明治乳業元社長・中山悠氏=命令を出した元都労委会長・荒木尚志氏(東大教授)=元朝日新聞社長・箱島信一氏(共に修猷館高校)の関係
2013年12月24日、厚労省記者クラブでの会見で、命令の骨子を説明しこれまでの判断要件を覆す判断構造になっていることを告発しました。
合わせて、命令に対する「疑惑」の内容を報告しました。
質問をしてきた記者は、「疑惑」と言っていますが根拠があるのですか、同窓生(元明治乳業社長中山悠氏と命令交付時都労委(元)会長荒木尚志氏)だからといって疑惑ならば、沢山出てくる。寄付献金が農学部ならば荒木教授は法学部なので関係ない、疑惑は派生しない問題だ。
更に記者は、荒木教授は、一年前から渡米が分かっていたことだと明言。この場で議論をする気持ちはないです。
尚、社名も記者名も名乗らず退席していくという会見にそぐわない異常な態度でした。
何故、「疑惑」だけに注目し質問してきたのか。「疑惑」潰しに会見に来たような疑問を強く抱いた会見でした。
この新聞記者は、朝日新聞社と判明し、元社長の箱島信一氏は修猷館高校出身であることも存じていたという。普段ならば最終学歴大学を知るよしとしますが、高校までの出身まで知りえていたことから、異常な興味を示し「疑惑」潰しに臨んできたことが伺えます。
また、中山氏と箱島氏は一日違いの誕生日の同期生であったことも判明しています。
これ等、明治乳業元社長・中山悠氏と都労委元会長・荒木尚志氏とは福岡県修猷館高校の同窓生、同窓生で作られている東京修猷館「二木会」で講演するなどの間柄の疑惑。
更に、元朝日新聞社長も加わってきた。
朝日新聞を購読されている方は、朝日新聞広告に、明治のヨーグルト宣伝が全ページへの新聞ジャックを何度か繰り返し広告されたこと。
実は、この様な深い繋がりがあったわけです。
「修猷館高校」の同窓生の結束は奥深い関係にあることなどから、「疑惑」が新たな形で膨らんできた。
都労委全国事件の命令が7月9日に「超不当命令」が都労委会長・荒木尚志公益委員から出された。これまでの不当労働行為の判断構造や要件に照らし合わせても納得のいかない命令内容です。
まさしく「疑惑」が繋がってきます。
10月17日、何故このような命令に至ったのか「公開質問状」を、都労委会長・(新)房村公益委員他全員の公益委員と退任した(元)会長荒木尚志氏にも渡米先大学へ送ることで申入れました。
11月29日までに回答を求め要請して来ました。
質問状に対し房村会長からの回答は、審査調整課長を介して、前例がないので「回答しない」というものでした。
12月19日、審査調整課長に面談を求め「回答しない」までの経緯を聞きました。
応対した審査調整課長は、命令書に書かれているのが全てです。
何故、「大量観察方式」を採らなかったのですかの問い質しには、「事件によっては変わることもある」と重大な発言が飛び出しました。今後、判断要件に対し検証せざる得ない問題として重視していきたい。
また、東京高裁が判決に採用している会社の秘密資料(市川事件)を都労委は採用していないことへの問い質しにおいても、命令書に理由が書かれていますと言い切りました。
どこの行間に書かれているのかと再度の問いかけに、同じことを繰り返すのみで、命令に更に「疑問」を抱くことになりました。
重大なことは、都労委自身が、荒木公益委員の渡米が一年前から分かっていたならば、当然、副会長から会長の任務を与えることは避けるべきことであった筈です。ここにも恣意的配置が重なってきます。
明治乳業事件は、担当していた公益委員退任の下で命令作業が進み、「会長預かり」になっていく事件であったのです。
4月以前の審査調整課長との個別要請の中で、荒木会長と「審査調整法務担当課長」の金沢課長と内容においてキャッチボールがされているところですとも述べています。
2013年4月1日、これまで要請を親身に受けて来られた審査調整課長の突然の交代(審査課長名に変更)。そして命令が出された直後の7月15日付で、その審査課長がまさかの突然の退職。
ここにも大きな「疑惑」の影が、ながーく、伸びてきています。
2011年11月30日結審から命令交付日確定迄の1年8カ月間に何があったのか、中山悠(元)明治乳業社長の暗躍が透けて見える気がします。
2013年12月24日、厚労省記者クラブでの会見で、命令の骨子を説明しこれまでの判断要件を覆す判断構造になっていることを告発しました。
合わせて、命令に対する「疑惑」の内容を報告しました。
質問をしてきた記者は、「疑惑」と言っていますが根拠があるのですか、同窓生(元明治乳業社長中山悠氏と命令交付時都労委(元)会長荒木尚志氏)だからといって疑惑ならば、沢山出てくる。寄付献金が農学部ならば荒木教授は法学部なので関係ない、疑惑は派生しない問題だ。
更に記者は、荒木教授は、一年前から渡米が分かっていたことだと明言。この場で議論をする気持ちはないです。
尚、社名も記者名も名乗らず退席していくという会見にそぐわない異常な態度でした。
何故、「疑惑」だけに注目し質問してきたのか。「疑惑」潰しに会見に来たような疑問を強く抱いた会見でした。
この新聞記者は、朝日新聞社と判明し、元社長の箱島信一氏は修猷館高校出身であることも存じていたという。普段ならば最終学歴大学を知るよしとしますが、高校までの出身まで知りえていたことから、異常な興味を示し「疑惑」潰しに臨んできたことが伺えます。
また、中山氏と箱島氏は一日違いの誕生日の同期生であったことも判明しています。
これ等、明治乳業元社長・中山悠氏と都労委元会長・荒木尚志氏とは福岡県修猷館高校の同窓生、同窓生で作られている東京修猷館「二木会」で講演するなどの間柄の疑惑。
更に、元朝日新聞社長も加わってきた。
朝日新聞を購読されている方は、朝日新聞広告に、明治のヨーグルト宣伝が全ページへの新聞ジャックを何度か繰り返し広告されたこと。
実は、この様な深い繋がりがあったわけです。
「修猷館高校」の同窓生の結束は奥深い関係にあることなどから、「疑惑」が新たな形で膨らんできた。
都労委全国事件の命令が7月9日に「超不当命令」が都労委会長・荒木尚志公益委員から出された。これまでの不当労働行為の判断構造や要件に照らし合わせても納得のいかない命令内容です。
まさしく「疑惑」が繋がってきます。
10月17日、何故このような命令に至ったのか「公開質問状」を、都労委会長・(新)房村公益委員他全員の公益委員と退任した(元)会長荒木尚志氏にも渡米先大学へ送ることで申入れました。
11月29日までに回答を求め要請して来ました。
質問状に対し房村会長からの回答は、審査調整課長を介して、前例がないので「回答しない」というものでした。
12月19日、審査調整課長に面談を求め「回答しない」までの経緯を聞きました。
応対した審査調整課長は、命令書に書かれているのが全てです。
何故、「大量観察方式」を採らなかったのですかの問い質しには、「事件によっては変わることもある」と重大な発言が飛び出しました。今後、判断要件に対し検証せざる得ない問題として重視していきたい。
また、東京高裁が判決に採用している会社の秘密資料(市川事件)を都労委は採用していないことへの問い質しにおいても、命令書に理由が書かれていますと言い切りました。
どこの行間に書かれているのかと再度の問いかけに、同じことを繰り返すのみで、命令に更に「疑問」を抱くことになりました。
重大なことは、都労委自身が、荒木公益委員の渡米が一年前から分かっていたならば、当然、副会長から会長の任務を与えることは避けるべきことであった筈です。ここにも恣意的配置が重なってきます。
明治乳業事件は、担当していた公益委員退任の下で命令作業が進み、「会長預かり」になっていく事件であったのです。
4月以前の審査調整課長との個別要請の中で、荒木会長と「審査調整法務担当課長」の金沢課長と内容においてキャッチボールがされているところですとも述べています。
2013年4月1日、これまで要請を親身に受けて来られた審査調整課長の突然の交代(審査課長名に変更)。そして命令が出された直後の7月15日付で、その審査課長がまさかの突然の退職。
ここにも大きな「疑惑」の影が、ながーく、伸びてきています。
2011年11月30日結審から命令交付日確定迄の1年8カ月間に何があったのか、中山悠(元)明治乳業社長の暗躍が透けて見える気がします。
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