ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

カーペンターズ (Carpenters)

2008年04月15日 | ミュージシャン
 

 ふと気づくと昨日もカーペンターズを聴いていました。
 とりわけ好きなのは、
 「愛にさよならを」(Goodbye To Love)
 「スウィート スマイル」(Sweet, Sweet Smile)
 「青春の輝き」(I Need To Be In Love)
などなんですが、じゃあそれ以外の曲はどうか、というと、当然「好き」というほかはないのです。


【カーペンターズ・マイ・ベスト20】
⑳恋よさようなら
⑲ジャンバラヤ
⑱プリーズ・ミスター・ポストマン
⑰シング
⑯ア・ソング・フォー・ユー
⑮ハーティング・イーチ・アザー
⑭オンリー・イエスタデイ
⑬ふたりの誓い
⑫愛は夢の中に
⑪小さな愛の願い
⑩見つめあう恋
⑨スウィート・スマイル
⑧雨の日と月曜日は
⑦スーパースター
⑥青春の輝き
⑤トップ・オブ・ザ・ワールド
④愛のプレリュード
③愛にさようならを
②遥かなる影
①イエスタデイ・ワンス・モア


 1970年代のカーペンターズの人気はたいへんなもので、日本でも本国以上に愛されていました。でも、ぼくが彼らの音楽を心から愛聴するようになったのは、実はこの10年足らずのことなのです。
 もちろんこれだけの有名なグループですから、ローティーンの頃から聴いてはいました。とくに、「プリーズ ミスター ポストマン」はカーペンターズのアレンジで知って、ビートルズのものと並んでとても好きになったのを覚えています。


     


 でも、あくまでヒット・ソングの羅列として聴いていただけで、特別な思い入れもありませんでした。単純に「メロディーはキレイだけど、ちと物足らないなぁ」程度の認識だったのでしょうね。それにその頃のぼくは小生意気な「ロック小僧」だったので、こういうソフトな感じのポップスを軽視していたことも否定できません。
 レッド・ツェッペリンのドラマーのジョン・ボーナムがあるインタビューで、「(ある雑誌の人気投票では)カレン・カーペンターより上にいきたいもんだぜ!」なんて皮肉まじりに答えていたのを面白がっていたことを思い出します。
 自分では、例えば、近所の、二、三歳年上のオネーサンが好んで聴いているような、そんなイメージを持っていたようです。実際ぼくの周りの、ぼくより少し年上の女性たちは、よくカーペンターズを聴いてたみたいですし。


 そうこうしているうちに、ぼくは「ロック小僧」から「ロック通を気取った小僧」となってゆきます。そしていつしかジャズに浸るようになり、一時は、「難解な音楽=高尚」、というハナハダしい勘違いに陥ったりもしてました。


 ところが、あるステージでカーペンターズの曲を取り上げることがあり、そのため必要に迫られて、改めて彼らのサウンドを聴きこんでみたのですが、


       驚きました。


 ちょっと小難しいことを言わせて頂ければ、サウンドの構築が実に緻密なんですね。緻密といっても、音を詰め込みすぎているわけじゃないんです。そして非常に美しい。アレンジャーでもあるリチャードの音楽的素養の深さ・幅広さが垣間見えるような気がしました。
 テクニック的にもかなりなもので、とくにぼくのパートであるベースは、非常に高度なことをさらりとやってのけているではないですか。


 またカレンの歌声の心地よいこと。とくにバラードを歌っている時のカレンは、1970年代以降に登場したシンガーの中でもひときわ優れていると思います。
 そして彼女のドラム。これは冷ややかに受け止めている人もいるようですが、ぼくはそうは思わない。テクニックを繰り出すタイプではないにしろ、本質的には彼女のドラムは彼女の歌と同じだと言えるのではないでしょうか。つまり、楽器を歌わせることにたけているドラマーだと思うのです。


 もう、自分の不明を恥じるとともに、彼らの素晴らしさに素直に感動したわけであります。
 今では、ぼくはカーペンターズの曲をアレンジのお手本としているくらいなのです。


     


 彼らの偉大さを遅れて気づいたぼくは、そのぶん深みにはまっているような気がします。いちファンとしては、彼らの音楽を素直に楽しみ、またミュージシャンとしては、彼らの音からいろいろなことを教わっています。
 いずれにしろ、今のぼくにとっては、カーペンターズは「なくてはならない存在」になっているのです。


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ミシェル・ペトルチアーニ (Michel Petrucciani)

2008年04月10日 | ミュージシャン
 

 1999年1月6日、ミシェル・ペトルチアーニは肺炎のため短い一生を終えました。まだ36歳でした。彼の遺体はパリの墓地で、かのフレデリック・ショパンの隣に埋葬されました。


 ペトルチアーニの演奏は、明快で、非常にスケールが大きい。それにとてもユーモラスです。とくにオリジナル曲でそれを感じます。これ、決して「コメディ・タッチ」とか、コミカルな仕掛けがあるとか言うことではありません。おそらく、ペトルチアーニ自身がユーモアのある、バイタリティあふれる人物だからなのではないでしょうか。その人間性が彼の音楽にわかりやすく反映されているのではないか、と思えて仕方がないのです。


 ペトルチアーニの肉体的障害についてはよく知られているところですね。彼は遺伝的原因から、生まれつき骨形成不全症という障害を背負っていました。この障害のため、彼の身長は成長期になっても1mほどしか伸びず、骨はもろく、またしばしば肺疾患に苦しめられました。ただ、手のサイズは通常の大人と同じくらいあったので、ピアノを弾くには差支えがなかったそうです。しかしペダルには足が届かないので、特別なペダル踏み機を使っていました。
 彼は障害の克服どころか、医者からは「とても長生きはできない」と言われていたうえ、いつまで生きられるかわからない、という状況でピアノを弾き続けていたらしいです。


     


 自分の障害を受け入れることができるには相当な葛藤もあったでしょう。また、自分の余命を考える時、精神的に追い込まれても不思議のない状態で、なぜ彼はあのような明るくユーモラスな演奏ができたのでしょうか。とても不思議です。同時に彼の内面の強さも感じます。
 だから、ぼくは、彼の身体的状況よりも、彼の精神面や、価値観、哲学などに興味を抱いてしまうのです。


 ペトルチアーニの演奏は、彼が障害を持っていようがいまいが、そんなことには関係のない、素晴らしいものです。
 とくに、力強さにあふれたタッチから生み出す音色は、切れ味鋭く爽快です。そのうえ、ペトルチアーニならではの温もりに満ちている。


 ぼくは、彼のオリジナル曲である「クリスマス・ドリーム」が大好きです。アップ・テンポのリリカルで楽しいワルツです。これ聴いてると、幸せを感じるんですよ。
 アルバムならば「ミシェル・ペトルチアーニ」(ジャケットは、ソフトを被ったペトルチアーニのポートレイトで、縁が赤いので有名)とか、「コールド・ブルース」(ベーシストのロン・マクルーアとのデュオ・アルバム)かな。
 とくに「ミシェル・ペトルチアーニ」というアルバムは、ミシェルが18歳の時に録音されたもので、いかに彼が早熟の天才だったかを示しているような出来栄えです。


     
     『ミシェル・ペトルチアーニ』
     試聴はこちらから。「クリスマス・ドリーム」は3曲目です。


 ジャズに興味のある人に、ぼくが薦めてみたいアーティストです。


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本田竹曠・井野信義・森山威男

2008年04月08日 | ミュージシャン
          △本田竹曠(pf)△ 


 昨年の年末あたりに、「音楽回顧録」のNobさんが取り上げていたのが、本田竹曠・井野信義・森山威男のトリオによるアルバム「イン・ア・センチメンタル・ムード」でした。
 このメンバーの組み合わせに興味を抱いたので、早速Amazonで注文してみたんです。タイトルからしてバラード集かと思ったんですが、テンポの速い4ビートあり、バラードあり、ミディアムの4ビートあり、アフロ・ビートあり、ボサノヴァあり。リズム隊のふたり(井野氏、森山氏)のメンツからしてフリーっぽい演奏になるのかな、と思ってたんですが、基本的にテーマに忠実で、ソロもテーマをモチーフにした分かりやすいもの。
 曲目も「ミスティ」「ボディ・アンド・ソウル」「枯葉」「イン・ア・センチメンタル・ムード」「チュニジアの夜」「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」などと、割とオーソドックスな選曲のスタンダード集といった風情のアルバムでした。


      
     『イン・ア・センチメンタル・ムード』


 アグレッシヴな本田氏のピアノですが、同時にリラックスして弾いているようにも聴こえます。そのピアノに反応して曲に力強くカラーをつけているのが森山氏の豪快なドラムです。時には本田氏を煽り立てているようにも聴こえます。井野氏のベースは実にオーソドックス。丁々発止のやりとりを続ける本田氏と森山氏の会話を落ち着いたベース・ランニングでまとめているような感じがします。


     
     井野信義(b)


     
     森山威男(drs)          


 このアルバムは1985年4月3~4日にかけて録音されたもので、同時に「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」と題したこれもスタンダード集を録音しています。この2日間で録音した16曲を2枚のアルバムに分散して収録した、ということなんですね。それを本田氏が急逝されてから一周忌に再発売したわけで、ジャケットも一新されています。85年当時はグランド・ピアノをモチーフにしたジャケットでしたが、今回はアメリカの街角を写したスナップ写真をジャケットに起用しています。


     
     『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』          


 「イン・ア・センチメンタル・ムード」がとても気に入ったので、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の方も注文してみました。これも「グリーン・ドルフィン・ストリート」「星影のステラ」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「いそしぎ」「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」「ラウンド・ミッドナイト」など、ジャズの名曲がぎっしり詰まっていて、「イン・ア~」と同じ空気が漂っています。 
 もともとぼくは本田氏に対しては「孤高のピアニスト」というイメージを持っていたんですが、この2枚に関しては「媚びる」という意味ではなくリスナー寄りに演奏されていると思います。そして熱さと叙情性を兼ね備えていて、あの名盤「ジス・イズ・ホンダ」の延長線上にあるような気がします。
 時折り聴こえる本田氏の唸り声も彼の音楽の一部なのでしょう。それを聴いてもいかに本田氏が曲の中に入り込んでいるか分かりますよね。


     
     本田竹曠(pf)


 この2枚のアルバムは、フュージョン・バンド「ネイティヴ・サン」で成功を収めたのちに録音されたものです。しかしどちらかというと、本田氏はこういうメイン・ストリーム路線もやりたかったことだったのではないでしょうか。
 スタンダード集だからといって、惰性で演奏しているわけではありません。むしろ3人が楽しみつつも拮抗した迫力ある演奏を繰り広げているのだと思います。
 心地良いスウィング感に身を委ねる曲、しみじみ泣ける曲、ノリノリでエキサイティングな曲、各種取り揃えられておりますよ。


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グランド・ファンク・レイルロード (Grand Funk Railroad)

2008年01月16日 | ミュージシャン
 

■グランド・ファンク・レイルロード
 ☆マーク・ファーナー(vo,g,harp,pf)
 ☆メル・サッチャー(b)
 ☆ドン・ブリューワー(vo,drs)
 ☆クレイグ・フロスト(keyb)


     


 「ベース」という楽器に興味を持つようになった頃に聴いた、グランド・ファンク・レイルロードのライブ・アルバムで、低音をブリブリと効かせた重厚なベースを弾いていたのがメル・サッチャーでした。そのベースが印象に残ったと同時に、グランド・ファンク・レイルロード(以下GFRと略す)の音楽をよく聴くようにもなったわけです。


     
     メル・サッチャー

  
     


 典型的なハード・ロック・バンドです。1972年にクレイグ・フロストが加入するまではギター・トリオでした。当時のライブ・アルバムを聴くと、とても三人編成とは思えない、厚みのある音を出しています。
 長い金髪をなびかせ、上半身裸でギターを弾きまくり、熱唱するマーク・ファーナー、カッコよかったですね。


     
      マーク・ファーナー


     

 とにかくエネルギッシュで、パワフルで、熱気あふれるハード・ロックです。ストレートにハードなサウンドで押しまくる彼らは、まさにアメリカン・バンドそのもののスケールの大きさを感じさせてくれます。そして、その価値が最も現れるのが、ステージではなかったか、と思っています。大音量で、エキサイティングなステージ。彼らは本質的にライヴ・バンドなのでしょうね。


     
     ドン・ブリューワー


 1969年にデビューしてからの彼らは、その痛快なサウンドさながらの勢いで数々のエピソードを残しています。
 12万5000人の聴衆を前にしたデビュー・ステージでの熱演。
 69年10月の、レッド・ツェッペリンの前座として出演したステージで、アンコールに次ぐアンコールを受け、完全にツェッペリンを「食って」しまったこと。
 70年の1年間で、レコードを1000万枚以上売り上げるという快挙。
 70年11月、翌月に行われる予定のマジソン・スクエア・ガーデン・コンサートのチケットがたったの4時間で完売。
 そのほか、71年7月のシェア・スタジアムでのコンサート、同月の後楽園球場での雨中の大熱演などなど・・・。
 GFRはロック世代のシンボルとなり、熱狂的に支持されていました。


     
      クレイグ・フロスト


 ぼくは、大ヒットした「アメリカン・バンド」のほか、どちらかというと三人組の頃のGFRが好きで、「パラノイド」「孤独の叫び」「ハートブレイカー」「アー・ユー・レディ」などに興奮したものでした。そのほか、「クローサー・トゥ・ホーム」「ロンリネス」「フィーリン・オールライト」なども好きでした。


     


 この豪快なサウンド、いま聴いてもスカッとしますね~





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リンダ・ロンシュタット (Linda Ronstadt)

2007年12月11日 | ミュージシャン
 
オリヴィア・ニュートン・ジョンと
リンダ・ロンシュタットが
なにかにつけ比べられていた時期がありました。
オリヴィア派とリンダ派に分かれていたような感じでしたね。
ぼくは、清楚な美人タイプのオリヴィアが好きでした。
だって、カワイイんですもん。
歌だってカワイかったですよ。


ところが、ちょっと小悪魔タイプのリンダ好きでした。
だって、カワイイんですもん。
ぼくって、どちらもいける口だったんですね。(笑)


     


リンダは、もともとは
カントリー&ウエスタン色の強い歌を歌っていたようです。
あのイーグルスを
バック・バンドに従えていた時期もありました。
ローリング・ストーンズやバディ・ホリーなどの曲をカヴァーして、
ロックしている曲もあります。
80年代以降は、
素敵なジャズのスタンダード集を出しています。


カントリーからジャズまで、
あるいはバラードからロックンロールまで幅広く歌え、
しかもそれぞれが「リンダの歌」なんです。
そして彼女の歌声には「熱い何か」が宿ってる。


ぼくがよく聴くのは
「グレイテスト・ヒッツ Vol.1&Vol.2」です。


     

      
「Vol.1」の中では
「悪いあなた」(You're No Good)、
「ひとすじの涙」(Tracks Of My Tears)などがとくに好きです。
あの「デスペラード」も聴くことができます。


     


「Vol.2」の中では
「イッツ・ソー・イージー」(It's So Easy)、
「ダイスをころがせ」(Tumbling Dice)、
「ウー・ベイビー・ベイビー」(Ooh Baby Baby)
などが好きなんです。


イーグルスのグレン・フライとか、
いっときはミック・ジャガーなどとも
噂になったんじゃないかな。
とにかく恋に積極的な、奔放なイメージがあったりします。
そういうところも彼女の魅力なんですよね。
ぼくには、
リンダの黒髪、パッチリした目、そしてあのタヌキ顔が
とっても愛らしく見えたりするんですね。




     リンダ・ロンシュタット『イッツ・ソー・イージー』


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サイモン&ガーファンクル (Simon & Garfunkel)

2007年12月01日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト65


 今夜はサイモン&ガーファンクルの気分です。
 やらなきゃならないことが結構立て込んでいるし、ほかにもいろいろな理由が重なって、ふと気づくと精神的な余裕が少なくなっている。
 でもそういう時に彼らの歌声を聴いていると、雨雲に覆われているような今の重苦しい気分が不思議とおさまってくるんです。アコースティック・ギターの音色は苛立ちを静めてくれる。すがすがしいハーモニーは、まるで気持ちのよい秋空のようです。


 「明日に架ける橋」「ボクサー」「アイ・アム・ア・ロック」「早く家に帰りたい」「冬の散歩道」などがぼくのお気に入りの曲なんです。
 シンプルさと斬新さが同居しているサウンドと、美しいメロディは、心安らぐものがありますね。


 歌詞の良さも忘れてはならないと思います。人生や社会に対して疑問を投げかけているような内容のもの、結構目につきます。これらには強烈なメッセージが込められてはいますが、奥底にはさらりとした優しさが感じられるのです。


     
     「パセリ セージ ローズマリー アンド タイム」(1966年)


 愛や友情に絶望を感じて『ぼくは岩、ぼくは島。なぜなら岩は苦痛を感じないし、島は決して泣きはしないから』と歌った「アイ・アム・ア・ロック」。青春時代に襲われた疎外感や孤独感を思い出します。


 旅に明け暮れるシンガーが我が家を想って、『家、それは心の隠れ家。好きな音楽があり、愛する人が静かにぼくを待っていてくれる(早く家に帰りたい)』とつぶやきます。


     
     「ブックエンド」(1968年)


 何ものにもとらわれない自由な気持ち。人生っていいもんだね。『人生よ、君が好きだ。何もかもがグルーヴィーさ(59番街橋の歌)』


 冬の街角の景色と自分の生活を重ね合わせて描いた「冬の散歩道」。『自分の可能性を捜すうちに僕がどうなってしまったかをごらん。僕はなかなか満足しなかった。あたりを見回せば木の葉は茶色になり、空はどんよりした冬の影に霞んでいる』


     
     「明日に架ける橋」(1970年)


 生きることに疲れている時、暗闇に覆い包まれる時、僕が味方になり、身代わりになってあげよう。『荒れた海に架かる橋のように、僕はこの身を横たえよう(明日に架ける橋)』


 賑やかな場所は裏に疎外感が潜んでいたりします。おおぜいの人が行きかうところが必ずしも賑やかだとは限りませんよね。寂しさを抱えた人がたくさん集うことが、逆に孤独感を浮き彫りにさせていることもある、という気がします。例えば、そういう寂しさを優しい目で見つめているのが、サイモン&ガーファンクルの歌詞であり、曲である、と思うんです。




サイモン&ガーファンクル『ボクサー』 わりと最近の映像ですね。 


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ヴァニラ・ファッジ (Vanilla Fudge)

2007年07月24日 | ミュージシャン
 
♪お気に入りミュージシャン63

 
ヴァニラ・ファッジ(Vanilla Fudge)
 ☆ヴィンス・マーテル(g,vo)
 ☆マーク・スタイン(keyb,vo)
 ☆ティム・ボガート(b,vo)
 ☆カーマイン・アピス(drs,vo)
「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」動画
「ショットガン」動画


 「ヴァニラ・ファッジ」、今ではピンとこない人の方が多いかもしれません。
 ぼくが「ヴァニラ・ファッジ」の名を知ったのは、ジェフ・ベックが組んだトリオ、「ベック・ボガート&アピス」を通じてでした。このトリオのベースのティム・ボガートとドラムスのカーマイン・アピスが1966年から70年まで組んでいたバンドが「ヴァニラ・ファッジ」です。
 その当時の、「ニュー・ロック」とか「アート・ロック」と言われた一派の中にカテゴライズされるようですが、なるほど、今聴いても独創的な音作りが成されていると思います。
 1960年代後半のロック・シーンを見渡した時、同じオルガン主体のサウンドを持つバンドとして「イギリスのディープ・パープルに対するのがアメリカのヴァニラ・ファッジ」と位置づけることもできるかもしれません。


     


 サウンドの中心は、マーク・スタインの弾く個性的なオルガンと、カーマイン・アピスの重厚でパワフルなドラムにあると言えるでしょう。そのほか、リード・ギター以上に弾きまくるティム・ボガートのベースも存在感があります。また、4人ともリード・ヴォーカルを取れるのが強みで、それを生かしたゴスペルっぽいコーラス・ワークもバンドのサウンドに大きな効果を与えていると思います。


 ヴァニラ・ファッジには、サイケデリック色やクラシック色、そしてハード・ロックにも通じるヘヴィーなサウンドが混然と溶け合っています。
 初期の頃はカヴァー曲がとても多いのですが、原曲を見てみると、ビートルズやドノヴァンなどの英国勢のもの、スプリームスやジュニア・ウォーカーなどのソウル・ナンバーなどが目立ちます。これらを、サイケ色をイメージさせるオルガン主体のサウンドでリメイクしているのが特徴でしょう。変わったところでは、ベートーヴェンの「エリーゼのために」にトライしています。
 彼らのレパートリーを見てみると、5分以上のわりあい長尺の曲が目立ちます。これは、1曲3分前後のヒット曲を積極的に流す当時のラジオ局の方針に逆らうものですが、演奏時間にとらわれずに自分たちの表現したいように演奏するその姿勢は、のちのプログレッシヴ・ロックにも通ずるものがある、と言えるでしょう。


     
     「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」


 ヴァニラ・ファッジの曲の中で有名なのは、何といっても「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」でしょう。1967年7月に全米67位まで上がります。いったんチャート外に去りましたが、再発された翌68年には8月に全米6位まで上がる大ヒットを記録しました。元はスプリームスが66年に放ったNo.1ヒットです。ヴァニラ・ファッジはテンポを落とし、重く粘るヘヴィ・ロックに仕立て直しています。
 ぼくの好きなのは「ショットガン」です。この曲も非常にヘヴィでカッコいいハード・ロックです。これはのちのベック・ボガート&アピスのライヴにも取り上げられていますね。
 

 カーマイン・アピスとティム・ボガートのリズム・セクションはジェフ・ベックに大いに気に入られます。しかし、このふたりにロッド・スチュアートを加えてバンドを組むことになった矢先にジェフは交通事故で重傷を負い、バンドの話が流れてしまったのはよく知られたエピソードですね。この4人で組んだバンドの音を聴いてみたい、と思うのはぼくだけではないでしょう。でも、個性の強い4人ですから、バンドとしては長続きしなかっただろう、と思いますけれどね。


     


 ヴァニラ・ファッジは解散と再結成を繰り返していますが、現在では何度目かの再結成を果たし、ティム・ボガートとカーマイン・アピスを中心に活動を続けているようです。


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T.レックス (T.REX)

2007年07月15日 | ミュージシャン
 
♪お気に入りアーティスト62


T.レックス (T.REX)
 ☆マーク・ボラン(vo,g)
 ☆ミッキー・フィン(per,vo)
 ☆スティーヴ・カーリー(b)
 ☆ビル・レジェンド(drs)
試聴はこちら


 布袋寅泰、反町隆史、浅野忠信の3人が登場する、トヨタ「VOXY」のCMに使われている曲がT.レックスの「20センチュリー・ボーイ」です。世界卓球選手権2007のCMにも使われていましたね。
 シンプルながら荒々しいギター・リフで始まる「20センチュリー・ボーイ」、全編に流れるハイ・トーンのコーラスとハードなギターが印象的です。


     


 T.レックスのリーダーであるマーク・ボランがデビューしたのは1965年です。67年からはスティーヴ・トゥック(per)とデュオを組み、「ティラノザウルス・レックス」の名で活動を開始します(のちミッキー・フィン(per)とデュオを組む)。バンドの形態になったのは70年。この時バンド名も「T.レックス」と変えました。ちなみにティラノサウルスの「ティラノ」は「支配的な」、「サウルス」は「トカゲ」、「レックス」はラテン語で「国王」の意味を持っています。


     


 T.レックスは、俗に「ボラン・ブギー」と呼ばれる、ブギーを基調としたシンプルなロックンロールを確立します。その独特のエレクトリック・ブギー・サウンドからは「ゲット・イット・オン」「テレグラム・サム」「メタル・グゥルー」などヒット曲が立て続けに生まれました。この頃の彼らのシングルは10曲連続で全英TOP5入り、うち4曲が全英No.1という驚異的なセールスを記録、その人気はたちまちイギリス中に広がりました。その数々のヒット曲から生まれる快感は「T.レクスタシー」などと言われていました。


     

     
 レスポールを持ったマーク・ボランの姿、実にキマってます。彼は銀ラメのスーツに身を包み、派手なメーキャップを施し、「グラム・ロック」の象徴として一躍爆発的な人気を得ます。
 この頃のT.レックスは日本でも非常に人気が高く、当時の「ミュージック・ライフ」誌を見てみると、毎号のようにカラー・グラビアに登場しています。


     


 「グラム・ロック」は1970年代前半のロック界を席捲したムーヴメントです。いわゆる「ヴィジュアル系」の元祖、と言ってもいいのではないでしょうか。
 メイクをしたマーク・ボランは、デヴィッド・ボウイーらとともに「グラム・ロック」の中心的存在として君臨しました。その人気の高さは、リンゴ・スターに「T.レックスは70年代のビートルズだ」と言わしめたことでも分かるでしょう。


 T.レックスのサウンドは、中性的で、退廃的な雰囲気を持つマーク・ボランの容貌とあいまって、ミステリアスでどこかアンダーグラウンドな感じがします。やや一本調子ではありますが、単純なリフはノリがよく、メロディーもポップです。どちらかというと気だるいヴォーカルには妖しさと色気があり、女声コーラスや大胆なストリングスの使用はゴージャスで少々チープです。


               
     「電気の武者」(1971年)「ザ・スライダー」(1972年) 


 T.レックスは、アメリカでは「ゲット・イット・オン」がヒットした程度でしたが、イギリスと日本では圧倒的な人気を誇りました。そんな彼らの人気も1974年を境に翳りが見え始め、バンドも一時は解散状態に陥ります。
 77年、ボランは新生T.レックスを結成しますが、これからという時に自動車事故のため29歳で夭折しました。生前、ボランは「自分は30歳になる前に死ぬだろう」と口癖のように話していたといいます。


 しかし、マーク・ボランの存在は、その死後もロック界に影響を及ぼし続け、今でも多くのフォロワーを生んでいます。


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KUWATA BAND

2007年06月14日 | ミュージシャン
 
♪お気に入りアーティスト60


KUWATA BAND
☆桑田佳祐(vo,g)
☆河内淳一(g,vo)
☆小島良喜(keyb,vo)
☆琢磨 仁(b,vo)
☆松田 弘(drs,vo)
☆今野多久郎(leader,per,vo)


 1986年、桑田佳祐夫人の原由子が産休に入ったため、サザン・オール・スターズもいったん活動を停止しました。その時に、桑田氏を中心として結成されたのが、「KUWATA BAND」です。バンド・リーダーは、パーカッション担当の今野多久郎氏。「KUWATA BAND」の活動は1年限定でした。
 結成の動機は、原さんの産休と、かねてからの桑田氏の「いつかデタラメなロックをやってみたい」という思いが重なったものです。
 何をもって「デタラメ」と言うのかは分かりませんが、少なくとも歌謡曲寄りのサザン・オール・スターズよりはよほど正統的なロック・バンドになっていると思います。おそらく桑田氏は、自分のやりたいようにだけやりたかったんでしょうね。


     
     アルバム「NIPPON NO ROCK BAND」
     (下線部試聴できます)


 1986年4月にシングル「BAN BAN BAN」でデビューした「KUWATA BAND」は、同年11月にラスト・シングル「ONE DAY」を発表するまでに4枚のシングルと、1枚のオリジナル・スタジオ録音アルバムを残しました。
 当時、サザン・オール・スターズとしてのオリコン・チャート1位はまだ獲得できていませんでしたが、「KUWATA BAND」では「スキップ・ビート」と「ONE DAY」がチャート1位に輝いています。


  
 「BAN BAN BAN」            「スキップ・ビート」
 

 アルバム「NIPPON NO ROCK BAND」は、ビートルズやエリック・クラプトンらを始めとする洋楽好きの桑田氏が書いた曲らしく、1960~70年代のブリティッシュ・ロックをベースとしたハードなものが多く収録されています。ソングライターとしての桑田氏の多様性には目を瞠るばかりですね。
 シングル4曲のA面は全て日本語詞なのに対し、アルバムのほうは全曲英語詞です。これは、日本人によるバンドにしては珍しく、このあたりからも、桑田氏が趣味に走っているのが伺えます。ちなみに、歌詞は元ゴダイゴのトミー・スナイダーが全面的に書いています。


     


 シングル「BAN BAN BAN」は資生堂のCFに使われました。サザン・オール・スターズではあまり見られない本格的ロックを感じさせる力強いサウンドを持っています。第2弾シングルは「SKIPPED BEAT(スキップ・ビート)」。これに深い意味はなく、『日本語の「スケベ」に語感が近い』というのがそのタイトルとなった理由です。ファンキーなビートに乗った豪快な曲です。歌詞内にはセクシャルな言い回しや、エロティックな比喩が多数含まれていることで話題になりました。「MERRY X'MAS IN SUMMER」はレゲエ調のリズムが楽しい、明るい曲です。ラスト・シングルの「ONE DAY」は、「KUWATA BAND」のオリジナル中唯一のバラードです。イントロからピアノを主体とした静かな曲です。


   
 「MERRY X'MAS IN SUMMER」    「ONE DAY」 


 サザン・オール・スターズがどこか歌謡曲の香りを漂わせているのに対し、「KUWATA BAND」は硬派なロックを展開している、というイメージがあります。これも桑田氏の好みなのでしょう。活動期限が切れてバンドが解散する時、桑田氏はとても残念そうだったといいます。よっぽどこのバンドが水に合っていたんでしょうね。
 ヒットを半ば義務づけられているサザン・オール・スターズでの活動と違い、「KUWATA BAND」は、全曲英語詞・歌詞による遊び・かなりロック寄りのサウンドなどなど、桑田氏ならではの遊びの要素を盛り込んだプロジェクトだったと言えるでしょう。


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アリス (Alice)

2007年05月17日 | ミュージシャン
  
♪お気に入りアーティスト58


アリス (Alice)
 ☆谷村新司(vo,g)
 ☆堀内孝雄(vo,g)
 ☆矢沢 透(drs,per,vo)


 中学時代は洋楽ひとすじに聴いていたぼくですが、邦楽にはあまり興味がありませんでした。せいぜいテレビの歌番組を時々観るくらいです。
 高校へ入ると、同じクラスにタカギ君というフォーク少年がいて、彼がかぐや姫やアリスのレコードを貸してくれたのがきっかけで、J-ポップ(いや当時は「ニュー・ミュージック」と言ってましたね)を聴くようになったんです。


    


 タカギ君が一番好きだったのが、「アリス」です。その影響で、ぼくもアリスの曲をよく聴くようになりました。そういえば、初めてギターで弾けるようになった曲(と言ってもコード・ストロークだけですが)が、アリスの「今はもうだれも」だったんです。文化祭でも一緒にアリスの曲を演奏しました。


 初期のアリスはどちらかというとマイナー調の曲が多かったと思います。歌詞もちょっと暗かったなあ。青春の苦味や痛みを綴ったような詞が印象的でした。
 「今はもうだれも」がヒットする前と後ではだいぶ曲の雰囲気が違ってきます。それまでは和風のフォークが主流だったのですが、「今はもうだれも」あたりからよりポップになり、ロック色が強まりました。


    


 ラジオの深夜放送の人気番組、「ヤングタウン」や「セイ!ヤング」などもよく聴いてましたね。谷村新司がパーソナリティーを務めていて、これがまた話術が巧みで、とても面白かったんです。そもそもぼくが夜中まで起きていたのは、勉強をするという理由だったはずなんですが、気がつけばラジオにかじりつきになっているダメな高校生でした。


 アリスは「冬の稲妻」のヒットで大ブレイク、その後は「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「夢去りし街角」「狂った果実」「チャンピオン」など、立て続けにヒット曲を出しています。70年代の終わりには「秋止符」など、アリスの原点に帰ったような曲も出しています。でもぼくが一番好きなアリスの曲は、なんといっても「遠くで汽笛を聞きながら」なんです。やっぱりぼくはロックな曲が好きなんですが、この曲はリード・ギターとドラムスのフレーズがカッコよかったので、一番たくさん聴いたんじゃないかな。ドラマティックな「さらば青春の時」という曲も好きでした。


    


 1972年にデビューしたアリスは、1981年に解散します。文字通り、70年代を代表するニュー・ミュージック・グループでした。その後、何度か短期間再結成しては活動を休止することを繰り返しています。紅白歌合戦にも出場してましたね。
 今では谷村氏も堀内氏も「立派な演歌歌手」(^^)になっちゃってます。谷村氏は、中国の上海音楽学院の教授も務めているようですね。矢沢氏は今では飲食店とギター・ショップを経営しているそうです。
 今は三人それぞれが自分の道を歩んでいますが、今度再結成する時は原点に帰って、純粋なフォークを演奏するのも悪くないと思うんです。実現してほしいな~。



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ピーター・セテラ (Peter Cetera)

2007年05月11日 | ミュージシャン
 
♪お気に入りアーティスト57

ピーター・セテラ (Peter Cetera)


 ぼくがシカゴの大ファンであることはどこかで書いたけれど、それがピーター・セテラとの出会いでもあるわけです。
 初期のゴリゴリのブラス・ロック時代のピーターは、よく動き回る、ドライヴしたベースを聴かせてくれました。「イントロダクション」や「クエスチョンズ67&68」、「アイム・ア・マン」などでその個性的なベースが聴かれます。ベースを弾いていたぼくは、ピーターのベースがとても好きになり、ベース・ラインをコピーしたりしていたものです。


     
     シカゴのメンバーたち。


 ピーターのもうひとつの顔は「ヴォーカリスト」です。当時のシカゴには、リード・ヴォーカリストが3人いて、それぞれが異なった持ち味を発揮して歌っていました。ピーターはバラード系の曲を歌わせると絶品で、彼の書く曲もそういうタイプが多かったように思います。


 ぼくがピーターをヴォーカリストとして好きになったのは、シングル「愛ある別れ」によってです。この曲は『シカゴⅩ』に収められていて、1976年にはシカゴがデビューして以来初めての全米チャート1位を記録しました。もちろんピーターが書き、歌った曲です。
 アルバムの制作過程において、あと1曲足りないという状況になり、そこで半ば即興的にこの曲の根幹の部分が録音された、という裏話があります。


     


 シカゴ本来のハードなブラス・サウンドはこの曲では影を潜めていて、アコースティック・ギターとストリングスを中心とした、清涼感のあるバラードになっています。なめらかな優しいメロディーもさることながら、ピーターの甘いハイ・トーン・ヴォイスがとても涼やかに迫ってきます。間奏で聴かれるアコースティック・ギター・ソロもちょっぴり切なくて美しい。


 全編に渡ってストリングスが流れています。要所要所でホーン・セクションが出てきますが、かつてのようにパワフルなブラス・サウンドではなく、柔らかなトーンで曲にソフトな味をつけています。
 ちなみに、クリスタル・キング(「大都会」でお馴染みですね)の「セシル」という曲のイントロが、この「愛ある別れ」のイントロによく似ています。


     
     『シカゴⅩ』


 かつては政治的なメッセージを曲に託していたシカゴですが、「愛ある別れ」にはメッセージ色はありません。愛する人が去ってゆくのを引きとめようとする男の気持ちが歌われている失恋ソングです。
 この曲のヒットによってピーターのブラス離れは進みます。そして、のちのギタリストのテリー・キャスの不慮の死や、プロデューサーの解雇などの理由と相まって、この後のシカゴの方向性は、いわゆるAOR路線に定まってゆくのです。


     
     『ピーター・セテラ・ベスト・コレクション』


 1985年、ピーターはシカゴを脱退します。その年、『ベスト・キッド2』の主題歌「グローリー・オブ・ラヴ」で全米№1となります。翌年には、エイミー・グラントとのデュエットでリリースした「ザ・ネクスト・タイム・アイ・フォール」がまたも全米1位となるヒットを記録しました。
 1987年には「ステイ・ウィズ・ミー」が、日本映画『竹取物語』の主題歌となっています。
 その後も元アバのアグネッタや、シェール、チャカ・カーンなどとのデュエット曲を発表、今や屈指のAORシンガーという評価が定着しています。



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TOTO

2007年04月20日 | ミュージシャン
 
♪お気に入りアーティスト56


 ふと耳にした音楽がとても気に入って、すぐショップに買いに走ることってありますよね。たとえば、TOTOの「ホールド・ザ・ライン」を聴いた時のぼくがそうでした。ラジオから流れてくるそのサウンドのカッコよさに惹かれたぼくは、すぐ彼らのデビュー・シングルだった「ホールド・ザ・ライン」を買って何度も聴いていたものです。


 TOTOはロサンゼルスのスタジオ・ミュージシャンとして活躍していたデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロが中心になって結成されたバンドです。
 結成時のメンバーは
 ☆スティーヴ・ルカサー(G,vo)
 ☆デヴィッド・ペイチ(keyb,vo)
 ☆ステイーヴ・ポーカロ(keyb,vo)
 ☆デヴィッド・ハンゲイト(b)
 ☆ジェフ・ポーカロ(drs)
 ☆ボビー・キンボール(vo)
の6人。メンバー全員腕利きのセッション・マンばかりです。


     


 TOTOはいわゆる「AOR」や「産業ロック」の代表格のように揶揄されることもありますが、果たしてそうでしょうか。
 確かに聴きやすいメロディーのヒット曲を多く持ち、商業的にも成功していますが、TOTOのサウンドを聴くと演奏能力の高さ、その音楽の質の高さ、スキのないアレンジなど、音楽的にも傑出していることが分かりますね。
 メンバーそれぞれがスタジオ・ミュージシャンとして優れていただけあって、ロックをはじめ、ジャズ、フュージョン、ハード・ロック、リズム&ブルース、ソウルなどを消化し、そのうえでモダンでポップな作品を次々と作り上げていて、その音楽的要素は非常に幅広いものだと言うことができます。


     
     『TOTO/宇宙の騎士』


 デビュー作「宇宙の騎士」ですぐに高い評価を得たTOTOが1982年に発表したのが「TOTO Ⅳ」です。これは、バンドの代表作とされるばかりか、80年代のロックを代表する作品、とまで言われる質の高いアルバムです。
 「Ⅳ」は、1982年度のグラミー賞で6部門、シングル「ロザーナ」の「レコード・オブ・ジ・イヤー」を含めると、7部門を獲得するという栄誉に輝きました。


     
     『TOTO Ⅳ/聖なる剣』


 非常に緻密に構築されているTOTOサウンドですが、ジェフ・ポーカロのドラムがその基礎となっていると言っていいでしょう。彼の叩き出す音はうねり、グルーヴし、バンド・サウンドに命を吹き込んでいるのではないでしょうか。
 あるいはスティーヴ・ルカサーのギターです。彼のギターは決してテクニックに溺れることがなく、主張すべきところでははっきり音を出す、メリハリのついた演奏を行います。
 もちろん、多彩な音色と的確なバッキングのキーボード群の活躍も見逃せません。


     
     ジェフ・ポーカロ


     
     スティーヴ・ルカサー


 「TOTO」という一風変わったバンド名の由来には諸説があります。ヴォーカリストのボビー・キンボールの本名「トトーズ」をもじったものだとか、日本ではどこのトイレに行っても「TOTO」の文字が見られるため、日本では有名な単語だと思ったから、などと言われていますが、これらはどうやらメンバーによるジョークだそうです。
 最も真相に近いとされるのは、映画「オズの魔法使い」に出てくる犬の名「toto」の意味を調べたところ、ラテン語で「Total」を意味することがわかり、これは数多くのセッションに参加し、どのような音楽にも対応できるバンドの能力にぴったりであることから、「TOTO」をバンド名にした、という説です。


 TOTOももう結成30年になろうとしているベテラン・バンドになりました。現在のメンバーは、
 ★ステイーヴ・ルカサー(g,vo)
 ★デヴィッド・ペイチ(keyb,vo)
 ★グレッグ・フィリンゲインズ(keyb,vo)
 ★マイク・ポーカロ(b)
 ★サイモン・フィリップス(drs)
 ★ボビー・キンボール(vo)
の6人に変わっています。
 昨年は久しぶりにスタジオ録音盤を出し、来日も果たしましたね。まだまだこれからも優れたアルバムを出し続けてほしいものです。



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イーグルス (Eagles)

2007年04月13日 | ミュージシャン
 
♪お気に入りアーティスト55


 ぼくが初めて聴いたイーグルスの曲は「ホテル・カリフォルニア」でした。曲そのものも気に入ったし、後半に聴かれる見事なツイン・リード・ギターにも惚れ惚れしたものです。
 その頃のぼくはビートルズをはじめ、クィーンなどのブリティッシュ・ロックや、初期のシカゴが好きだったので、イーグルスにもゴリゴリのロックのイメージを求めました。イーグルスのファンだった同級生から初期のアルバムを借りて聴いてみたのですが、思っていたのとちょっと違うなぁ、というのが正直な感想で、それ以上はイーグルスを聴いてみようとは思いませんでした。


     
     「ホテル・カリフォルニア」


 何年かして、アメリカン・ロックの魅力に気づいたぼくは、ドゥービー・ブラザーズなどを好んで聴くようになっていました。イーグルスを再び聴いてみたのはそれからのことです。
 最初に聴いた時はアコースティックな音が軟弱に思えたものですが、改めて聴いてみると、曲はいいし、コーラス・ワークはぶ厚くてきれいだし、派手さはないけれどタイトなグルーヴを発しているし、なによりつまらないとしか思えなかったアコースティックな響きが爽やかに感じることができたんです。アコースティックなサウンドだからといって軟弱なわけじゃないんですよね。


 イーグルスはもともとはリンダ・ロンシュタットのバック・バンドだったのですが、独立してデビューし、すぐに「テイク・イット・イージー」をヒットさせます。メンバーはグレン・フライ(vo,g)、バーニー・レドン(g,vo,banjo)、ランディ・マイズナー(vo,b)、ドン・ヘンリー(vo,drs)の四人。とくに初期のイーグルスはバーニー・レドンの影響がとても大きく作用しているようです。バーニーのもつC&W色がイーグルスのアコースティックな部分を支えているように思います。実際、バーニーの脱退前と脱退後では、サウンドの質が違っています。


     


 ドン・フェルダー(g,vo)、ジョー・ウォルシュ(g,vo)らが加わり、バーニーが脱退すると、いっそうロック色を強めるイーグルスですが、西海岸サウンドの放つ香りは持ち続けます。
 フェルダー&ウォルシュのツイン・リード・ギターや、ドン・ヘンリーの色気のあるハスキー・ヴォイスばかりが目立ちがちですが、メンバー全員がヴォーカルを取れるほど歌がうまく、そのコーラス・ワークはイーグルス・サウンドの中でも重要な部分を占めていることを見逃すわけにはいかないと思います。
 また、ベースのランディ・マイズナーは、派手なテクニックこそありませんが、「呪われた夜」や「ホテル・カリフォルニア」「駆け足の人生」などで聴かせてくれるグルーヴィーなベース・ラインはイーグルスの魅力のひとつではないでしょうか。


     
 ぼくが好きなイーグルスの曲は、
「ならず者」(デスペラード)、「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」、「呪われた夜」、「ホテル・カリフォルニア」、「駆け足の人生」などです。どちらかといえばロック色の強いものが多いかもしれませんね。


     
     再結成後のイーグルス


 1994年に再結成したイーグルスは、その後はマイ・ペースで活動を続けています。2004年には来日して話題になりましたね。
 もう一度くらい来日してくれないかなあ。



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八神 純子

2007年04月02日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト54


 もしも30年前に「ディーヴァ」という言葉が一般的だったら、八神純子などはその言葉にふさわしいシンガーだと言えるのではないでしょうか。
 よく伸びる高音が特徴の八神純子の歌のうまさは、当時のシンガーの中では有数のものだったと思います。彼女の曲のメロディも、線の太い澄み切ったその高音を生かすようなものが多いような気がします。
 ポッチャリしたかわいらしい丸顔もわりと好きでした。


     


 八神純子は1974年の第8回ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテストに「雨のひとりごと」で出場し、優秀曲賞を受賞しました。その年の世界歌謡祭にも出場しています。
 1978年に「思い出は美しすぎて」でデビュー、翌79年に発表した「みずいろの雨」が大ヒットしてスターダムにのし上がりました。
 80年には日航「JAL」のイメージ・ソングとなった「パープル・タウン」が大ヒットして、松任谷由実に続くニュー・ミュージック・クィーンと言われるようになりました。


     


 彼女の特徴といえば、やはり優しさと力強さを兼ね備えたような高音です。
 洋楽指向が強く、サンバなどのラテン系リズムを取り入れたり、AORのエッセンスを取り入れたりして、センスのよいシティ・ポップを作り上げていました。
 ぼくは「ポーラー・スター」「パープル・タウン」「アイム・ア・ウーマン」などが好きでよく聴いていました。


     


 80年代に入ると名前を聞く機会が急激に減ったのは残念です。87年には渡米して音楽プロデューサーのジョン・スタンリーと結婚しました。ちなみに結婚後はJune Stanleyの名でロサンゼルスを拠点に音楽活動を続けています。


★パープル・タウン★



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コラシアム(COLOSSEUM)

2006年11月15日 | ミュージシャン


  
 ニュー・ロック、またはアート・ロックと呼ばれて注目された1960年代末期の一連のムーヴメントの渦中に出現したバンドの中で、「コラシアム」の名はいまでも燦然と輝いている、とぼくは思っています。


 コラシアムはジョン・メイオールのブルースブレイカーズに在籍していたジョン・ハイズマン(drums)、トニー・リーヴス(bass)、ディック・ヘクストール・スミス(sax)が中心となり、デイヴ・グリーンスレイド(keyboard)とジェームス・リザーランド(vocal, guitar)らを加えて1968年に結成されたイギリスのジャズ・ロック・グループです。
 ブリティッシュ・ロックらしい重厚な雰囲気をまといながら、新しい時代の到来が予感される当時の混沌としたロック界を体現するかのような新鮮な雰囲気をも併せ持っています。
 ぼくは、このバンドはクリームなどと並び称せられてもおかしくない重みと価値があると思っているのですが、さてどんなものでしょうか。


 20年以上も前のこと、FMでコラシアムの『ヴァレンタイン組曲』がかかったのを聴いたことがあります。
 17分以上にもなる大曲ですが、フルコーラス放送されました。
 それを聴いたぼくは、すぐにその『ヴァレンタイン組曲』の入ったコラシアムのアルバムを買いに走ったものでした。


     
     『ヴァレンタイン組曲』(Valentyne Suite)


 ブルースやジャズの要素いっぱいに繰り広げられる彼らのプレイは、先進の気質と魅力にあふれるものです。
 創造的、意欲的で、技術的にも文句なく、当時の彼らが生み出されたブリティッシュ・ロック界の充実ぶりまでもが伺えるほどです。
 バンドを率いるのは、ドラマーのジョン・ハイズマン。
 存在感のあるハイズマンのスティックさばきは、ちょうど同じ時期に活躍していた、やはりブリティッシュ・ロック界の名ドラマー、ジンジャー・ベイカーに勝るとも劣らない、華麗かつ過激なものだと思います。
 そのほか目立つのが、D・H・スミスのサックスとD・グリーンスレイドのキーボード群の活躍です。
 ロック界では珍しいサックスの入った編成は、ビジュアルだけでもユニークで、ジャジーです。



トニー・リーヴス(bass 左)、ジョン・ハイズマン(drums 中央)、ディック・ヘクストール・スミス(sax 右)


 コラシアムは、1971年の暮れには活動歴わずか3年あまりで解散することになるのですが、彼らのブリティッシュ・ロックにおける位置づけはその短い年月からは計り知れない大きなものではないでしょうか。
 ハイズマンはのちアラン・ホールズワースらとテンペストを、またゲイリー・ムーアらとコラシアムⅡを結成しています。
 リザーランドの後任としてコラシアムに加わったクレム・クレムソンは、のちハンブル・パイの一員として活躍することになるし、プロデューサーに転身したリーヴスの、後任ベーシストであるマーク・クラークはのちユーライア・ヒープやレインボウに加入しています。
 スミスはソロ活動へと進み、D・グリーンスレイドは、ツイン・キーボード・グループとして一部では評価の高いバンド、「グリーンスレイド」をのちに結成するなど、それぞれの活動歴を見てゆくだけでも、このコラシアムというグループがいかにブリティッシュ・ロック界の中で大きな位置を占めていたかが分かるでしょう。


 彼らの音楽はジャズ・ロックの源流のひとつとも言えるし、ブルースやクラシックからの大きな影響もうかがえます。
 そしてそれ以上に、積極的にジャズやブルースを吸収し、昇華していったその姿勢からは、コロシアムはプログレッシヴなグループだったとも言えるのではないでしょうか。


 コラシアムは1994年に再結成されました。
 2007年2月には来日公演が予定されていますが、これを機会にもっと再評価されてもよいのではないかと思っています。


 【追記】コラシアムは2015年に再び解散。2018年6月12日にはジョン・ハイズマンが73歳で死去したが、2020年に再々結成している。




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