真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

6月19日

2010年06月19日 11時46分06秒 | Weblog
昨日の歩数:286歩
起床時間 :8時55分
血圧   :106    64
脈拍   :56
体温   :35.6℃
体重   :66.7kg
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隣の部屋から聞こえる、目覚ましの音で目が覚める。
長男が入る前にとトイレに行く、部屋に戻り、最近知ったケーブルテレビの天気予報を見る。ここでは、東久留米市の天気予報が表示される。
それによると、曇で昼に一寸晴れて、また曇日付が変わると雨の予想。
 妻が来て、「どお」と尋ねる。天気のことである。「日が変わると雨みたいだ」
「送ってもらいたいみたい、また遅くなるみたいよ」判ったと言う。
体温と血圧を計る。下に行き歯みがき洗顔をして体重を計る。着替えをして、返却するCDを確認してリックに入れ、それと、バックを持って下に行く。9時28分長男が出かけられる様子なので車を出しておく。駐車場の前に車を停め待っていると妻が出てきて指でWCを作って示す。市道の方へ車を移動する。9時38分家を出る。CDをかける、しばらく走行すると少し車内が蒸すようなのでエアコンを入れる。寒すぎないように時々けす。
所沢街道は、裏道に入らずそのまま、青梅街道へ出られた。青梅街道での、流れはスムースであったが、速度はみな50キロで走行、いつもよりは即後は遅いが、それでも流れていた。家をでるのが遅かったので、少し遅れると思っていたが、10時丁度に着くことが出来た。10時28分には家に戻り、バックなどを部屋に置き、MP3プレーヤーを持ってリックを背負い、10時30分には家を出て、中央図書館に行く。10時55分家に戻り、パソコン2台のスイッチを入れておいて、したに行き食パン8枚切りを1枚トースターに入れて焼く。牛乳を温め、パンにスライスハムとスライスチーズをはさみ。新聞やチラシに目を通して朝食をすませる。メインのパソコンではメールや掲示板などをチェックし、昨日在庫を3冊にして頂いたアマゾン「誰も知らない手塚治虫」ランキングのページに行ってみた。

驚いたことに4点在庫あり。ご注文はお早めに。に変わっている。アマゾンさんへの感謝の気持ちをブログに現してはいるが、まさかこんなページなど見ている訳もない、それでもアマゾンさんへ感謝が通じているのではと、摩訶不思議な何かを感じずにはおかれない。
 2台での作業は順調に進み、12時半には、一覧表の整理に取り掛かれた。
13時昼食に呼ばれ、ドライカレーを食べる。
部屋に戻りパソコンの作業の続きをしていた。「今日はお天気だいじょうぶだよね」と言っていた妻に「日が変わってから雨になるとの予報だったよ」と答えた。洗濯物を干したままであるのが心配のようであったが、妻は次男と出かけて行ったようであった。
14時を過ぎて、作業の目処がつく。予約の準備が出来ていたのが気になり、無理してでももう一度中央図書館へ行こうと、思っていたが急げば大丈夫そうと14時12分家を出る。14時21分には図書館を出て14時30分に家に戻る。再度パソコン2台の電源を入れて、作業を始める。15時後30分あれば目処がつきそう。
 今日は16時から第3回観光ビジネス会議 開催の招待を受けている。それに、出席したいと思っているのだ。会場が浄牧院の庫裡で、開かれるのにも興味を持った。浄牧院は手塚プロで漫画部のチーフを務めていた福元 一義さんが、漫画家になる前あたりに此処に住んでいたと言いう事を聞いていた。住職との会話も出来そうなのでその辺のお話も聞けたら、無理だろうが、そうも、思っている。
 始めは歩いて行くつもりであった。なにせ、今日の蒸し暑さである。急ぎ足で歩いたせい、もあって、朝が吹き出ている。扇風機だけではダメなのである。シャワーでも浴びて汗を流して行くか、そんなことを考え出す。それでも少し贅沢かなと言う気持ちが残る、手で顎を触ると、ヒゲが生えている。ヒゲも剃ろう、理由が二つになると、シャワーをあびるという、罪の意識が少し薄れる。後は時間の問題。そのためには、歩きはやめて自転車で行こう、歩いて行って、また汗が吹き出したら、元も子も無い。15時30分が近づいてくると。自転車で急げば同じ、汗をかくだろう。浄牧院は、葬会会場があるので駐車場も、大丈夫だ、車で行ける。ならエアコンもかけられる。15時30分になり、パソコンに勝手に作業をさせておいて、急いで洗濯物を取り込む。網戸にしてある窓も、雨が振っても良いように締める。そして、シャワーを浴びヒゲもそる。風呂の電源を切り忘れないように、確認して、着替えをする。御勝手の鏡の前でネクタイを絞めようと思ったが、流石にネクタイはいらないだろうと、素肌にシャツを引っ掛けてる。風に当たっていけば良いのだから、燃費の良い原動機付き自転車で行く事にする。

15時49分に家を出て、浄牧院についたのが15時55分、会場が判らなくて、会場に入ったのが15時59分であった。
座るとすぐに、野島貞夫さんの司会で「時間になりましたので」と開会を告げた。
代表幹事の美多摩新聞の正岡武幸さんの挨拶の後、浄牧院藤井住職から
浄牧院の歴史
現状
今後の思いなど、お話があった。
16時48分静かすぎる音楽に変えてから、携帯の呼び出しに気が付かないことが少なくなかった。そこで元の激しい音楽と、最高音量に設定しなおしていた。マナーモードにするのを忘れていた。いきなりなったのですぐに出た。北海道のSNOWさんからであったが。とても話をしたかったが、今会議中でと言うと、察知して、またあとでかけるねと言ってくれた、2時間ぐらいで終わるので、と答えた。
浄牧院は 山号 信護山 本尊は 釈迦牟尼仏
開山が 文安元年(1444年)と古い。たぶん室町時代だと思う。
足利八代将軍義政の時、後北条である、八王子城主北条安祝の開創、らしい。
このころ、戦のための宿泊施設としての役も兼ねていたので、境内が広く作られ本堂並びその周りに堂がたくさんあった、などと言う話しに、歴史好きな私は、興味を持った。
江戸幕府誕生の天正18年(1590年)江戸城入場の時、三浦一族(後北条)と言う事で、寺領没収になったが、九世、玉室応珍が昇住した、翌年天正19年には朱印地三十石を賜り、復活。正保(1,645年)と正徳(1,712年)の災禍で伽藍は灰燼と化し寛文と文化に再興した。
大正12年の関東大震災で荒廃した伽藍を昭和になって修復に着手して平成になって大改築が成ったという。
 その後、本堂を案内してもらう。中は間口が広く奥行きは無いのが禅宗の違いという。すべてがバイアフリーになっているのも住職のアイディア。太い柱もすごいし、昔の柱を生かし使ってある場所もあった。将来、観光案内をするためには貴重すぎる話を聞かさせてもらったが、覚えきれていない。門のいわれや仁王様のこと、など外に出ても説明された。裏に回りそこにある五百羅漢を見せていただく。こんなすごい場所が東久留米にあったとは思いも寄らない、心のお宝を沢山いただいた気になった。五百羅漢で私が知っている名前といえば、私の家の家紋が、花冥加といわれていることから冥加を食べると物忘れする、いわれの周利槃特さんを探した。なかなか見つからなかったが、最後の出口のところ、つまりは入ってすぐのところに、おわしました。
 庫裡に戻り、自己紹介の質疑応答、実行委員3名も選出され18時終了の予定が19時近くになってしまった。
ちょっと疲れを感じていた。
20時夕食、ゆっくり食べる。21時に部屋に戻る。パソコンの電源を入れる。
長男から迎え以来の電話がない、21時15分風呂に入る。
SNOWさんにメールを出そうと思っているうち、時間ばかり経ってしまう、そして出さないで1時30分にはパソコンの電源を切る。
テレビは見ると話しにつけておく、リモコンの電池を消耗するだけ。将棋チャンネルの放送も終わり、たぶん何かを見ようかなと思っていた、2時11分携帯が鳴る。出るより早く「行くね」という。長男よりほかにはかかって来るはずもない。甚平を着ていたがその上に羽織をひっかけて、サンダルもひっかけ、車に飛び乗り迎えに向かう。2時20分長男が来て載せて2時55分家に戻った。すぐに電気を消して寝ようとしたが、4時近くになったであろう。長男は明日も仕事だという。
コメント
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