昨日脱線というか書きたかったことの方向がちょっとずれてしまった、シューマンのトロイメライ。
あれは一昨日の夜のこと。
YouTubeでマルタ・アルゲリッチの子供の情景を観ていた。
若き日のアルゲリッチではなく、髪も相当白くなってきているアルゲリッチ。
淡々と舞台に登場し、椅子に座った途端にさらさらっと第一曲目の見知らぬ国の人々を弾き始め、
ああやっぱりシューマンはいいなと聴き続けていると、
七曲目トロイメライがすすすっと始まった。
昨日も書いたけれど、私、トロイメライ好きじゃないんです。
なんというか、まどろっこしいというかシューマンの持つスピード感(速度ではなく気持ちの動き方)がなく、
あんなに短い曲なのにどうも飽きてしまうし、有名曲を毛嫌いする性格もプラスで、
長年トロイメライはスキップが定着していた。
が。
どこで読んだのか、あるいは観た視聴したのか思い出せないのだけれど、
トロイメライについての解説を聞き「へぇ」っと思ったことを思い出し、
アルゲリッチのトロイメライをじっくりと聴いてみた。
すると、えらく沁みてしまい、いいじゃない、トロイメライ、
いったい今までのトロイメライ毛嫌いはなんだったんだろうと猛烈に悔しくなった(笑)。
この歳にして気がつけたのだから儲けものだな(笑)。
簡単に説明しますと、
あの超有名な、誰でも口ずさめる旋律、
♪ ドファミファラドファファーから始まる4小節のフレーズ、
これが和声を変えながら8回繰り返します。
変奏曲ではないけれど変奏曲ぽくもあり、
語尾(といっていいのか)のニュアンスが微妙に変化しながら行っては戻りを繰り返す。
で、私が「やられた、さすがシューマンだ」とトロイメライ嫌いを返上させたのが22小節目にでてくる和音。
これ、いやぁ、この感覚。
面白いことに、この和音の弾き方を聴き比べしてみると、演奏者によって全然違う。
感情こめすぎもあれば、さらっとあっさりもある。ためらいもあれば間のとり方も違うし決然としたものも。
それで昨夜は聴き比べ地獄にはまってしまったわけです。
トロイメライのことを書くのなら動画を貼り付けたほうがわかりやすいかと思い、
いろいろ迷った末、やはりホロビッツが綺麗かなと。
さらにホロビッツ演奏で楽譜つきを発見。
興味のある方はフレーズの回数、語尾の変化、および22小節目にくる和音をお聞きください。
ホロビッツはわりときっぱり和音の前の旋律を弾いているかな。
でね、思ったのだけれど、
私が死ぬとき、死ぬ時期が近づいてきたときにこの和音はどのように聞こえるのだろうかと。
そこまで跳躍するのもあれですが、
後悔なのか郷愁なのか寂寥なのか幸福なのか。
なんともいえぬ響きです。
ひょっとしたら、トロイメライのことが書いてあったのはあの本でなかったかと、
シューマンの箇所だけ立ち読みしていた新書を買いに昨日は大通りへ行ってきた。
北海道マラソンはここを2万人のランナーが駆け抜けたのにね。
ジュンク堂でそのピアノの本と、
最近要チェックしている片桐はいりさんの本と、
新聞広告に載っていた吉川トリコさんの新刊を贅沢に3冊も買う。
が!
帰宅後鼻息も荒くイリーナさんのシューマンのページを開いたけれど、
あれ? 違う、この本ではなかった。
でもこの方の解説はなかなか面白いし、他にもいろいろ載っているのでこれでいいのだ。
結構楽しみ!
そういえばドビュッシーの月の光もトロイメライと同じく苦手な一曲だったのだけれど、
アンソニー・ドーアの「すべての見えない光」を読んでからこれもまた沁みる一曲になった。
ちょっとしたことがきっかけでこうも変わるものなのか。
ついでに、
やったー、3冊揃った。
ベルサイユのゆりよ(笑)。これは買うでしょ、このタイトルは秀逸だわ(笑)。
読むのが楽しみな本が今わっさわさ横に積んであります。
積みっぱなしには絶対しないぞ(笑)。
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