命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

無執着について「お釈迦様の教えです」

2015年08月17日 07時40分11秒 | ひと口法話

ある日の事、お釈迦様が弟子を連れて、法を説きながら歩いて居られました。

一行は川にさしかかりました。歩いて渡りかけたその時に、

川を渡る事が出来ずに困って居る若い女性が居るのを、お釈迦様が気づかれました。

すると、お釈迦様はその若い女性に声をかけ、おぶって川を渡りました。

女性と別れてからしばらく歩いていると、弟子の一人がお釈迦様にこう尋ねました。

「お釈迦様、なぜ先ほどの女人を背負われたのでしょうか。我々は出家の身、

戒律では女人との拘わることは、禁じられておりますが」

するとお釈迦様はこう言われました「お前たちこそ、いつまで先ほどの女人を背負っているのだ」と

弟子たちは顔を赤らめ、またお釈迦様の後を歩いてついて行きました。

お釈迦様は、か弱き女性が困って居るから、手を差し伸べただけでした。しかし弟子たちは、

その女性の姿を思い続け執着していたのです。お釈迦様はこの執着心を、おとがめに成りました。

私たち一つの事に捉われると、他の物が見えなくなってしまいます。

一本の材木が大きな川を流れています。この材木が海にたどり着くには、

岸に打ち上げられない様に、川の真ん中を流れなければなりません。

人生もこれと同じで中道を行き物事に捉われない事です。捉われない事とは、執着するなと言う事です。

人は執着する事によって、迷いや苦しみがもたらされるのです。仏教は執着心を捨てよと教えています。

人生は捉われない生き方の修行場でもあります。


好き嫌いは他人が決めますんやで

2015年08月17日 05時13分27秒 | ひと口法話

「人に好かれたいんですけど、どうしたらいいですか」

こんな質問を受けることがよくあるんですわ。

そやけど、「どうしたら好かれる」とか考えとること自体間違ってまんがな。

「あんたを好きか、嫌いか」っていうのは相手さんが決めはることです。

相手の自由を奪って「私を好きになってえな」なんて通用しまへんで。

相手さんの為、相手さんを喜ばせる為にどうするかが大切やでー

好かれるかどうかはその結果ですわ。

「好かれたい」「信頼されたい」と思うんは人間のエゴですな。

そんな思いが根底にあるうちは、人との付き合いはうまくいきまへん。

「相手さんのために役に立つことをする」これが基本ですわ。

仕事でも恋愛でも一緒でっせ。