演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

鬼神伝 神の巻

2020年05月10日 10時20分50秒 | 読書

講談社ミステリーランド第4回配本の高田崇史の作品。

「鬼神伝 鬼の巻」の続編なのですが、鬼の巻は借りられていて未読なので、いきなり後編ということになりました。


あらすじは講談社BOOK倶楽部より

鬼の巻
京都の中学に転校してきて3ヶ月、天童純に友だちはいない。純の胸には生まれた時から赤紫色のふしぎな形をしたあざがあった。ある日、いじめっ子に追いかけられるうち、純は東山の麓ふかくに建つ古びた寺に迷い込み、密教僧・源雲によって時空を超え平安の都に飛ばされてしまう。胸に勾玉の形をしたあざがある純こそ封印された龍・オロチを解きはなち、鬼を退治するべく選ばれた者だという。桃太郎、一寸法師……。彼らはなぜ鬼を退治するのか。鬼とはいったい何者なのか!?

神の巻
再び平安時代に飛ばされた天童純は、鬼の少女・水葉らと再会する。一方、貴族は、鬼神たちを封じ込めるため、三種の神器の一つ、純の持つ草薙剣を奪おうと画策、さらには破壊仏までも召喚しようとする。「鬼」と「人」との激しい戦いの中、大事な仲間を失った純は、自分の命よりも大切なものがあると気づくのだが。

戦いの様子が、あまり明確ではなく、歴史の解釈や神様の解釈も「なんかなあ」、という感じでした。だからといって、面白くないわけでもないし、続編もあるようだから、ファンも多いということなのでしょう。
神の巻は子供には予備知識がかなり必要で、中学生以降でないと理解しにくいかもしれません。(たとえば万葉仮名とかいろは48文字とか、中国や仏教の神様とか、方位を守る神様とか)
古代史が好きな人には、おすすめかもしれません。


 

 


闇の中の赤い馬

2020年05月06日 11時38分20秒 | 読書

ミステリーランド第3回配本の竹本健治の作品。
あらすじは講談社BOOK倶楽部から

<section class="introduction contStyle">

聖ミレイユ学園で神の怒りとしか思えない悲劇があいついだ。ウォーレン神父は校庭の真ん中で落雷に遭って焼け死に、さらにベルイマン神父が密室と化したサンルームで、人体自然発火としか考えられない無残な焼死体となって発見されたのだ。
「汎虚学研究会」はみんなからキョガクの連中とよばれる、ちょっと浮世離れしたメンバー4人で構成されている。部長は僕、室井環。中でも好奇心のかたまり、フクスケは女ホームズと化し、ワトソン役に僕を指名した。ベルイマン神父の死は殺人に違いないというのだ。僕は夜ごと見る、狂った赤い馬の悪夢でそれどころじゃないのだが……。

最近は共学のミッション校も増えてきたようですが、2004年当時はまだ少なかったはずで、ネットのレビューでも共学校にしないで欲しかったという、意見が多かったです。
話としては気楽に読めましたが、小学生向きではないです。動機やトリックも甘いし、ツバサくんという美少年の描写が足りません。
高校生が気楽に読む話としては、いいかもしれませんが、だとするともう少し描写が細かいほうがいいのかな。
熱く語っているブログがあったので、興味のある方はこちらもどうぞ。

</section>

江戸の産業ルネッサンス

2020年05月05日 14時30分36秒 | 読書

中公新書、小島慶三の江戸時代における江戸時代の再評価。

「逝きし世の面影」(渡辺京二)と同時期に発売されており、この時期エコノミックアニマルと呼ばれた日本の風潮と、バブル期の批判として江戸時代の再評価が比較的似た手法によって行われたと思われる。
渡辺の手法が、幕末から明治に日本を訪れた、異邦人による訪日記を読破。日本近代が失ったものの意味を根本から問い直したものであるのに対し、小島は同様な手法に加えて産業の発達史を考察し、日本がなぜ急速に近代化できたのかを説明している。
ただ、どちらもバブル期に出されたもののせいか、エコノミックアニマル化した日本人を憂いているところがある。
その後の災害を経て、今の日本を考察したらどう書き方が変わっていたのか、もちろん果たせないことだが、興味がある。









この世の春

2020年05月05日 14時06分00秒 | 読書

宮部みゆきの時代小説。
上下2巻と分厚い。しかし、宮部みゆき初の恋愛ものとは思わなかった。そういえば恋愛の出てくる話は少ないかもしれない。というよりも、読んだのに記憶から消えている作品が多いのだ。

話は、架空の下野国の北見藩藩主の乱心による藩主交代と隠居した元藩主をめぐる人々の話となっている。最初は多重人格の話かと思っていたが、そうでもなく、ストーリーはとても面白かった。主人公の各務(かがみ)多紀は出戻りの美女で、姑にいびり出されて心に傷を負っている。この設定が、小説のいろいろな場面でさりげなく効果を出していると思う。ラストには別のラストもあっていいのでは、というレビューが結構見られた。少しだけ、その気持ちはわかる。これは読むときに誰に心入れしていたかで、変わってくるのだと思う。


ついでに、宮部みゆきのほかの本のレビューをネットで観たのだが、題名は思い出せても中身を思い出せない作品が多くあることに気が付いた。ほとんど読んでいるはずなのだが、思い出せないのだ。これも老化現象の一つであろうか。