歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

旅立ちの季節

2009-03-31 10:51:09 | Weblog
あすから、もう4月。卒業の季節が過ぎ、いよいよ新生活への旅立ち。
私にも、そんな季節が何度か(笑い)あった。

上を向いて歩くほど涙がでたことはないので、前を向いて歩いている。
少し先の予定を立て、立ちどまらなくてすむように、振り向いている間のないように心がけている。
それが私だと思うから。

入居者や同僚と藤間紫さんのなくなられたニュースを見ていた。
「お幸せだったわね。」
「いいわよね、こういう人生。」
ほとんどが連れ合いを亡くした方ばかりである。

「78歳で再婚?まだまだ私も期待していいわね!安心した!」
と気分を変えていうと、
「出来ないできない、まるで色気ないんだから。もっと女でいなくちゃ!」と。
大笑いになる。
しんみりした空気が明るくなった。

職場で色気、とは間違っても思わないが、
男性スタッフより男らしい?かもしれないのは事実(笑い)。
介護職を志す男性は、本当に優しい。
別の意味、優しすぎる。長所であり欠点にもなるのをわかってほしい。

施設の介護スタッフは若い。どこの施設でもいえるだろう。
狭い施設内の入居者同士の相関図が察しられないのだ。
第三者的に見ているだけで、個別に話を聴いているだけで、自然とわかると思っていたが、スタッフの性格によって察しられないのを発見した。

「まさに、『発見!』」
施設内のコミュニテイは、ご近所付き合いそのものである。
AさんとBさんは犬猿の仲。Cさんとは誰も同席したがらない。
スタッフのDのことは、EさんとFさんは大嫌いだから個別付き添いは×。
スタッフGのことも嫌っているのは誰、とか。

これ、自立とされている入居者の意思なので、とてもトリモチが面倒なのだ。
お出かけの時は、『スタッフ誰々が付いて行き、入居者誰々が参加します』と、予め了承を得ておかないと、あとで苦情が出てくる。
苦情を聞かされるのは・・・、私。
お花見ツアーのメンバーを見て、即。

見ているはずなのに、ナ~ンニモ感じてなかったんだア!
アクテイビテイ担当を今年度から任せたのだが、先が思いやられる。

明日から新入社員が配属されるが、教えるプリセプターの経験も薄いので、一人立ちまでの3ヶ月間でどこまで育ってくれるかは不安である。

スタッフのすることに対し、出来るだけは見守って、限界近くなる前に口出しするようにしている。(これ、ストレスの原因の一つなんです)
限界前になると、
「私だったらこうしている」
「あのままでいいのかな?」と投げかけるようにした。
もうひとつは、私が動いてみて、他に方法がないかを考えさせる。

何が必要なのかに気づかないのだから仕方がない。
私がしたいことを実行するまで、半年かかる。実行できてくだけまし!

さあ、前を向いていこう!

年を取ると・・・?

2009-03-28 21:16:13 | Weblog
いつも10歳はサバよんで・・・、いや、そうじゃあない(笑)。

老人といわれる年代になると、人間が丸くなる。
そのように世間では言われております。
が!
どっちかとゆ~と、角ができ(?)チョイトぶつかるとコブが出来かねない。
そうはいっても、個人個人お付き合いすると楽しい方も多い。
一度気心が知れると、とことん信頼してくださる。
気難しくて、誰のケアも受け付けない方に受け入れてもらえると、ケアをしている醍醐味を感じる。

時々、自分の行く先が見えるようで複雑な気持ちにもなる。
さぞ小うるさい年寄りになるだろうなあ。
とにかく介護の現場にいると、自分の老後が察しられてしまうし、経済力もわかっているので、誰にも知られず旅立つような気もする。
そういう歳まで生きていられたらの話だ。
こればっかりは計画通りにはならない。

25日は母の誕生日だった。
本人は忘れてしまっていたが、何とか調整して訪問できた。
今年も施設の誕生会には出席できずじまい。
母には悪いけど、自分の予定を優先させてもらっている。

1年ほど前から、造花を刺しているビンに水を入れているようになった。
入居した当時は、植木鉢をおいていたが、やがて水のやりすぎでダメにするようになり、3年前から花が好きな母のために造花をいくつかおいている。
訪問するたびに水が・・・、入れてから大分日にちが経っており水が腐敗していた。
スタッフは気が付かないんだなあ。
うちのスタッフでも似たようなものだ。細かな気配りは指導しないと。
お茶用のカップも、行くたびに洗う。

就職難民の再就職先として介護施設を挙げているが、これほど異動の多い職場は他にないだろう。介護保険料3%アップ分は、介護現場スタッフの給与にあてられるというが、有料老人ホーム(特定施設)は、それほど当てはまらないのだ。

数日前の2時間ドラマで在宅介護ヘルパーのことを取り上げていた。
介護支援が困難事例の利用者を担当し、その心の隙間にはいり心をつかむ。
やがては利用者のお金を詐欺する。
最後には返金して、出直すというストーリーだったが、複雑な思いが残った。

介護をしている内に人間として交流が生まれる。
仕事として関わる以上に、その人のためになることならして上げたくなる。
その線引きがとても難しい。
「職務上できない」というと「融通が利かない」「冷たい」といわれる。
利用者の方も、「自分だけ」の付き合いをもとめがちなのだ。
それは、在宅でも施設でも変わらないが、在宅は1:1なので、より密接になってしまうのだろう。


介護現場では、常に親以上の世代の方々の厳しい視線で見られていることを忘れてはいけない。お耳が遠いと思われている方から、意外なお話を伺うことさえあるのだ。老人性難聴には聴き易いヘルツがあるのだろう。


今年になってからの忙しさが、今になって身体に出てきている。
全身だるくてどうにもならない。
スタッフへの思いやりなんて、出来ません!と、宣言した。(笑い)

認知症の人の入退院

2009-03-26 23:01:27 | Weblog
普通に生活していても認知症の人は環境変化に影響され易い。
まわりの景色、人間、言葉の強弱、表情、つまり、自分以外の全てが環境となる。

施設生活にやっと慣れたころ、転倒事故などで入院。
大腿骨頚部骨折だと、1ヶ月はかかる。
認知症の人は、治療という名の下で拘束される。
普通、術後1週間からリハビリをするが、認知力がないためにリハビリの意味が理解されないので、自分から運動することはマレ。
リハビリといっても他動運動になってしまう。

骨折し、1ヵ月半の入院から帰り、その10日後に原因不明の炎症熱で再入院してしまったNさん。
再入院から10日後に、全ての検査を終えて退院してきた。
特に悪いところはないと言う看護サマリーだった。


入院前まで、Nさんの出来ていたこと。
1、腰も膝も曲がっていたが、杖歩行でけっこう歩けて散歩へも行けた。
2、出された食べ物、飲み物はきれいに食べていた。(いくらでも食べられる)
3、時々失敗はあるが、トイレも自分で始末できた。
4、着替えは自分で行い、声を書けると顔も洗えた。
5、誕生日と年齢も言えた。
6、感情失禁が良くあった。(笑い泣きの)

現在のNさん。
・立つことさえおぼつかない。お尻が5センチ上がるだけ。
 もちろん歩けない。(本人は「歩けます」というが)移動は車椅子である。
・食べ方が判らないときがある。声を掛けないと食べだそうとしない。
 「これ?私の?食べていいの?」と迷ってしまう。
 水分も勧めないと手に取らない。
・排尿・排便、ともに全くわからなくなっている。オムツである。
・着替えを出すと、協力動作はしてくれるが、そこまで。
・年齢どころか誕生日も季節も判らない。子供が何人いるかも分からない。
・まわりに無関心、表情に乏しい。自ら言葉を発しない。


あまりの状態変化。
区分変更を出し、調査に来てくれた調査員も話を聞いて驚いていた。
病院では看護師の介助で食べていたらしいが・・・。Nさんは食べるのが好きだった方である。
退院から1週間たち、少し感情が出るようになってきたが、Nさん独特の笑い泣きはまだ見られない。
すきそうな飲み物やおやつなども試しつつ、
まず、食べること、飲むことからケアしている。
家族の要望は「たくさんの人とのお付き合いをして、刺激を持った楽しい生活」だが、今のNさんには生きるための支援が必要。

それでも「Nさん可愛らしい」「良く出来ましたね!」とかスタッフが言うと、
「そんなお世辞を言わなくてもいいわ」といういつもの答え方だが、
退院したばかりは怒り口調だったのが、笑い顔が混じってくるようになった。


環境変化に弱い認知症の方は、場所(居住の)移動に最も混乱をする。
入院時せん妄、という言葉があるくらいだ。(入院時せん妄は一般高齢者にも出現する)
治療を最優先とする病院では、治療の妨げになる行為をする場合、手や足を動けないように拘束することが許されている。つまり、認知症患者の場合動ける人でも「寝たきり」の形になってしまう。

病院は病気や怪我の治療をするところと判っているが、認知症患者は「人格を持つ人」と扱われていないのではないかと辛くなってしまう。

市民オペラ旗揚げ公演

2009-03-24 22:56:17 | Weblog
町田市に出来た新しいオペラ団体の第1回公演が週末にあった。
出し物は、現代版演出「ドン・ジョヴァンニ」。

こちらで一緒に歌っているバリトン君が騎士長役で出演。
ジョヴァンニ役も馴染みあるバリトン。
私がエルヴィラを歌ったときは、彼はレポレッロだったよねえ。

出演している歌い手は、みんな若く、世代交代を感じてしまう。
なかなか聞き応えのある演奏だった。
改めて聴くと、出演の場は少ないが、騎士長は存在感がある役だと・・・。
小ホールの良さを活かした演出で、
終幕では、ジョヴァンニを食ってしまうくらい聴かせてくれた!
どちらも親しくしているので、嬉しかった。

その直後のフアイナル「六重唱」は、どうしても付け足しに聞こえてしまう。
この時代のオペラは、昔話のオチみたいに付け足される。

ドン・ジョヴァンニは、バリトン主体で構成されている。
モーツアルトはバリトンが好きだったのだ!ナ~ンて。(笑)
いえ、これほんと。
バリトン主役のオペラばっかりなんです。
ええ、私もバリトン大好きですが!(笑)
ま、耳元で歌われると鼓膜が鳴る~!ときも・・・。テノールよりウルサイ(笑)
耳鳴りの原因だったりして?(まさか、ね)

ジョバンニをうたぅたH君は、普段はモーツアルトは歌わない。
「多分、次はないと思うんで・・・」と笑っていた。
歌える機会が与えられる時に歌っておく。いいよねえ。
彼も、まだ歌だけでは生活できないので他に仕事を持っている。
立て続けの本番と、生活のための仕事。
ほとんどの歌い手は二重生活をしている。若いからできるのよねえ。


くやしいけど私は、歌は楽しみ程度にして、生活のための仕事に重点をおかなくちゃ身が持たない。疲れて声がでなくなる。
自立生活を1年でも長く続けるには、スキルアップを常に考えていかねば。
人間相手の仕事では、常に学ばなければ一歩先をあるいていられない。
全く、生涯学習そのものだ。

知りたいから、というのが一番あっているかもしれない。

願うならば、仕事が半分で給料が同じであれば・・・、いいよなあ。

おみやげだよ~!

2009-03-20 22:40:44 | Weblog
「ほら、見られないうちに隠しておきなよ。
 **屋のおせんべい、田舎に帰ったから買ってきたよ。うちでおつまみにしてビールでも飲みなさい。」

入居して何度かきいた、これまでの住まいの近くの煎餅やさんのお煎餅。
お墓参りに行って来たからと、わざわざお土産に買ってきてくれたらしい。
「何か貰いたいなんて思ってないから、あんたに食べてほしくてね。」
しきりに繰り返し言う。

自分用には、太るのを気にして1袋のこし、それも「一緒に食べよう」と振舞ってしまう。
暮れからお預かりした、懐かしい訛りの残るYさん。
わざわざ私に食べさせようと買ってきてくださる、その気持ちが嬉しくて抱きしめてしまった。
とても返すことは出来ず、ありがたく頂く。
Yさん推奨の**屋の手焼き煎餅!
それにしてもたくさんあるなあ・・・(笑い)

入居当初から顔を覚えてくれ、信頼してくださっているようだ。
夕食後の帰宅願望も私といる時は、ほとんど出ない。
落ち着いて話をしたりテレビを見たりしている。
はじめは、私もここに住んでいる人。
今は、ここに勤めているが、時々泊まる人。
まだ名前を覚えてくれないので、覚えてほしい、とお願いしている。
名前の方が、姪御さんの子供と同じだとかで、ひょっとしたら覚えて・・・?

もし覚えてくれたら、
ドネジペルの効き目か?
ケアの力か?
私とのコミュニケーションか?

さあ、ドクター、判断は?


他の入居者への暴力行為が問題になっていたAさんも落ち着いている。

・向精神薬を増量ーーー>嚥下不良・歩行不安定・食欲不振
・全ての薬を中止ーーー>素のAさん(認知症周辺症状かなり大)
             共同生活は困難の判断をするべきか話し合う。
・向精神薬の再開(見直し1種類投与)
        --→>嚥下機能回復・歩行安定・食欲アップ
             他の入居者へは手出しなし、スタッフのみ(遊び?)

大規模施設のほうが目立たないので転居を進めるかまで話し合っていた。
家族関係なども影響しており、ケアのスキルや服薬調整のおかげとばかりは言い切れないのだが、本人のためにも良かったと思う。


認知症ケアは、ホントに奥が深い。
人間の深層心理を目の当たりにする気がしている。