会う人たちについて、いい人、いい人と思うのと、あれが嫌いこれが嫌いと思うのでは
かなり人生が変わってきます。この会社はダメだと思いながら、働いていると
いい仕事はできません。また、一日の終わりに、今日良かったことを思い浮かべる
のと悪いことを思い浮かべるのとでは、幸福感がまるで違ったものになりますね。
かけがえのない一生を明るく愉快に送ることも、暗く不愉快にしてしまうのも
われわれの心の持ち方いかんによって決まるものです。
仏教では幸福のことを「無憂」と言います。
憂い、つまり悩み事のないのが幸福だとするのです。幸福とは何も特別なことが
起きたとか、人よりもずいぶんと優れた状態に置かれているとかいうのではなくて
たとえば、朝元気に起きられたとか、働くことが出来てお給料がもらえたとか、
家族がいるとかというような、いわば平凡な暮らしの中にあるのです。
われわれの住むところは、仏教では娑婆といいます。この世は生老病死や人間関係、
さまざまな欲望など、多くの煩悩に耐えていかなければならない世界であり、娑婆とは
忍土と約されます。われわれはそういう世界に住んでいるのですから、そこでの幸福とは
憂いのない状態です。今日を無事に過ごすことができたのは幸福であったとまず考えるべきなのです。
幸福の極意とは、
「幸せであろうと思うな、不幸になるまいと思え」
無事に過ごした今日を感謝いたしましょう。
合掌
命光不動尊 http://www.meikoufudouson.jp/