歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

介護士の休息

2010-05-31 20:26:04 | Weblog
11年目にやっと休息をとっている。
何人かの後輩から手紙を頂いたが、そろいもそろって「厳しく、恐く、ピリッとした」と書いてあった(笑い)。
休みなのにわざわざ来てくれた人もいて、とてもとても嬉しかった。

これほど思ってもらっていたとは自分では感じていなかったので、以外でもあった。
後を引き継いでくれそうである。
もちろん悩み事、困りごとの相談所はいつでも開設しているので・・・。
ただし、恋愛相談だけは苦手なので無理!(笑い)

決まった勤務先からは離れたが、介護の勉強は続けて行っている。
私は特に認知症ケアに重点を置いているので、時間が自由になる分、読み込んでいきたい。
読み込んで、噛み砕き、自分の言葉に直していく。
その上で講習という形にしていきたいと考えている。
一の一歩から、輪を広げていかねば前には進まない。


ご入居の最初から、つまりアセスメントから関わって来たご家族にはご挨拶ができた。
エンとは不思議なもので、かかわりが長いから親しみを強くお持ちになるとは限らない。
それは日頃の友人関係も同じ。
であった最初の日から友達!になる人はなる。
これが「相性」なのだろう。
ご入居者ともども、コンサートまで知らせてほしいといってくださっている。
そのお一人から「オペラのときに使えるものを」とわざわざスワトウ刺繍のハンケチーフをプレゼントしてくださった。
フイガロの結婚の時代にはアクセサリーとして「ハンケチーフ」が欠かせなかったのを、良くご存知だった。
10月の本番には演出家にお願いして使わせてもらおう!


練習に身が入りすぎてしまい、お隣からクレームが来てしまった!
声は響くので気は使っているのだが・・・、ごめんなさい。
でも、7時半だったんだけど・・・。
カラオケボックスを活用しないとダメかな?

あまやどり

2010-05-27 23:20:36 | Weblog
2度目にお尋ねする方の最寄り駅を降りると、驟雨に出会う。
駅前にはたくさんの人が雨宿りをしていた。
傘を持つ人も持たない人も。
「後10分位すれば上がるよね!」
そんな声を聞いて私も待つことにする。

空が明るくなり、小止みになってきたので歩き出す。
1ヶ月前にお尋ねした時と同じように、それ以上に、お話できた。
地に足をつけ、ご自分をしっかり持った方なので聞いていて肯けるし気持ちが好い。
ツイ、腰を据えて、ゆっくりお話してしまう。

次の予定があり、また伺うことをお約束してお別れした。
今日は先日の母の動画まで見ていただいてしまった。


午前中は直接お会いして挨拶できなかったご家族に自宅から電話をする。
亡くなって退去という形をとった方にも連絡をしている。
もしかして、尋ねてこられたとき、知らない間に辞めていたというのは失礼だと思ったから。
ご家族は同世代なので話していると話題は尽きない。
ずっと親しく顔を会わすたびにお話をしてきた。
「若い人では分かってもらえない。」と仰っていた。

退社をするとき、ここまでする必要はないだろうが、家族と一緒にケアをしてきたと思っている私には必要な大切なこと。
お電話をすると、とても喜んでいただいた。
来月からは、一個人としてお付き合いしていくことにしている。


立つ鳥、後を引き継げず・・・

2010-05-25 22:09:39 | Weblog
どうするんだろう?と心配しても始まらない。
私の関知するところではないから、それにここまでオープンに発表しては協力してとは言えないだろう。

なんとなく予感がして、1ヶ月先までの書類作成は済ませてある。
企業は規模が拡大すればするほど融通は利かなくなる。
全て1枚の紙片で決まっていく。

ご家族と交わさなくてはいけない書面の承認も電話で了承を得ている。
後は書面を取り交わすだけだ。
相談相手がないときにはボランテイアで相談は受けると家族には伝えている。
ご入居者全員の家族との連絡の方法や特徴は書面にして残すようにした。
ホントに大規模施設でなくて良かった・・・。


ほんの少しづつしかご家族と語り合う時間は残されていないが、少しはご家族の支えになっていたのだろうと今になって思う。
家族の心理はある程度は理解できる。
離れたほうが仲良く行き来できるようになる場合も多い。

ホームに入居するのも選択の一つ。
その家族ごとの生活背景がある。


「顔が丸くなったね!」
体重が増えたわけではないけど、そういわれている。
30日が最後の出勤となるが、今日はその日の準備のために手紙を個別に書いたり、ちょっとしたものを用意したりして過ごしている。

来月の講習にスタッフの中から参加者が出てきたのが何より嬉しい。
「外へ目を向け、学ばなければ進歩がない」と気づいてくれた。





笹団子、粽、角巻き

2010-05-23 23:48:00 | Weblog
ご挨拶に立ち寄ったところで送られてきたばかりの笹団子を頂く。
新潟では旧の五月節句に笹団子を作ると聞いた。

「これは自分のうちで作るんだよ」
「作り立てをすぐ送ってきたので、まだ柔らかいでしょう」

せっかくの到来物を3つも分けてくださる。
傍にいた他の人たちにも同じく分ける。
「これから母のホームへ行くので一緒に頂きますね!」
お土産つきで母のところへ。

母にはいつもおやつを持参している。
今日はクッキーとカルピスだったが、笹団子を見せると目が輝いた。

「ツノマキ!これは角巻きって言ってね、家で作るんだよ!」
「中にあんこが入っていて美味しいの!」

母は会津若松の出身。
粽は知っていたが、笹団子のことは聞いたことがなかったので私のほうがビックリ。
私は5月節句の柏餅より粽の方が好き。
結わえてあるひごを解いて早速食べだす。
少しも硬くなかったのだろう、入れ歯も入れないまま食べてしまった。

見たこともない上機嫌で、携帯で写真を撮ったのを見たり、いつもは嫌がる写真も喜んで撮らせる。
動画まで写せた。
なんと歌まで歌うではないか!
さくら、さくら、・・・・・

食べ物の力は大きいですね!
母から笹団子、いやツノマキのことなど子供のころから聞いたことがなかった。
きっと母の母が作ってくれた懐かしい最高の思い出なんだろうな。
私にとったら、あんな機嫌よい母を見させてくれた笹団子に感謝。
10年ぶりかもしれない。
それくらい見たことがなかった。

帰るときも和やかに別れられた。


もちろんおすそ分けを頂いた方に母の様子と写真を見せてお礼を告げる。
母より10歳若い方だが、
「お元気でお若いわねえ!あたしは歌えないわよ。」
と、長生きに納得の様子。

もし知っていたら、いつでも食べられたのに・・・、と思うが、この偶然が幸いしたのかもしれない。

2010-05-20 19:16:24 | Weblog
     扉

認知小の母を老人ホームに入れた

認知症の老人たちの中で
静かに座って私を見つめる母が
涙の向こう側にぼんやり見えた
私が帰ろうとすると
何も分かるはずもない母が
私の手をぎゅっとつかんだ
そしてどこまでもどこまでも
私の後を付いてきた

私がホームから帰ってしまうと
私が出て行った重い扉の前に
母はぴったりとくっついて
ずっとその扉を見つめているんだと聞いた

それでも
母を老人ホームに入れたまま
私は帰る
母にとっては重い重い扉を
私はひょいと開けて
また今日も帰る


 『満月の夜、母を施設に置いて』より
        藤川幸之助 作詩


認知症の人は何も判らない?
出来事の全てが判断できるわけではないけれど、心の芯で分かっています。
言葉で表現するのは難しいですが、伝わる、と言ったほうが良いでしょうか。
この『扉』を読んで、全く同じ行動をする方をケアしたことがある。
その方も息子さんだった。
あるとき、息子さんがその姿に気づき、
それからは振り返り振り返り帰るようになった。
いつも、その方の頬に涙が伝わっていたのを私は知っている。


今日は、お世話になった医師に挨拶するために出かけた。
診断の方法、処方の気遣い、認知症の捉え方を患者の生活から看るなど、たくさん教えていただいた。
状態を報告する言い方一つで『BPSD』になってしまうと、今日も言ってくださった。
医師への報告は、患者(利用者)のQOLを維持するために行動を正確に伝えなければならない。
アパート経営をしてきた人が「様子を見に行きたい」というのは帰宅願望ではない。
それを、ただ「帰宅願望があります」といいがちなのだ。
利用者、家族への丁寧な説明、穏やかな物言い、最低限の薬処方にして「施設だから出来ることでしょ」とケアの力を信じてくださった。
「信頼してくださって安心ですよ」と家族に伝えられた。

「私にとって良い勉強をさせていただきました」
というと、
「ここのスタッフはセンスがいいからね」
と誉めてくださった。