お釈迦様は生れた時に「天上天下唯我独尊」と言われました。
唯我独尊という言葉は、「世の中で自分ほどえらいものはいない」という意味と
考えられていますが、そうではありません。
お釈迦様の言う唯我独尊とは、この世の中でみんなそれぞれにお互いに一人一人
かけがえの無い尊い存在であり、かけがえのない尊い命であると言う事です。
お互いにみんなそれぞれ尊い存在です。ですから、相手の立場を認め、理解し合うことが
大切であります。
合掌
お釈迦様は生れた時に「天上天下唯我独尊」と言われました。
唯我独尊という言葉は、「世の中で自分ほどえらいものはいない」という意味と
考えられていますが、そうではありません。
お釈迦様の言う唯我独尊とは、この世の中でみんなそれぞれにお互いに一人一人
かけがえの無い尊い存在であり、かけがえのない尊い命であると言う事です。
お互いにみんなそれぞれ尊い存在です。ですから、相手の立場を認め、理解し合うことが
大切であります。
合掌
花は美しく咲いた後、種子を残して枯れていき、そして再び花を咲かせます。
人間も同じで、子供を作り、育て、そして死んでいきます。この世の生物のすべて
そうであり、それが自然の摂理です。
「落ち葉は、吹く風をうらまない」という言葉があります。
木々に残っている枯葉は、やがて風に吹かれて舞い落ちます。一枚一枚舞い落ちて
やがてすべてがなくなります。そして季節が巡ると木々は新芽をつけていきます。
自然そのものの姿であり、これを仏教では「自然法爾」と呼んでいます。
「自然」とは仏教の読み方では「じねん」と読みますが、大自然の「しぜん」のことです。
「法」とは仏教の教えのことで、ここでは、万物全ての法則といった意味合いです。
「爾(に)」とは「しかり」の意味を持ち、「自然法爾」とは万物大自然のありのままの姿です。
落ち葉は落ち葉としての生命を全うして、地に落ちるのです。その現象は、私たちの生命の
つながり、繰り返しと同じであります。
「落ち葉は、吹く風をうらまない」
時節が来れば、一切の生命はこの世を離れなければならず、その運命をうらまないことです。
合掌