すべての原発を直ちにゼロを! さよなら原発市川集会に参加!
東日本大震災被害から2年を迎える3月10日、市川市防災公園で(かつて明治乳業市川工場跡地)追悼式と原発再稼働許すな、直ちに原発ゼロを訴えるパレードが行われ、明乳争議団から7名が参加しました。
各ブースでは、震災地・原発被害のDVD上映や故郷・平和を想い求める歌声、被災地に関する体験などを語る催しがされていました。
争議団から語るブースに参加し、皆さん「明治乳業争議団」の旗が掲げられていますが、この公園になる前の明治乳業市川工場に約38年間2000年3月まで働いていました。激しい差別攻撃から生じた賃金差別是正を求めて現在も闘っています。
報告したいのは、福島原発の爆発から発生した明乳の乳製品が放射性セシウムに汚染されているにも関わらず、行政のモニタリング検査と政府が定めた暫定基準値を拠り所に、自主検査はしないと断言。生産優先・儲け本位の姿勢を貫き、消費者団体やメディアからの問題指摘にも一切耳を傾けず今を推移しており、国民・消費者の疑問や不安に対する食品企業としての最低の責任も果たしていない。
その様な中で、放射能から子どもたちの命を守るためにと題するシンポジウム開催や、東電に対し「原発ゼロ」を、明治は製品検査をし、数値を公開せよと6月と10月に銀座デモを実施。併せて、福島の南相馬市にマイクロバスを仕立て28名で視察してきました。畑も田んぼも草が伸び放題、山林に至ってはどこから手を付けられるのか心が痛んだ。仮設住宅に住む方は、政府は、地元にどうすればよいのか直に相談し手段を講じるべきと話されていた。
人間が使用するものは地球に還元されていくものだが、原発から出る放射能ごみは地球に還元されないし何の役にも立たない代物だ。原発は地球上から一掃しなければならない。
明乳争議団は食品産業で働いてきた労働者として、食の「安全・安心」をこれからも求めて頑張っていきたいと語ってきました。
東日本大震災被害から2年を迎える3月10日、市川市防災公園で(かつて明治乳業市川工場跡地)追悼式と原発再稼働許すな、直ちに原発ゼロを訴えるパレードが行われ、明乳争議団から7名が参加しました。
各ブースでは、震災地・原発被害のDVD上映や故郷・平和を想い求める歌声、被災地に関する体験などを語る催しがされていました。
争議団から語るブースに参加し、皆さん「明治乳業争議団」の旗が掲げられていますが、この公園になる前の明治乳業市川工場に約38年間2000年3月まで働いていました。激しい差別攻撃から生じた賃金差別是正を求めて現在も闘っています。
報告したいのは、福島原発の爆発から発生した明乳の乳製品が放射性セシウムに汚染されているにも関わらず、行政のモニタリング検査と政府が定めた暫定基準値を拠り所に、自主検査はしないと断言。生産優先・儲け本位の姿勢を貫き、消費者団体やメディアからの問題指摘にも一切耳を傾けず今を推移しており、国民・消費者の疑問や不安に対する食品企業としての最低の責任も果たしていない。
その様な中で、放射能から子どもたちの命を守るためにと題するシンポジウム開催や、東電に対し「原発ゼロ」を、明治は製品検査をし、数値を公開せよと6月と10月に銀座デモを実施。併せて、福島の南相馬市にマイクロバスを仕立て28名で視察してきました。畑も田んぼも草が伸び放題、山林に至ってはどこから手を付けられるのか心が痛んだ。仮設住宅に住む方は、政府は、地元にどうすればよいのか直に相談し手段を講じるべきと話されていた。
人間が使用するものは地球に還元されていくものだが、原発から出る放射能ごみは地球に還元されないし何の役にも立たない代物だ。原発は地球上から一掃しなければならない。
明乳争議団は食品産業で働いてきた労働者として、食の「安全・安心」をこれからも求めて頑張っていきたいと語ってきました。
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