ある日の事、お釈迦様が弟子を連れて、法を説きながら歩いて居られました。
一行は川にさしかかりました。歩いて渡りかけたその時に、
川を渡る事が出来ずに困って居る若い女性が居るのを、お釈迦様が気づかれました。
すると、お釈迦様はその若い女性に声をかけ、おぶって川を渡りました。
女性と別れてからしばらく歩いていると、弟子の一人がお釈迦様にこう尋ねました。
「お釈迦様、なぜ先ほどの女人を背負われたのでしょうか。我々は出家の身、
戒律では女人との拘わることは、禁じられておりますが」
するとお釈迦様はこう言われました「お前たちこそ、いつまで先ほどの女人を背負っているのだ」と
弟子たちは顔を赤らめ、またお釈迦様の後を歩いてついて行きました。
お釈迦様は、か弱き女性が困って居るから、手を差し伸べただけでした。しかし弟子たちは、
その女性の姿を思い続け執着していたのです。お釈迦様はこの執着心を、おとがめに成りました。
私たち一つの事に捉われると、他の物が見えなくなってしまいます。
一本の材木が大きな川を流れています。この材木が海にたどり着くには、
岸に打ち上げられない様に、川の真ん中を流れなければなりません。
人生もこれと同じで中道を行き物事に捉われない事です。捉われない事とは、執着するなと言う事です。
人は執着する事によって、迷いや苦しみがもたらされるのです。仏教は執着心を捨てよと教えています。
人生は捉われない生き方の修行場でもあります。