明治乳業争議団(blog)

働くルールの確立で人間性の回復を!

なぜ、松戸市の浅野茂太郎社長宅周辺で訴えるのか。(明治乳業争議の解決をめざし)

2011年02月21日 17時20分27秒 | レポート
浅野茂太郎社長が居住する町内くまなく宣伝


  明治乳業争議支援千葉県共闘会議と明治乳業争議団は2月20日、総勢37人の仲間が6班に別れ、争議解決をめざし松戸市の浅野茂太郎社長宅周辺での訴えと社長宅に要請行動を行いました。
明治乳業支援共闘会議の松本議長は次ぎのように訴えました。

 
 明治乳業は1960年代後半、まともな労働組合を潰し、儲けを増やすため「インフォーマル組織」をつくり、全国の工場の労組を次々と乗っ取りました。その後、労働者に「赤組」「白組」「雑草組」のレッテルを張り、まともな労組活動を行っていた「赤組」には徹底的に賃金差別を行いました。大阪工場で正社員で働いていた糸賀さんは、60歳定年時の基本給が15万円、手取り18万円で退職しました。もちろん一回も昇格していません。

 当然、労働者は東京都労働委員会や東京地裁に訴えました。東京高等裁判所は賃金差別を認め、和解提案をしましたが、浅野茂太郎社長が拒否したため長期争議になっています。高等裁判所も差別を認めながら、救済命令を放棄しました。
 浅野茂太郎社長が和解を拒否したのは、まともな労組を乗っ取った張本人だったからです。当時、インフォーマル組織をつくり、市川工場の労組の支部長選挙に会社の意を受けて立候補したのが、現在の浅野茂太郎社長です。まともな労働組合を潰し、会社いいなりのご用組合をつくり、会社に貢献した功績で社長になったのです。

 このように労働者をイジメ、人権侵害をくり返してきた明治乳業の体質はいまも変わりません。北海道の十勝工場が社員を募集しています。その条件は高卒、6ヶ月更新、基本給128000円です。まさにワーキングプア製造工場です。一方、社長はベンツに乗り、“億万長者”です。

 明治乳業の非正規労働者の比率は41%です。派遣労働者の数は、「カウントしていない」と、株主総会で答弁しました。労働者をモノ扱いしている象徴的な会社です。
 ですから、事件、事故が後を絶ちません。2010年5月9日、明治乳業関東工場で入社間もない21歳の臨時社員の山中さんが機械に潰されて亡くなりました。本来2人でする危険な仕事を1人でやらされていました。亡くなった当日は日曜日、しかも母の日です。「痛いよ!助けて!」の悲鳴を浅野社長は受け止め、家族に謝罪と責任をとるべきです。あきらかに安全配慮義務違反です。また、昨年は埼玉県の子会社でも51歳の臨時社員がホークリフトと壁に挟まれ押しつぶされて亡くなりました。

 食の不祥事でも昨年は商品名「ナチュラルチーズ」「帰ってきたえりまきトカゲ」で不祥事をだし、商品を回収しました。人命よりも儲けを優先させているから、食の不祥事が続発し、死亡事故があとを絶たないのです。

 このように長期争議を抱えている会社は疲弊します。現に明治乳業に対する評価は、「疲弊感が漂っている」(週刊東洋経済2010年10月2日)、「総スカンを食った!明治HD統合計画の発表」(プレジゼント 2009年8.17号)などと報道しています。ですから、大企業の労働争議はほとんど解決しています。私たちは4月の再編までに解決することを訴えます。
 私たちは明治乳業の浅野茂太郎社長に対し、「食の安全」と長期にわたる労働争議の解決を求め、要請行動を行っています。ところが、明治乳業は、本社への電話は取り次がない、要請書も受け取らない、話し合いにも応じない、誠意のない態度をとりつづけています。私たちはやむなく2月20日、松戸市幸田の浅野社長宅に要請書を届けに行きました。しかし、居留守です。

 すでに64人の争議団中、8人が60代の若さで亡くなっています。在職中の過酷な三交代勤務、「赤ダニ」「生産疎外者」などの人権侵害呼ばわりがストレス、病の原因です。これ以上の争議引き延ばしは人道上も許されません。市民のみなさん、私たちはこの争議が勝利するまでたたかいつづけます。お騒がせをしていますが、争議解決へのご支援をよろしくお願いします。 

写真は出発に先駆けて挨拶する松本議長と千葉共闘事務局長山城さん(中)
司会の市川・浦安労連の阿部さん(右)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明治製菓→みずほ京橋支店→明... | トップ | 明治乳業都労委全国事件で審... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レポート」カテゴリの最新記事