平均寿命から見れば、大往生の年齢である。
血管が硬くなり、点滴の針が維持できなくなりつつある。
口から食べる意欲は、ほとんどなくなっている。
あれほどしっかりした意思の方だったが、
めったに声を出さなくなった。
それでも、お世話をすると、
「ありがとう」
「何もお出しするものもなくてごめんなさいね。買い物にいけないものだから」
ということがある。
何人ものお孫さんを預かったり、世話をしたそうである。
その証拠に、お孫さんたちの訪問も良くある。
「良い天気ですよ。」
「外へ出かけたいねえ。」
「どこへ行きたいですか?」
「そうねえ、何処でもよいけど・・・、お墓参りに行きたい。」
「お墓は何処なの?」
「チョット遠いの、**霊園」
この方の看取りを家族と話し合った。
そのときになって慌てないように、心構えと具体的な動きを確認した。
最後まで静かに見送ること。
葬儀が決まるまで遺体は安置し、スタッフもお別れすること。
仮通夜をすること。
ご本人が行きたいと話されていた「お墓参り」を打診してみる。
家族は了承。ご自分たちも一緒に行くという。
ご本人の体調の良い時、なるべく早く、天気の良い時、が条件。
家族の都合とこちらの都合とあわせ、連休明けの週になる見込み。
介護タクシーでリクライニング車椅子。
看護師と私が付き添い、酸素ボンベ、吸引セットも持参する。
入居して1年。
一時は「せん妄」が強く起きて、点滴台を引っ張りながらの徘徊もあった。
しばらくぶりであった息子さんを「ドロボーッ」と叫んで、
息子さんがショックを受けたこともある。
そういう時期が3ヶ月、
「起こしてー、開けてー(開いている)」と、よく叫んでいる。
淋しがり屋で、居室で寝ていられない人である。
モーニングケアで訪室すると、なんともいえない安心した笑顔をする方である。
その顔を見ると何をされても、全て許してしまえる。
それが認知症ケアの醍醐味だ。
その人が、今は静かに寝ている。
衰弱した身体には負担が大きいが、
心残りとなった「墓参り」に、何とか一緒に行きたい。