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歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

贈る言葉

2010-03-31 10:39:17 | Weblog
施設も、お花見のシーズンだが、寒い!
週末もあまり良い天気予報はでていない。

勤務先の近くの川沿いは桜並木で、毎年たくさんのお花見客が来る。
そんな近くでも花見はできるが、千鳥が淵近辺までドライブを企画したようだ。
車の中のほうがお天気を気にしないでいいか。


新卒から育ててきたスタッフが、やはり3年で卒業していく。
夏には結婚するそうで、そのための転職のようだ。
障害者デイサービスらしい。
決まった時間、決まった曜日の勤務なのでそのほうが家庭はうまくいく。
「卒業おめでとう」と書いて手渡した。
私が休日などに外部講習に出かけるのを、
「見習いたいけど、休日は寝てしまいます。」と言ってくれた。
とても良いケアをするスタッフなので、デイへ行っても可愛がられるだろう。

やはり3年のスタッフから、雑談混じりながらも質問が。
「トイレ誘導は生活リハビリですよね」
生活リハビリの一部。他のスタッフで「生活リハビリは他の場面でもできている」と言う発言をこの前聞いたでしょ。
私は、そういう発想は違うと思う。
トイレで排泄することは人として当然のことよ。
例え、訴えがなくても言えないだけで誰がオムツに排泄したいと思う?
自分に置き換えて考えたらわかるでしょ。
尿の間隔が長かったり便秘しているなら、なぜトイレで排泄をしてみないのかな?
私は、うちのケアが決して素晴らしいなんて思っていないわよ。
逆行していると思う。
だからケアプランの目標に「トイレで排泄したい」と入れたり、「あるきたい」と入れたりしてるのよ。
他のスタッフには言わなくても、私にはそういうご入居者もいるから。
私がマネジメントするなら、全員をトイレ誘導する。
リスクがあるというなら、それはケア方法が間違っているからよ。

「歩くって大事ですか?」
その通り。特に認知症の方が地に足をつけるのは大切。
例え、歩けなくても立つことが大切。
足を動かすと脳が活性化する。手も動かすようになる。
抹消を刺激すると、覚醒が良くなるの。
手をさする、足の曲げ伸ばしをする。
それだけで眼が開くよ。
良い事例をあなたたちは目の前で見てきたじゃない。

もうひとつ、アルツハイマーの人は症状が進むと鏡に向かって話しかける。
決して悪いことじゃないのよ。
鏡を恐がっていると隠した家族がいたけれど、そうではないのね。
感情を表出するのは悪いことじゃない。


覚えておいてほしい。
自分で考えて、まず試みてケアしてほしい。
上のやり方に疑問を持つなら、不満をいうだけでなく自分でやってみてご覧。
評価をする専門職は、その人の一部しか知らないのだから。
「こういうケアが出来るけど、これで大丈夫ですよね」
そういって確認すればよいのよ。


移乗動作は3年間で一番上手になったスタッフである。
来年は福祉士の受験ができる。
早く合格しないと、講習時間が長くなって受けがたくなることも伝えた。

学生時代から続けているスポーツを楽しみながら働いている。
分野は違うが私と似ている。


このように自分から聞いてくれるスタッフは少ない。
質問がないと、押し付けのようで話しにくいものだ。
わずかなご入居者のケアしか知らなくて、全てを知ったと思い違いをすると、気の毒なのはご入居者である。

生きる意味はなんですか?

2010-03-27 11:41:14 | Weblog
21日に出かけた研修で講演者から問われた言葉である。

質問は、3つあった。
1、あなたの人生で一番おおきな生きる意味はなんですか?
2、生き続けているのは何があるからですか?
3、あなたの人生における喜び、悲しみはなんですか?

仕事をして、ときどき歌って、
このようなことを考えながら生きてはいない。
全ては自分で決めて後悔ないように生きたい。
そう決め、思ってきた。

最も考えもしなかったこと、それは1番の問い。
当日はわずかに与えられた時間だったが、1週間たった今でも考えあぐねている。
これからの課題になるかもしれない。


やっと「卒業」の予定が決まった。
勤務施設は5月で3周年を迎える。
それとともに私も卒業することになった。
フツーのサラリーマンと逆の週末のみの出勤となる。
後任者が5月に赴任となる。
それぞれのご家族やご利用者から相談されたことの全てを申し送るわけには行かないが、互いが困らないようにだけはしていきたい。
ほとんどが助言になるだろう。

いろいろな出会いに感謝して、お別れコンサートを企画したい。
わたぼうしのように種をまきに飛び立つ。
伴奏者の都合を聞いているところ。
6月には友人の施設で歌うつもり。
そろそろ選曲をしなければいけない。


ヒマになる!と思い、本を購入した。
○余命半年(大津秀一著)
 死ぬ時に後悔すること25(同)
 私は3年間老人だった(明日の自分のために出来ること)
    (パット・ムーア著)
 脳治療革命の明日(柳田邦男著(Bオフで購入)
○看護師長の会話術
○看護の本質(後輩に貸し出し)

 楽園上・下(宮部みゆき)

○印は読み終えた。大津氏は34歳と若いが、緩和医療の医師である。
パット・ムーア氏は、わずか26歳の時の実体験をつづっている。
工業デザイナーとして、デザイン性ばかりの追及になり、高齢者の実生活に役立たないと思ったことから自ら実験したという行動的な女性。
このブログで以前紹介した「目を開けてよ看護婦さん」という高齢者自身の詩は、この著書の中に全文があるものだ。
アマゾンで注文し、やっと届いた。(増刷がされていない)

そして、もう1冊は「認知症のスピリチュアルケア」。
認知症の人と「どう生きるか、自分が生きている意味」を話し合っていくケアは、私にとっても今後の指針になると思う。


先日、ふとテレビで耳にした。
「人間の細胞は3年間で全て入れ替わる。」
皮膚が28日で入れ替わると知っていたが、
と、すれば・・・、
私は何回、何十回(笑い)入れ替わったんだろう。
もしかしたら、突然変異も起きたかも!
と、すれば、
どこかで別の私に変化していた可能性も無きにしも非ず。

ちょっと楽しい!(笑い)



スピリチュアル回想法を知る

2010-03-23 23:04:19 | Weblog
メイン講師は、NHKのドキュメンタリーでも取り上げられた、エリザベス・マッキンレーさん。
女史、とか先生と呼ぶべきなのだろうが、親しみを込めて呼ばせていただいたほうが喜ばれるような気がする。
お話される、質問に答えるときの笑顔が優しい方だった。

『1995年、46歳で認知症と診断されたクリステイーン・ブライデンの相談相手になり、その深い対話からクリステイーンの著書「私は誰になっていくの?」が生まれ「スピリチュアル回想法」がつくられた。』(プロフイールより)


認知症本人が自分の言葉で語る時代の幕開き。
それは、わずか7年前のこと。
患者から『人』へ見方を変えること。

文化の違いはあるものの(深いキリスト教信仰の裏づけ)、認知症の人の心の変遷や不安などは日本人も同じ。
認知症の人の話を聞き(傾聴である)、振り返りができるようにする。
言葉で書くと簡単だが、日ごとに乏しくなる言葉や理解力の中で、その人の心配なこと不安などを的確に話せるようにするのはかなりなコミュニケーション力が必要になる。
当事者との信頼関係も大事であろう。

*認知症の人と、より的確にコミュニケーションする方法
*認知症の人の抑うつ状態を軽くするための方法
この2点を中心に考えられた。


回想法は、少し前から認知症ケアに効果的だといわれてきた。
この一般的な回想法は、こごの昔の出来事を思い出させること。
音楽も含まれる。

グループワークで行うが、フアシリテーター(進行役)の話術というか技量で左右される。


参加者の中から、質問ではないが、こんな話を聞いた。
48歳で認知症を発症したお母さんを15年間介護してきた29歳の娘さん。
お母さんが、あるとき小声でぶつぶつつぶやいているのに気がついた。
耳を傾けて聞いてみると、
【神様神様、どうか子供たちをお守りください。
とても優しい子供たちです。
私はみんなを苦しめました。
私はもう守ってやれませんので、
私の代わりに守ってください。】と、言っていたそうだ。
娘さんは「私の名前が出なくなっても、心まで壊れてしまうわけではないことがわかってよかった。」と話していました。

認知症当事者の参加もあり、
「こんな私でも生きている意味があるのか?何か出来ることがあるのか?」という質問があった。
この方は、発症して5年だそうだ。


私も100人以上の認知症の人たちにお会いし、ケアしてきた。
一人一人、同じ病気でも症状は異なる。
わからなくなっていく過程では、ご本人が一番イラつき情けなく思っている。
どんなに症状が重くなっても人の顔の区別はつくし、好き嫌いもある。
例え、家族の名前がわからなくなっても、親しく尋ねてくる人は見分けられる。
認知症の人は、とても敏感なので、自分の心が鏡のように返って来るのがわかる。
自分の心が穏やかだと、あいても穏やかなのだ。

そのためには、自分が健康でなければならない。
「してあげるケア」から「ともに歩むケア」へ。

「ともに歩む」、肩を並べて歩む、は私の一番好きな言葉である。

生活リハビリって、知ってますか?

2010-03-21 00:00:41 | Weblog
リハビリ、リハビリテーション、という言葉はご存知でしょう。
半身麻痺になった人、身体に障害を持つ人、
交通事故などで骨折後の人、など。

現在は、発症後速やかにリハビリを行われています。
術後でも、抜糸と同時かまたは数日後から。
脳梗塞の発作後でも、意識が戻れば少しでも早く。
知らない人からすれば「酷いことを」しているようにさえ見えるかもしれない。
急性期が過ぎると、リハビリ専門病院でのリハビリを行う人もいる。

数日前、テレビで大人用紙パンツの創成期を放送していた。
今では当たり前に小売され、市や区でも支給対象になっている「大人用紙パンツ」。
いわゆる「リハビリパンツ=リハパン」
わずか15年前の1994年に、初めて作られ売られたそう。
当初、売り込みに行ったのは特別養護老人ホームと病院。
どちらの反応も芳しくなく「オムツが使いよい」といわれたそうだ。
受け入れられたのは、リハビリ専門病院。

「自宅へ戻るためのリハビリ(生活リハビリ)のためには素晴らしい」と評価されたそうだ。
現在では生活の中の日常生活動作が「リハビリ」になるのは、介護現場で知らない人はないだろう。

オムツではトイレへ行きづらい。
まず自分では出来がたいし、ケアする方も困難だ。
(全くできなくはないのです。因みに私は出来る)

昼休憩のとき、この話をしていたらベテラン看護師も「そういえば、病院ではリハパンなど使っていなかったね。」
みんなで、わずか15年しか経っていなかったんだ!と改めて納得。
考えてみたら、赤ちゃんの紙おむつは、とっくにあったよねえ。
大人用へ、という発想は生まれなかったのだ。


自立支援が中心のケアになり、生活の中のリハビリが主になりつつある。
介護度が重くなるのも努力して自己責任として防がねばならない。

リハビリ、というとタイヘンなことを想像されるが、実はそんなに難しいものではない。

食べる、寝る、排泄する。
歩く、着替える、顔を洗う、歯を磨く。
頭を洗う、梳かす、お風呂に入る。

普通に自分は毎日していることだ。

食べる:箸が使える・スプーンで食べる・介助が必要。
寝る:寝返りができるか?、起き上がれるか?
排泄:①自分で出来るか・②介助が必要か(1人か2人介助か)・常時オムツか?

リハパンが効果的なのは、①と②.
つまりトイレで排泄できる人。
「トイレへ行きたい」という自分の意思が表示できない人でも、人間の営みとしてトイレでの排泄を促していくべきだと私は思う。
・尿意がないから、・訴えがないから、
・ろくに立てないから、
意思の表示が曖昧なだけで、もしかしたら別な行動で伝えている可能性もある。

あるときのカンフアレンス、
聞き様によっては危ぶまれる意見が出た。
「トイレ誘導は、生活リハビリとしてしてるんですか?」
「移乗動作で充分リハビリはできてるから・・・。トイレの訴えは聞かれないですよね。」

それに対して私の意見、
「誤解しないで聞いて欲しい。排泄は人間の営み、例え訴えがなかったとしてもトイレで排泄できれば気持ちが良いじゃない。
リハビリとはまた違うと思うよ。」
トイレ誘導は続けることになったが・・・。

たまたま近くにいたので言えたが、
自分が行うケアを「自分がされたら?」という発想にならないのが不思議だった。


介護、特に施設は、小さな親切大きなお世話、になることも多い。
中途半端でも、遊びに見えても、
自分でしようとしているなら、手を出さずに見守ればよい。
3食後、毎回キチンと歯磨きする必要があるだろうか?
箸を持って食べようとしている人に介助の手を出す必要もないだろう。
3食、残さず食べなくたって良いのではないだろうか。

この人にとったら、危険だな、無理だな、と感じたときは休止すればよい。
日によって、調子によって、できることも変化するからだ。
こう決めたから、こうでなければ!で、あれば、
ややもすると「臨機応変」のケアが出来なくなる。


話を戻そう。
生活リハビリ、という介護用語は、まだ出始めたばかり。
3年前の介護保険の改定で「自立支援」が強く打ち出されてから、何かにつけ取り上げられるようになったと思う。

究極の「生活リハビリ」?
毎日歩くこと、地に足をつけて立つこと、ではないでしょうか。

はるだよね~

2010-03-18 18:22:02 | Weblog
発症したのは、まだ「花粉症」という名前がなかった頃。
ただの「アレルギー」と診断されました。

杉だけではないアレルギー体質なので、ほとんど一年中。
杉花粉と黄砂が一番酷くなるので、これからが辛い時期。
眼や鼻はもちろん、口の中は乾く、耳の中まで痒くなる。
おまけに、体調も悪くなる。

なんと言っても声が出難くなるのは辛い。
声帯も炎症が起きてるのでどうしようもない。

今年度からは歌の本番の回数を増やそう。
歌っていないと、使っていないと、筋肉は付かない。
この4,5年、ほんとに本番をもてなかった。
取り返せない年数だが、もう一度、取り組んでみたい。



それでも春が近づくと、心が軽くなる。
美容院へ行って、春向けの服を買って、気分転換をする。
今月は、母の誕生日。
今年は施設の誕生会に出席できる。
お祝いの年なので、よかった。
プレゼントに、ブラウスなどを用意している。
数を置いておいても、あまり着せてくれないのが悲しいが、そこまでの思いやりをケアに持て、というのは酷かもしれない。
私が入浴の準備をすれば問題はないはずなので。
ただ、これまでは週に1回はいけなかった。
自分の体が壊れる。

行くたびに掃除をするが、その都度、母は「なんにもできなくなって」という。
いまだに自分で何もかもしているつもりでいる。

お母さん、あなたは掃除も片付けもしなくていいの、
週2回スタッフが行う掃除では、私が満足できないだけだから。
こういうところは綺麗好きなんです。

耳が聞こえないので大声で話す。
私はボデイコミュニケーション。


旧暦では弥生。
弥生、ほかにも「花見月」「桜月」なんていうのがあった。
旧暦は、ほぼ1ヶ月遅れだからそうなのね。
明治5年12月2日を、明治6年1月1日にしたのだから。

鶯の啼き方が大分上手になってきた。
去年までの鳥と違う(?)
垣根の低いところで囀る声が小さいし、あんな垣根のところで啼くなんて。
去年までの鳥は、携帯で録音できたほどミゴトな囀りだった。
代替わりしたのかもしれない。