goo blog サービス終了のお知らせ 

歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

共同生活のトラブルに喧嘩両成敗はありえない

2009-06-26 23:53:57 | Weblog
遊びのつもりで、そこに頭があったから、親しみを込めて、挨拶代わり、
力加減なしにパッチン!
あざがつくほどつねられる!
日常茶飯事のことだが、これはあくまでもスタッフに対して。
相手が入居者となると、話が違ってくる。

インシデントの全ては家族報告し状況説明をしている。
自分で転んだり滑落したりするもの。
ケアの最中にぶつけてしまったもの。
気がつかない間に出来ていた傷。
誤ってテイッシュを口に入れていた。
入れ歯が行方不明、壊れたとか。
施設外へ1人ででてしまった!
そして、入居者同士のトラブル。

直接手を出したほうは「そういう病気なんだから。相手の人には悪いと思うが。ケアで何とかしてほしい。」という。
被害を受けた方は「転びでもして骨折したらどうする。今後どういう対処をしてくれるのか決めてほしい。」と。
手をかけないまでも、口での暴力もある。
自分のことは差し置いて、まわりにいる人たちを明らかな差別語で非難する。
特に、自分より弱い車椅子の人に対してである。
同席していた家族は、酷く傷ついた。
後日、面談をしていたとき「人の行いというものは周りまわって自分に返ってくるのでしょうね。昔、身内にむかって同じようなことを言っていたんです。そのたび、身内は泣いていましたが、今は本人が言われましたね。」と、しみじみ話をなさった。

言葉の場合はお互い様で仕方がないと諦めていただけるかもしれないが、
実質的被害があると、施設として対処法を考え、報告しなければならない。

私のスタンス。
BPSDがひどい入居者を見守るのではなくて、まわりの入居者たちに被害を及ばせないように見守ること。
これ、言葉で言うと似通っているが、正反対の対応なのだ。
BPSDを起こす対象者に付いているのは個別対応で特別待遇をすることになる。
周囲から見てもそう見えてしまう。
危険が及ばないように広いところへ誘導する。
いいえ、共同で使う場所はBPSDの人だけの場所ではない。
その人の場所は、その人の居室ではないか。
その居室が、どこよりもその人本人の居場所にしなければいけない。

被害をこうむった、またこうむる可能性のある入居者の方を見守り、守るべきだと主張した。

スタッフのトラブルに対する対応は、主張の強い家族に対しての配慮が多くなりがち。
長いものに巻かれてはいけない。
ケアの力で何が出来るかが見えなくなってしまう。
徘徊のような「常動行動」がある人は、生活パターンも同じくキマリがあることが多い。
衝動が抑えられないBPSDは、ケアの力だけではどうにも出来ない場合がある。
いかにして家族に理解をしてもらうかも大きな課題となる。

時には「コワイ」という感情から、直接受けてもいない被害を訴える場合もあるのだ。


死の判定、余命の判定は・・・

2009-06-20 11:24:41 | Weblog
脳死判定が人の死とされ臓器移植が可となる。
衆議院を通過したが、参議院での投票が出来るかどうか?
移植を待つ方、提供する立場になる方(私も含め)、生きていることをそれぞれがしっかり受け止めなければいけないと思う。

平成15年から、私はドナーカードを持っている。
全ての臓器を提供するつもりだ。
もし、そのときが来たら、できるだけ多くの方のお役に立てたらシアワセだ。
その方の中でわたしは再生できる。
これが私の考え方。
他人には強制することではないが・・・。

老人ホームに勤務しているので、死とは常に隣り合わせにいる。
勤務先では「ターミナルケア」も行っているが、会社から特に指導は受けていないのが現状だ。
提携往診医は24時間電話応対はしてくれ、指示も受けられる。
最後の立会いもお願いできる。
何より看護師が24時間いる。
ご存知のようにガンは余命宣告が出来る。
しかし、ガン以外のターミナルは余命宣告が出来ない。
「あと、どのくらいもちますか?」
よく家族から聞かれる言葉だが、それとなく遠まわしに答えているのがわかる。

余命宣告をしたところで個人差が大きいので実際には、
3ヶ月で返ってきた人が2年余命があった!という嬉しい誤算も経験した。
どちらかというと、認知症の方のほうが余命が長いのは、神様がおあたえになられたのだろうか。

最後は病院ではなく住みなれた施設で看取ってほしい。
馴染んだスタッフの世話になりたい。
そういう家族、本人が増えている。
脳死判定のニュースが流れたせいだろうが、昨夜も2人の入居者から話をされた。
わたしの立場から言えるのは、
後見の家族にご本人の意思を伝えておくこと。
私がいるかぎり、できるだけ意思に添うよう努力をすること。


85歳の方に、メールを体験していただいている。
たまたま従兄さんがアドレスをお持ちだったので、
「お手紙書くより早いわよ!」
と勧めてみたら「やる!」
昨夜は2度目。
ローマ字入力をしていただいているが、
「これが私はわからないのよ。」と。
そうだった!この世代の方はローマ字や英語は習っていないんだった!
気づかない私。
かな入力にしようかと思ったが、新しいことにチョウセンするのならローマ字を覚えていただこうと考え、
「ローマ字の対照表を作ってくるからね!」と約束。

会社のパソコンだが、私が遅くまでいる時間ならできるとお伝えしている。
若いスタッフたちが通りがかるたびに目を丸くして驚くのも楽しい。
幾つになっても新しいことが出来るんだよ。
きっかけと機会さえあれば・・・、ネ。

回復、ブログ復活です

2009-06-18 10:53:22 | Weblog
イヤイヤ、私の体調ではありません。
インターネット接続から遮断されてしまい、リーモーとサポートで、やっと復帰しました。
何がドーなったのか理解するまでに至らず・・・(笑い)
機種を買い換えることもなく、無事復活!

幾つものことを同時進行していると、何かが抜けますね。
トシ?いや、これは年のせいにしちゃいけないよなあ。
今も、マンション玄関の暗証番号が変更される通知を探してます。
どこへ・・・?


と、言うことで日記再開!

昨日は「歌の日」
12月からボイストレーニングへ通った成果が出てきているような。
声が変わってきてるね!いいほうへ!
なんて言われて気をよくしてますが、レッスンして、夜はアンサンブル歌って、というハードスケジュールが軽くこなせるようになったみたい。
昨日は、はじめて(練習では最初で最後?)メンバー全員揃っての稽古。
思いがけず「外套」に出演する2人が、練習がオフだということで参加できたので。
やっぱりみんな来るといいよねえ。
迫力もあるし、動きもつけられる。
問題は私だったりして。
デスピーナのこの場面はお医者に化けているので、やたらオーバーアクション。
何回やっても音楽が聞きにくくなるところがある。
エ?単にリズム感が鈍いんだろうって?
たぶん・・・。
オペラで演じたときも、この場面はいつも緊張してたもん!
ン、ター、ター、ン、このリズムの伴奏が聞き取れない私。
ま、いいや(笑い)

来年の公演は、考えた揚句3部構成にしようと。

第1部:聴きやすい知られた歌曲
第2部:愛の妙薬から
第3部:椿姫から

モーツアルトは若手の体力が必要だから、私たちはもういいよね!なんて話を・・・(笑い)
ソプラノの1人が1月2月とオペラがあるそうで、女性は2人。
私の負担が大きいけど、曲を選べば今の調子なら歌いきれるだろう。
バリトンをもう1人、誘っているのだけど、
なかなか腰を上げてくれないからなあ。
照明が使えるらしいので、舞台がきれいに出来そう。
大きな本番が出来ると、楽しみと練習に張りができる。


サアテ、働く義務に出かけるか!
ソー言えば、全員がボーナスカットになった!といっていたなあ。
地方公務員、生命保険、サービス業。
わが系列は、管理職以上はボーナス支給なしだ。
管理職じゃない私も昨年の半分くらいかも・・・。
これじゃあ、モノを買わなくなるわよねエ。


水のいのち、水はいのち

2009-06-15 01:38:21 | Weblog
昔は運動する時に水は飲んではいけないとかいわれていたような気がする。
よく脱水や熱中症で倒れなかったものだと思う。

高齢者は、トイレの心配が先に立ち水分を控えがちになる。
膀胱炎という感染症が最も多い。
普通は、膀胱炎になると排尿痛と残尿感がつき物なのだが、痛覚などが鈍くなるのか?かなりな炎症数値が出ていても自覚しないようだ。
「トイレへ行くのが間に合わないの」
「回数がやたら増えたの」
果ては、
「アンタが検査前の夜に色の濃い飲み物を飲ませるから」
ただの麦茶だったんだけど・・・。
麦茶で潜血反応が出るはずはない。(笑い)

「おしっこが汚いから水分をたくさんとって流さないとだけですよ!」
「早く直さないと熱が出ますよ!」
脅迫する始末(笑い)


水分が摂れなくなると、食事も摂れなくなり体が弱る。
本人の自覚症状は全くないのだが、気力が落ちてくる。
表情がうつろになり、応答も鈍くなる。
その上、認知症が悪化する。
排泄や日常動作は自分で出来ていた人が、見る間に出来なくなる。
スタッフがレベルダウンに追いついて行けないほど早い悪化。
慢性の脱水は、人が生きていく上で必要な生活動作まで出来なくしてしまう。
年齢的な老化とは全く異なるのだ。
認知症の周辺症状(BPSD)のうち、夜間せん妄や夕暮れ症候群といわれる帰宅願望は、脱水が原因ではないかとさえいう説があるほどだ。

ある夜、突然せん妄が起きる。
いつもより帰宅願望が酷くて暴れる。
夕方になると顔が険しくなる。
そういう場合は、午前中から午後にかけての水分が不足している可能性がある。

スタッフによっては、飲み物を勧められないスタッフもいるのだ。
認知症の人は、ただ飲み物を進められ、前に置かれても手をつけなくなる。
前に置かれて手にする間は心配が要らない。
食べる意欲がなくなると、飲む意欲もなくなる。
口元まで持っていき、介助して半強制してでも一日の水分を維持する必要がある。
それが私たちプロの介護職の仕事。

水は大事だよ、食事だけでなく、イヤ食事よりもっと水分が必要なんだよ。
3日間食べなくても生きていられるけど、
3日間何も飲めなかったら・・・、。

よく観察をしていないと、自立している人のほうが慢性の脱水になり易い。
生体を維持する為の水分は、最低400CC。
健康に生きるためには、食事以外に、1000CC。
ツイ、忙しいと紺屋の白袴になる。
ご入居者には「水分、飲んで、飲ませて」といいながら、ふと気がつくと、あれ?いつからトイレに行ってないかな?という日がある。
ウウ、イラつく夕方はコーユーことね。(笑い)

なぜ?食べたくない、食べられない

2009-06-13 01:19:39 | Weblog
エ?私ではありません。うちのご入居者の中の、それも複数です。
昔で言えば、一人は老衰かもしれない。
体が食べ物を欲しなくなっているのかもしれない。
しかし、もう一人は、
認知症が進んだのか、
入居するまで飲んでいなかった薬の作用か、
とりあえず、薬を減量して様子を見ている。

「帰りたい」「出かけたい」「買い物に行く」
とても達者な人で、1人暮らしを20年続けてきた。
入居から3ヶ月たち、頭痛が出る。
4ヶ月経ち、夜一人でいられなくなる。
施設に慣れたと言えばそうなのだが、それと伴に寂しくていられないといっていた。
その後が、元気がなくなり小声で喋り、食欲が急激に落ちた。
あれほど歩き回っていた人が、見る影もなく寝たり起きたりしている。

1人は、生活リズムに添ってケアをし、食べられそうなものを手渡しする。
水分は、点滴。
「もう生きていたくない」「こんなにまでなって、なんで生きていなくちゃならないんでしょう」
お分かりになった頃はクリスチャンだった。
「神様が寿命はお決めになっているんですよ。」
聖書を少し読んで差し上げた夜もある。
車椅子で1時間は起きていられる。

後の方は、保護者になっている方が、何がどうなったのかわからず、とても心配している。
きっと今までの暮らしから変えさせてしまった責任感を感じておられるのだろう。
いくら1人では置けなくなっていたとわかっていても、
辛い立場だと判る。
気分転換に散歩へ行くことさえ、億劫になっているのだ。

明日、いや、今日はこの2人を担当しなければならないが・・・。
認知症は、周りにとっても本人にとっても、辛く悲しい病気だとつくづく思う。