命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

遠いところ、よう、お参りいただきました

2015年08月13日 20時56分51秒 | ご供養

本日は愛知県より妹さんのご供養で信者様が御参りに来られました。

お盆中の渋滞を意識され、夜中の2時ごろに出発されたようです。途中、仮眠を取られたそうですが

運転は心身ともに気を使いますので、お疲れになられたことと思います。

四家供養法要後、一粒満腹長者供養を修法させて頂きました。

妹様はこぼれるような満面の笑顔で大変お喜びのご様子でした。

 

タイトルの「よう、お参り」は登山やお寺の参拝、巡礼などですれ違った人に「よう、お参り」と

声を掛け合っているのをお聞きになられたことありませんか?「よう、お参りでございます」と

見知らぬ人でも声を掛け合うと心も和やかになりきもちのいいものですね。

「よう、お参り!」

 

 

 

 


無宗教葬

2015年08月13日 14時58分09秒 | 寳顕さんのひとりごと

日本人が仏式葬儀を営む意味はいろいろありますが

最も大きな意味合いは故人を仏弟子として浄土に往生して

いただくということです。

最近は無宗教葬ということが、しばしば言われております。

宗教色を無くして音楽などを流して故人を偲び、送るというもので

昔はなかった形式です。現代にこういった形の葬儀が行われるようになったのは

なぜでしょうか?

昔は人が死ぬと、その霊魂はあの世に往き、そこで安穏の暮らしを送るか

あるいはこの世に蘇って、何らかの生命に生まれ変わると信じてました。

輪廻転生の考えであり、その中でも、広く信じられていたのは

故人の子孫の中に生まれ変わるという思想でした。

 

昔の人は死は終焉ではなく、その彼方に別の世界があることを

素朴に信じていました。だから、日頃からよりよい来世に入ることを願い

霊魂の存在が永遠に続く世界を夢見てきたのです。

ところが近代になって自然科学的な思考が一般化していくと

霊魂の存在や輪廻転生は証明できないものとし、死語の世界、魂の存在

に疑問を持つようになりました。

そのために死者を送る作法である葬送の儀礼も変化し、揺らぎはじめたのである。

「無宗教」ですと、ただお別れを告げるという形式であり「なんとなく気持ちが治まらない」

と感じるのも無理もありません。

無宗教で葬儀を行った人の中には仏式で葬儀をやり直した人もおられます。


おまじない

2015年08月13日 05時24分29秒 | ひと口法話

小さい頃、怪我をするとお母さんが「痛いの痛いの飛んでけ!」と言って

優しく擦ってくれたり、吹いてくれたりした思い出があります。

そんなおまじないのような言葉でしたが、不思議なことに痛みが本当に軽くなる

ような気がしました。しかし、それは気のせいではなく、実際に痛みが軽減されていたのです。

よくお腹が痛いときなど、家族や看護師さんが優しくお腹を擦ると、痛みも和らぐというのも事実です。

人は言葉一つで変わります。人を奮い立たせるのも、奈落の底へ突き落とすのも言葉です。

慈愛の心からほとばしり出てくる、親しみと思いやりの言葉を使いたいですね。

あるお医者さんの話です。

長い時間かけて赤ちゃんを手術したとき、次の日に赤ちゃんがミルクを20cc飲んだとすると

新米の看護師さんは、「20ccしか飲んでくれない、どうしましょう」と不安そうに言う。

するとそばにいたお母さんが心配しはじめる。そうすると、なぜか赤ちゃんの容体がどんどん悪くなって

くるそうです。

ところが、ベテランの看護師さんは、「20ccも飲んでくれてよかったですね」と言う。するとお母さんが

「よかった」と思い、その心が赤ちゃんに伝わるのか、赤ちゃんはどんどん回復してくるそうです。

同じ20ccでも、医者や看護師の言い方によって、赤ちゃんの手術後の状態は天と地ほどの差が

でてくるそうです。

ほんのちょっとの思いやり。

大事ですね。

合掌 

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/