焼き討ち。
皆殺しってイメージですが、
実際は、そうでもなかったらしいですよ。
やっぱり、大袈裟に書かれていたようです。
笑ったのは、毛利元就の「三矢の訓」
元就が長男・隆元、次男・元春、三男・隆景を呼び寄せて、
矢が一本なら簡単に折れるけど、三本に束ねると折れない。
だから、兄弟三人力を合わせなさい。って話し。
嘘らしい

その場面に当たる年は、
長男の隆元は既に亡くなっていたって。
近代史でも、昔とは違った発見があるようで。
東條英機。
陸軍大臣と総理大臣を兼務して、戦争にまっしぐら。
ってイメージだったけど、軍を抑え込む事を期待して、
総理に就任させたそうです。
陸軍大臣を兼務したことで、逆に戦争回避が難しくなったようですが。
時代はあちこちに飛びますが、遺跡。
去年、静岡に登呂遺跡って道路標示があったのですが、
時間が無くって寄れなかった。
その登呂遺跡、今は教科書には出ないそうです。
吉野ヶ里遺跡や纒向遺跡の発掘で追いやれれちゃったそうです。
遺跡と言えば、登呂遺跡って感じでしたよね。
この先、吉野ヶ里遺跡、纒向遺跡の発掘が進めば
邪馬台国論争にも決着が着くのかも知れませんが、
纒向遺跡は、まだ全体の2%しか発掘されていないそうです。
でも、発掘しすぎないようにしているですって。
50年先にもっと優れた発掘技術が開発されるだろう。
だったら、その優れた発掘技術に任せたほうが良いって判断らしい。
こりゃ、生きている間には、決着は見られないなぁ。
個人的は、機内だと思うのですが。