今日は、他施設に直行して、
そこでの作業が終わったら、職場に戻って自分の仕事って、
思っていたけど。
疲れ果てちゃって
思い切って午後休んじゃった。
スマートウォッチによると、昼寝3時間だそうで。
練習場行こうかと思ったけど、
体が動かず、録画していた番組を見ることに。
番組は「レジャンドの目撃者」
以前にも斎藤雅樹さんの回を紹介しましたが、
今回は、桑田真澄さん。
肘を手術した年以外は、ずっと活躍していたイメージが
有るのですが、1年目は2勝しかしてないですね。
そう言えば、当時、野球に興味がない友達に
「清原は活躍してるけど、なんで桑田はダメなの?」って
質問されたなぁ。
で、ご本人の回想も
江川さん、斎藤さん、槇原さんとの体格差に愕然として
と、俺が来るべき世界じゃなかったと。
1年で辞めないとイケないって思っていたそうで。
1年目のシーズンが終わりアリゾナの教育リーグに参加も
って、超マイナス思考。
休日に当時の2軍監督の須藤さんが
グランドキャニオンに連れて行ってくれたそうですが、
って、行きたい人だけで行けばいいのにって。
しかし、
そこから、勉強して、当時、誰もやらなかった、
マシンを使ってのトレーニングや
やっぱり誰もやっていなかったノースローディの採用。
2年目からは15勝、10勝、17勝、14勝、16勝って活躍。
よく、悩んでいる時に絶景を見たら、
悩んでいる事が小さく思えて立ち直れた。
って話を聞きますが、
絶景を見たって、悩んでいる事象が消えるわけでもないじゃん。
って思うのですが。
本当に悩んでいないからですかね。
ノースローについては、斎藤さんが証言していて、
コーチに今日はブルペンに入りませんって言っているのが聞こえて。
当時は、毎日投げるのが当たり前だったから、
そんなの有るの?って驚いたけど、自分も採用させてもらったって
桑田さんも、コーチに今日は投げないって言ったら、
何、言ってんだ良いから投げろって怒られたそうです。
これは1年目の挫折の話しでしたが、
肘の手術、晩年の不調と挫折時のお話しをしてました。
それは、またの機会に。
そこでの作業が終わったら、職場に戻って自分の仕事って、
思っていたけど。
疲れ果てちゃって
思い切って午後休んじゃった。
スマートウォッチによると、昼寝3時間だそうで。
練習場行こうかと思ったけど、
体が動かず、録画していた番組を見ることに。
番組は「レジャンドの目撃者」
以前にも斎藤雅樹さんの回を紹介しましたが、
今回は、桑田真澄さん。
肘を手術した年以外は、ずっと活躍していたイメージが
有るのですが、1年目は2勝しかしてないですね。
そう言えば、当時、野球に興味がない友達に
「清原は活躍してるけど、なんで桑田はダメなの?」って
質問されたなぁ。
で、ご本人の回想も
江川さん、斎藤さん、槇原さんとの体格差に愕然として
と、俺が来るべき世界じゃなかったと。
1年で辞めないとイケないって思っていたそうで。
1年目のシーズンが終わりアリゾナの教育リーグに参加も
って、超マイナス思考。
休日に当時の2軍監督の須藤さんが
グランドキャニオンに連れて行ってくれたそうですが、
って、行きたい人だけで行けばいいのにって。
しかし、
そこから、勉強して、当時、誰もやらなかった、
マシンを使ってのトレーニングや
やっぱり誰もやっていなかったノースローディの採用。
2年目からは15勝、10勝、17勝、14勝、16勝って活躍。
よく、悩んでいる時に絶景を見たら、
悩んでいる事が小さく思えて立ち直れた。
って話を聞きますが、
絶景を見たって、悩んでいる事象が消えるわけでもないじゃん。
って思うのですが。
本当に悩んでいないからですかね。
ノースローについては、斎藤さんが証言していて、
コーチに今日はブルペンに入りませんって言っているのが聞こえて。
当時は、毎日投げるのが当たり前だったから、
そんなの有るの?って驚いたけど、自分も採用させてもらったって
桑田さんも、コーチに今日は投げないって言ったら、
何、言ってんだ良いから投げろって怒られたそうです。
これは1年目の挫折の話しでしたが、
肘の手術、晩年の不調と挫折時のお話しをしてました。
それは、またの機会に。
桑田さんって野球エリートというか、挫折なんてないと思ってましたが、プロ入り直後にあったんですね。
で、そこからの脱却のきっかけが雄大なグランドキャニオンって^^;
ドラマや小説みたい(笑)
レジェンドって呼ばれる人ばかりですが、
考える事って普通の人と変わらないなぁって
感じます。
そこから先が、全然、違うのですが。