先日SPACで上演した「真夏の夜の夢」はシェイクスピアの作品を野田秀樹が日本の話として潤色したものだった。
SPACの作品は鈴木忠がコラージュで売り出したためか、こういういわゆる本歌取りの作品が多い。
しかし、こういう作品の作り方は今の時代には合わないのではないかと最近思うようになった。
自分が高校生のころには、チェーホフやシェイクスピアを読むのは一般教養だった気がする。本屋の文庫コーナーへ行けばシェイクスピアの戯曲が平積みされていた。
つまり、高校生ですら元作品を教養として受け入れていたという時代だったのだ。
まあ、観客層を見れば60台もかなりおられたようなので、残滓はあるにせよ、そろそろもう一度新しいオリジナルを作り出す時期は来ていないだろうか?
それがどういう形なのかは自分自身にも見えてはいないのだが。
東北大震災や経済の疲弊など日本がどんどんだめになっているいまこそ文化を復権させていくことがこの国の未来を作ることだと思うので、新しいオリジナルの方向性を手探りしないといけないと、自分に言い聞かせている今日この頃なのだ。
もうひとつの問題点
シズカン関係者と話をしていて驚いたのは、大学生がとても貧乏になっていて2000円の飲み会すら成立しないというのだ。
電話代がかかるのか、ほかにもいろいろかかるのか。飲み会する成立しないのでは、本や舞台にお金をかけることは難しいだろう。
貧乏なら図書館の本でもいいので読んでもらいたいものだが、ゆとり教育の弊害からか本すら読まなくなっている気がする。
さらに、ゆとり教育の見直しが極端な方向にぶれてバイトもできないほど大学生のカリキュラムがぎちぎちになっていて、授業もサボれないという状況を聞いて何かが違うような気がするのは私だけなのだろうか。
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