ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ヒート (Heat)

2009年04月30日 | 映画
 

ヒート [HEAT]
■1995年  アメリカ映画   
■監督・脚本…マイケル・マン  
■音楽 ………エリオット・ゴールデンタール  
■出演
  ロバート・デ・ニーロ     
  アル・パチーノ
  ヴァル・キルマー      
  トム・サイズモア
  ジョン・ボイト         ダニー・トレヨ
  ナタリー・ポートマン     ダイアン・ヴェノーラ
  エイミー・ブレナマン     アシュレイ・ジャッド
                      etc・・・
 

 「映画史上に残る銃撃シーン」の謳い文句に興味をひかれて見た「ヒート」。たしかに、中盤あたりに出てくる銃撃戦は、今まで見た映画の中でもまれな、迫力あるものでした。


     
     ロバート・デ・ニーロ(左)とヴァル・キルマー


 この映画、「明と暗」「静と動」「善と悪」、そして「刑事と犯罪者」、つまりヴィンセント・ハナ刑事(アル・パチーノ)とニール・マッコーリー(ロバート・デ・ニーロ)を対比させながら、実はふたりは「同じ世界」に住む「仲間」であることを浮き彫りにしています。


     
     ロバート・デ・ニーロ


 正義感というより、本能的に犯罪者を追わずにはいられないヴィンセントは、プロの強盗団のリーダー格であるニールを追ううちに、奇妙な連帯感を覚えます。ニールもヴィンセントの能力を恐れながら、実はふたりは同じ生き方しかできないことを認めているのです。


     
     アル・パチーノ


 主演のふたり、シブいですねぇ。クールなデ・ニーロ、ワイルドなパチーノ、どちらもカッコいいです。最後のシーンは、ひと昔前の西部劇に見られた「ガンマンの決闘」を思い出しました。
 ほかにはヴァル・キルマーの抑えたクールさが良かったです。  


 この映画、まず街の息遣いが感じられるようなリアルな映像に引き込まれました。リアルといえば、主演のふたりは実在しています。ヴィンセントは、元シカゴの捜査官チャック・アダムソン氏。そしてニールは、アダムソン氏が逮捕に全力をあげた、その名もニール・マッコーリーをモデルとしているんだそうです。 
 ドラマのディテールや逸話は、マン監督が、捜査官や犯罪者から長年にわたって取材・収集した情報を元にしています。
 また、強盗団の運転手役を演じているダニー・トレヨは、実際に刑務所に入っていたことがあり、服役中に演技を勉強し、出所後に俳優となったそうです。


          
     ヴァル・キルマー       トム・サイズモア


 典型的な「刑事対犯罪者」ドラマですが、デ・ニーロとパチーノの存在感が際立っていますし、そのふたりの対比がくっきりしているので、3時間弱の長編ながら、時間が苦になりませんでした。  
 ぼくはロバート・デ・ニーロが大好きなんですが、これは彼の出演した作品の中でも五本の指に入るもの、と思っています。




『ヒート』 トレーラー



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ブラス! (Brassed Off)

2009年04月26日 | 映画
 

ブラス!  [Brassed Off]
■1997年  イギリス映画  
■監督・脚本 …マーク・ハーマン  
■音楽…………トレヴァー・ジョーンズ  
■劇中の演奏…グライムソープ・コリアリー・バンド  
■出演
  ☆ピート・ポスルスウェイト(ダニー)          
  ☆タラ・フィッツジェラルド(グロリア)          
  ☆ユアン・マクレガー(アンディ)
  ☆スティーブン・トンプキンソン(フィル)
  ☆ジム・カーター(ハリー)
  ☆フィリップ・ジャクソン(ジム)
  ☆ピーター・マーティン(アーニー)
  ☆メラニー・ヒル(サンドラ)     etc・・・


 今日は雨上がりの翌日で風の強い日でしたね。午後一番から用事があったのでバタバタしてましたが、最後に車にガソリンを入れ、洗車して用を終えました。そして家に帰ってから何か映画を観ようと思い、棚から出してきたのがこの「ブラス!」です。久しぶりに観たけど、やっぱりいい映画です~


 「音楽」が何より大切だと思える人生って、素晴らしいです。 
 しかし現実には、音楽よりも大事なもの、ありますよね。 
 でも、「音楽を大切にしている人たち」にとっては、音楽があるからこそ「音楽より大事なもの」を尊重できるのではないでしょうか。  


 なんだか禅問答みたいになってしまいましたが、これが、ぼくが「ブラス!」を観たあとの感想です。   


 炭鉱の仲間によって作られた、100年以上の伝統を誇る「グリムリー・コリアリー・バンド」。しかし炭鉱の閉鎖が決まり、炭鉱によって支えられてきた町も、町の人々も絶望しかけています。 
 「何よりも音楽が大切だ」との信念を持っている、バンドに人生の大半を捧げてきた指揮者のダニーだけは、炭鉱の閉鎖よりも吹奏楽コンクールのことで頭がいっぱいです。  


 ダニーの息子フィルは、組合活動の結果刑務所へ入っていたことがあり、その時の生活費を借金で賄いましたが、その借金が膨れ上がって苦境に立たされています。
 そのうえ愛用のトロンボーンが壊れ、悩んだ末に思い切って楽器を買い換えますが、そのことが妻サンドラにばれてしまいます。
 そして父ダニーは塵肺のため倒れ、家財一切はついに債権者に取り上げられてしまい、サンドラも子供達を連れて出ていってしまいます。 
 思い余ったフィルは自殺を図ります。幸い命は助かりましたが、職も、家族も、財産も失ったフィルは、生きる気力まで失います。


     
     フィル(左)とダニー


 音楽が生き甲斐のダニーも、塵肺という恐ろしい病気になったうえ、炭鉱閉鎖のあおりでバンドが解散せざるを得なくなったことを知らされ、内心打ちのめされます。恋仲のアンディとグロリアは、グロリアが会社側(雇用者側)に勤めていることから、すれ違いを起こします。ハリーと、炭鉱閉鎖反対の婦人運動を必死に続けている奥さんとの仲は、冷え切っています。ジムもアーニーも生活は苦しい。


     
     ユアン・マクレガー(左)とタラ・フィッツジェラルド(右)


 職を失い、生きる希望さえも失っているのはダニー父子だけではない。バンドのみんな、町のみんなが絶望しています。そういう時、現実に、音楽は何の助けになるんだろう。


 しかし最後に、自分たちのため、生き甲斐を失ったダニーのため、そして何より職を失った1000人の仲間のため、一時は出場を断念したコンクールに臨みます。 
 そしてバンドは見事に優勝するのです。


     


 バンドが決勝で演奏した「ウィリアム・テル序曲」、感動しました。それぞれの背負う重荷を感じながら聴いたからなんでしょうね。 
 ぼくは「つねに"今夜が最後のステージ"だと思え」と教えられてきました。まさにバンドは「最後の演奏」に臨んだわけです。そしてこういう状況で出る音は、重いけれども、心のこもった、純粋なものになると思うんですね。  


 表彰式でのダニーの挨拶には胸を打たれました。 
 「現在、発展の名のもとに善良な人々が苦境に立たされている。アシカやクジラは心配されるのに。音楽が人生で最も大事だと思ってきたが、生きる希望を失っては何もならない。」といって、表彰を拒否するのです。これは、当時のサッチャー政権に対する痛烈な批判でもあります。 
 表彰を拒否したダニーはさっさとステージから去りますが、そこでジムが優勝トロフィーを強引に持ち去るのはとてもおかしかったです。  


 エンディングでのみんなの表情はとても明るいですね。これは優勝したことよりも、自分たちの音を出し切ったことで、希望を見出すことができたからだと思うんです。
 フィルとサンドラも元のサヤに収まるみたいだしね。 
 帰りのバスの中で演奏する「威風堂々」、素敵です。


     


 個人的には、グロリア役のタラ・フィッツジェラルド、好みのタイプです。  
 どうもぼくは「お姉さん」ぽい人「も」 好きみたいだなぁ。




劇中のハイライト「ウィリアム・テル序曲」



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メンフィス・ベル (Memphis Belle)

2008年05月11日 | 映画

 

メンフィス・ベル [Memphis Belle]     
■1990年 アメリカ映画   
■監督…マイケル・ケイトン・ジョーンズ   
■音楽…ジョージ・フェントン   
■出演
  ☆マシュー・モディン(操縦士デニス)        
  ☆エリック・ストルツ(無線士ダニー)         
  ☆テイト・ドノヴァン(副操縦士ルーク)         
  ☆D.B.スウィーニー(航空士フィル)         
  ☆ビリー・ゼイン(爆撃手ヴァル)         
  ☆ショーン・アスティン(旋回砲手ラスカル)         
  ☆ハリー・コニック Jr.(後部砲手クレイ)         
  ☆リード・エドワード・ダイアモンド(上部砲手ヴァージル)      
  ☆コートニー・ゲインズ(右砲手ユージーン)         
  ☆ニール・ジューントーリ(左砲手ジャック)         
  ☆デヴィッド・ストラサーン(中隊長)         
  ☆ジョン・リスゴウ(デリンジャー大佐)
 

【ネタバレあります】
 戦争映画といえば、「正義の」アメリカが「悪い」敵国をやっつける「勧善懲悪」パターンや、主人公の戦いぶりを英雄的に描くものなどが典型的なパターンですが、この「メンフィス・ベル」は、それらとは少し趣を異にします。


    
  マシュー・モディン(デニス)    エリック・ストルツ(ダニー)


 スターがキラ星のごとく出演している従来の大作に比べると、どちらかといえば地味な出演陣(といっても、「グーニーズ」のS・アスティンや、「フルメタル・ジャケット」のM・モディンらの顔が見えます)だったため、あまり期待せずに見たのですが、


          とてもよかったです  


 舞台は、1943年5月、イギリスにあるアメリカ空軍の基地。 
 「メンフィス・ベル」と名乗る爆撃機B-17は、今までの24回の出撃を無事に終えたアメリカ第8空軍唯一の機で、その強運ぶりは部隊中に轟いています。 
 25回目の任務を終えると、10人のクルーには除隊が待っているのですが、最後の出撃として、ドイツのブレーメンにある軍需工場への爆撃命令が下されます。猛烈な対空砲火や戦闘機の襲撃が当然待ち構えていて、無事の帰還は望めそうにありません。 
 メンフィス・ベルは、最後の最後で幸運から見放されたのでしょうか。  


 この映画の面白いところは、戦争映画なのにもかかわらず、おもな出演者(つまりメンフィス・ベルのクルー)は誰ひとりとして死なないことです(正確には、他の機が撃墜されたりはしていますが…)。   
 出撃後、敵機の攻撃を受けて、僚機が次々に撃墜されてゆきます。メンフィス・ベルも敵弾を何発も受けまるのですが、奇跡的に乗組員は無傷です。 
 ようやく目的地に着くのですが、目標の軍需工場が見えないため、隊長のデニスは部下の反対を押し切り、危険を冒して上空を旋回し、チャンスを待ちます。周囲に学校や病院があるため、無差別爆撃を避けようとするんです。


      
  ショーン・アスティン(ラスカル)   ビリー・ゼイン(ヴァル)


 帰還途中もさまざまなアクシデントに見舞われます。そしてダニーが瀕死の重傷を負い、一時は敵の救助を期待してダニーにパラシュートをつけて飛行機から落とそうとさえするのです。 
 ようやくのことで基地にたどり着きますが、燃料はなくなり、しかも片方の車輪が出ない。
 ラストの3分間は、スリリングで感動的。
 バックで流れている「ダニー・ボーイ」が興奮を高めてくれます。


 娯楽作品として見ても、とてもスリリングで面白い映画です。しかし、戦争映画でありながら、「敵を倒す痛快なもの」ではなく、「生き抜くこと」に主眼を置いた作品ではないでしょうか。 
 あくまで爆撃は軍需工場に限定するのかどうか、重傷者を助けるためにパラシュートを着けさせて落下させるかどうか、これらのさまざまな葛藤は、同時に「人間の尊厳」という命題をぼくらに投げかけているような気がするのです。


 「戦争映画って、ちょっとどうも…」と思っているけれど、社会派映画は好き、という人におすすめできる作品かもしれません。  


 出演者の中に、ジャズ・シンガーのハリー・コニック Jr.の姿も見えますね。劇中、出撃前のパーティの席で、名曲「ダニー・ボーイ」を歌ってくれています。甘く、深みのある歌声、ステキですよ。


     
     ハリー・コニック Jr. (クレイ)




『メンフィス・ベル』予告編


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恋のゆくえ (The Fabulous Baker Boys)

2008年03月17日 | 映画
 
 
■恋のゆくえ [The Fabulous Baker Boys]
■1989年  アメリカ映画
■監督・脚本 … スティーヴ・クローブス  
■音楽…………デイヴ・グルーシン
■出演
  ☆ミシェル・ファイファー(スージー)
  ☆ジェフ・ブリッジス(ジャック)
  ☆ボー・ブリッジス(フランク)


 Yahoo!オークションで落札したDVD「恋のゆくえ」が届きました。
 ビデオでは何度も観ている、ぼくの大好きな映画のひとつです。
 今日はこのDVDを二度観ました。字幕で、そして吹き替えで。
 で、再出ですが、今日はこの映画を取り上げてみたいと思います。


 【ネタバレあります】


 「破滅的な生き方」を認めるタイプです、ぼくは。
 でも、それは、単にやりたい放題のムチャクチャな人生を送ることではなくて、安定した生活や平穏な日常よりも、自分の生き方を貫くことを優先させることだ、と自分では捉えています。


 この映画は兄フランク(ボー・ブリッジス)と弟ジャック(ジェフ・ブリッジス)の売れないツイン・ピアノ・ユニットと、ボーカリストのスージー(ミシェル・ファイファー)の物語です。
 大向こうを唸らせるような作品ではないかもしれないけれど、ぼくにとっては心にしみいるような、せつなくて渋い映画です。


     
     左から B・ブリッジス、M・ファイファー、J・ブリッジス


 兄フランクは、ミュージシャンという不安定な世界で生きていながら、安定を大切にするタイプ。だからつまらない仕事でも、契約した以上はきちんとこなしていき、温かい家庭を守っていくことに喜びをみいだしています。


     
     ボー・ブリッジス


 対照的な弟ジャックは寡黙ですが、ピアノの腕前は抜群。クールでハンサム、天才肌のピアニスト。女性にはモテるし、淡々と仕事をこなして、一見気ままな独身生活を楽しんでいるように見える。でも本当は同じアパートに住む孤独な女の子以外には誰にも心を開かない。実はやりたい音楽があるのだけれど、それを隠して意に沿わない音楽を演奏している。そしてそのギャップに内心苦しんでいる。


     
     ジェフ・ブリッジス


 この売れない二人が、局面打開のため、ユニットに歌手を加えることを決意します。オーディションの末、選ばれたのがミシェル・ファイファー演じるスージーです。気が強く、強烈な個性を持ってはいますが、内面には孤独感を隠している女性です。


     
     ミシェル・ファイファー


 で、このスージーがとても魅力的!
 悪態のつき方ひとつ見ても頭の回転の速さが伺えますし、はっきりとした自分の人生観を持っているがゆえに自分で自分の非力さも痛感していて、そのためたくさん傷ついてきている、そんな女性です。
 で、スージーの歌う歌がまたカワイイ。歌を通じて自分の内面を表現しようとしているような、そんな歌です。


 映画の中では「More Than You Know」「Feelings」「Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)」などを歌ってくれてます。エンド・ロールでは「My Funny Valentine」も聴くことができます。なんと彼女は吹き替えなしで歌っているそうです。とても自然に歌っていて、心地良く耳に迫ってきます。一聴の価値はあると思いますよ。


     


 売れないバンドマンの悲哀が感じられる映画ですが、ジャックの、「本当はジャズに没頭したい、けれど食べていくためには我慢してヒット・ナンバーも弾き続けなければならない」という葛藤が高じて、兄フランクと次第に対立してゆくようになる様子、せつないです。


 そしてジャックとスージーの恋。反発を感じながらも実は似たもの同士なんでしょうね。自分の道を歩いて行こうとするスージーを見て自分が惨めに思えるジャックだけど、最後はジャック自身も自分の道を進もうとします。


     


 この映画の音楽担当はデイブ・グルーシン。劇中では、「Prelude To A Kiss(キスへのプレリュード)」、「10Cents A Dime」、「Moonglow」、「Solitude」、「Makin' Whoopee」など、たくさんのジャズ・ナンバーが楽しめます。


     


 ぼくはジャックの自分の人生に対する葛藤に一番惹かれました。
 そして、なによりも、この映画の持つ雰囲気が好きです。これ、ジャズのもつ雰囲気を映像で表しているように思えるのです。


 ラスト・シーンがとても印象に残ります。
 ふたりはそのまま別れてしまうのかどうかは含みを持たせていますが、明るい陽射しの下で交わされる二人の会話、ぼくにはなんとなくハッピーエンドだと感じられるのです。二人が結ばれないにしても、お互い自分で自分の道を、前を向いて切り拓いてゆくことを暗示しているような気がするラスト・シーンだと思います。


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メジャー・リーグ (Major League)

2008年01月03日 | 映画
 
メジャー・リーグ (Major League)  
■1989年  アメリカ映画
■監督/脚本…デヴィッド・S・ウォード   
■音楽…………ジェイムズ・ニュートン・ハワード
■出演
  ☆トム・ベレンジャー(ジェイク)  
  ☆チャーリー・シーン(リッキー)  
  ☆レネ・ルッソ(リン)  
  ☆コービン・バーンセン (ロジャー)
  ☆ウェズリー・スナイプス(ウィリー)
  ☆デニス・ヘイスバート(ペドロ)   etc・・・


 【注…ネタバレあります】
 ぼくは物心ついた時から野球好きだったみたいです。それに加えて大の阪神ファンとなったのは、判官びいきとヘソ曲がりという、少々ひねくれた性質を持ち合わせていたせいもあるでしょう。
 ところがこの阪神タイガースというチーム、よく言われる「出来の悪い息子」の例えがピッタリなチームなのです。それだけに愛情の注ぎがいもあるというものですが、20年に一度くらいしか優勝してくれないのでは、鬱憤がたまりにたまって精神衛生上よろしくありません。


     
     リン (レネ・ルッソ)


 物心ついてから1985年まで延々とお預けを食わされましたが、この頃の阪神は、巨人と対抗するリーグの名門球団として、毎年のように優勝を争っていたから、少なくともドキドキハラハラのペナントレースを味わうことは可能だったわけなのです。 ところが87年頃からはセ・リーグ史上に残る弱体チームと化してしまいました。延々続く不甲斐ない戦いぶりに、罵声を浴びせる気力もいつしか失せてしまったのですが、見捨てることだけはどうしてもできませんでした。


 この1987年から2001年頃までの阪神とよく似た状況だったのが、名門チームでありながら、1954年の優勝を最後にリーグのお荷物となってしまったクリーブランド・インディアンスです。そして、このインディアンスをモデルにしたのがこの映画というわけです。物語は、どん底のチームに愛想をつかしたオーナーのレイチェル・フェルプス(マーガレット・ホィットン)が、チームを私物化しようと試みるところから始まります。


     
     リッキー (チャーリー・シーン 左)
     ジェイク (トム・ベレンジャー 右)


 20分も見れば、この映画のあらましは見えてしまいます。弱小球団がいつしか強力チームに変貌をとげ、わがままなオーナーのハナを明かすという、とくに新鮮でもないストーリーです。
 でもなぜこんなに何度も繰り返して見てしまうのでしょう。そしてなぜそのたびに画面に引き込まれてしまうのでしょうか。
 それはこの映画が、野球というスポーツの面白さを見事に伝えているからに他ならないからだと思うのです。


 選手たちの強烈な個性が楽しい。かつては大スターだったが、膝を壊して使い物にならなくなった捕手(トム・ベレンジャー)。足の速さは群を抜いているが、ほかには取柄のない一番打者ウィリー(ウェズリー・スナイプス)。桁外れの速球が武器だが、コントロールがさっぱりの投手リッキー(チャーリー・シーン)。とてつもない大物打ちだが、変化球をさっぱり打てないペドロ(デニス・ヘイスバート)。 その上、チーム内ではクリスチャンの投手ハリス(チェルシー・ロス)とブードゥー教のペドロの宗教的対立、ベテラン三塁手ロジャー(コービン・バーンセン)と若手のリッキーの世代間の対立など、トラブルのタネも事欠きません。
 また、リン(レネ・ルッソ)とジェイクの恋の行方も気になるところです。


     
     ロジャー (コービン・バーンセン)


 しかし「お約束」通り、オーナーに反発して一致団結したチームは、ジェイクを精神的支柱として破竹の快進撃を続け、最終戦で優勝をかけてライバルのヤンキースと戦うのです。リアルな観客席の雰囲気の描写がこの試合の臨場感をさらに高めてくれます。
 ベーブ・ルースの予告ホームランの逸話を取り入れた試合のクライマックスには何度見ても興奮してしまいます。
 チャーリー・シーンは高校時代プロからスカウトされたこともある野球の実力を持っていますが、これが投球シーンをさらに迫力あるものにしています。


     
     リッキー (チャーリー・シーン)


 そして、優勝の瞬間! アナウンサー(ボブ・ユッカー)が興奮して「インディアンスが勝った!勝った!」と叫ぶのですが、セリフが単純なだけに、逆に優勝を待ち焦がれていたアナウンサーのチーム愛(註…米国のアナウンサーはチームの専属)がよく出ていると思います。ちなみにこのボブ・ユッカーもれっきとした元メジャー・リーガーで、映画が公開された当時は本物のアナウンサーとして活躍していました。
 また、開幕からずっと外野席で応援を続けていた地元のカフェのママとお客たちの表情もいいですね。実際、こんな半泣きの顔で久しぶりの優勝を喜んでいた阪神ファン、たくさん見たものです。


 何度見ても、気がつくと目がうるんでいる自分がちょっと恥ずかしいのですが。
 でも、野球っていいなあ、としみじみ思ってしまいます。
 ぼくの好きな評論家の玉木正之氏がこの映画を「すばらしいB級映画であると同時に、一流のスポーツ映画でもある」と評していますが、まったくその通りだと思うのです。


 もちろん、リッキーのテーマとしてアレンジされたトロッグスの名曲、「ワイルド・シング」のカッコよさも、音楽ファンとしては聴き逃せないところです。


 実際のインディアンスは、この映画が公開された6年後の1995年、41年ぶりに見事に優勝を果たしました。




     『メジャー・リーグ』トレイラー




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戦場にかける橋 (The Bridge On The River Kwai)

2007年11月24日 | 映画
♪お気に入り映画


戦場にかける橋 (The Bridge On The River Kwai)
■1957年 イギリス・アメリカ合作映画 161分
■監 督
  デヴィッド・リーン(David Lean)
■原 作
  ピエール・ブール「戦場にかける橋」(Pierre Boulle「Aux sources de la rivière Kwaï」) 
■製 作
  サム・スピーゲル(Samuel P. Spiegel)
■音 楽
  マルコム・アーノルド(Malcolm Arnold)
■出 演
  ウィリアム・ホールデン(William Holden)/シアーズ中佐
  アレック・ギネス(Alec Guinness)/ニコルソン大佐
  ジャック・ホーキンス(Jack Hawkins)/ウォーデン少佐
  早川雪洲(Sessue Hayakawa)/斎藤大佐
  ジェームズ・ドナルド(James Donald)/クリプトン軍医
  ジェフリー・ホーン(Geoffrey Horne)/ジョイス中尉
  アンドレ・モレル(Andrè Morell)/グリーン大佐
  ピーター・ウィリアムス(Peter Williams)/リーヴス大尉
  ジョン・ボクサー(John Boxer)/ヒューズ少佐
  パーシー・ハーバート(Percy Herbert)/グローガン二等兵
  ハロルド・グッドウィン(Harold Goodwin)/ベイカー二等兵
  アン・シアーズ(Ann Sears)/看護婦
  ヘンリー大川(Henry Okawa)/兼松大尉
  勝本圭一郎(Katsumoto)/lieutenant三浦中尉
  M.R.B.チャクラバンドー(M.R.B. Chakrabandhu)/ヤイ


     


 【注:ネタバレあります】
 この映画のクライマックス・シーン、はじめて見た時にはハラハラドキドキ、とても興奮したものです。
 ニコルソン大佐役のアレック・ギネスの演技には、惹きこまれてしまいました。
 映画の持つテーマの重さにも考えさせられる、「心に残る作品」のひとつです。


        


 「武士道」を盾に、捕虜に絶対服従を求める、捕虜収容所長の斎藤大佐。規律があってこそはじめて文明が成り立つと信じているニコルソン大佐。悲惨な環境にいながら軍人としての威厳や信念にこだわるこのふたりをやや冷ややかに見ているシアーズの三人を軸に物語は進んでゆきます。


     
     アレック・ギネス

     
     早川雪洲

     
     ウィリアム・ホールデン


 ぼくが今よりもっと若い頃は、圧力に屈せず信念を曲げないニコルソン大佐の生き方がこの映画の主題だと思っていました。
 今のぼくは、ちょっと違った見方をしています。


     
     アレック・ギネス(左)、早川雪洲(右)

    
 シアーズは、「軍人らしく」生きることが根底にある斎藤大佐やニコルソン大佐、思わぬ負傷のため自分が作戦の足手まといになることを恐れて死のうとするウォーデン少佐などとは明らかに生き方が対照的です。彼の生き方を通じて(シアーズのセリフにも出てきます)この映画が訴えたかったことのひとつ、それは「いかに生きるか」ではないでしょうか。


     
     アレック・ギネス(左)、ジェームズ・ドナルド(右)


 敵対する日本とイギリスではありますが、軍人としての建て前に終始する点では斎藤もニコルソンも、実は「同じ側」の人間と見なすことができるでしょう。
 このふたりと、人間らしく生き抜くことを大切にしようとするシアーズを対比して、人間の尊厳を描こうとしているのではないでしょうか。


     
     ウィリアム・ホールデン(左)、ジャック・ホーキンス(右)


 橋が爆破されたあと、ぼうぜんとした表情のクリプトン軍医が「狂ってる!」と二度吐き捨てています。作者は、軍医には「戦争にまつわる行為」そのものがむなしく、無意味である、と言わせたかったのでしょう。

     
 早川雪洲、A・ギネス、W・ホールデンの三人のすばらしい演技が映画に重厚感を与えていると思います。とくにA・ギネス、セリフのひとつひとつに重みがあり、とりわけラスト・シーンの迫真の演技には一種の感動を覚えました。


     

     

     


 映画冒頭でイギリス軍捕虜たちが行進しながら口笛で吹く曲が、有名な「クワイ河マーチ」です。原題は「ボギー大佐」と言うらしいんですが、この映画で一躍世界中に広まりましたね。




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陽のあたる教室 (Mr. Holland's Opus)

2007年11月17日 | 映画
♪お気に入り映画


陽のあたる教室  [Mr. Holland's Opus]
■1995年  アメリカ映画
■監 督
  スティーブン・ヘレク(Stephen Herek)
■音 楽
  マイケル・ケイメン(Michael Kamen)
■出 演
  リチャード・ドレイファス(Richard Dreyfuss)/グレン・ホランド
  グレン・ヘドリー(Glenne Headly)/アイリス・ホランド
  ジェイ・トーマス(Jay Thomas)/体育教師ビル・マイスター
  オリンピア・デュカキス(Olympia Dukakis)・/ヘレン・ジェイコブズ校長
  ウィリアム・H・メイシー(William H. Macy)/ジーン・ウォルターズ副校長
  アリシア・ウィット(Alicia Witt)/少女時代のガートルード・ラング
  ジョアンナ・グリースン(Joanna Gleason)/ガートルード・ラング知事
  テレンス・ハワード(Terrence Howard)/ルイス・"ルー"・ラス
  ジャン・ルイサ・ケリー(Jean Louisa Kelly)/ロウィーナ・モーガン
  ニコラス・ジョン・レナー(Nicholas John Renner)/6歳のコール・ホランド
  ジョセフ・アンダーソン(Joseph Anderson)/15歳のコール・ホランド
  アンソニー・ナタール(Anthony Natale)/28歳のコール・ホランド
  アレクサンドラ・ボイド(Alexandra Boyd)/サラ・オルムステッド先生
  デイモン・ウィテカー(Damon Whitaker)/ボビー
  バルサザール・ゲッティ(Balthazar Getty)/スタドラー       



【注意…ネタバレあります】


 いったい何をもって人生の成功と言うのでしょうか。もちろん価値観は人それぞれだから、成功の意味も人それぞれ違ってくるでしょうね。


 ここに一人のミュージシャンがいます。音楽の道だけで生活してゆくことが厳しいため、不本意ながら教師として高校に勤め始めます。いずれ素晴らしい作品を書きあげたら、教師をやめて音楽に専念することを夢見ながら。


     
     ホランド先生(R・ドレイファス)


 しかしホランド先生(リチャード・ドレイファス)の夢はついに叶わず、高校を退職する日が来ます。在職中の30年間は、思い通りに勉強しようとしない生徒たちに頭を痛め、私生活を優先させたいにもかかわらず教師としての職務に時間を取られ、組織の利益を最優先させる石頭の副校長(W.C. マーシー)に絶望し、やっと授かった子供は聴覚障害を持っていたことから精神的な葛藤に苦しむという、波乱続きの日々でした。


 さて、彼の人生は失敗に終わったのでしょうか?


     
     ガートルードとホランド


 ホランド先生は、大きな劣等感を持つガートルード(アリシア・ウィット)という少女に自信を持たせたことがきっかけで、次第に教師としての責任に目覚めます。対立していた校長(オリンピア・デュカキス)からものちには厚い信頼を得るほどになります。


     
     ジェイコブズ校長とホランド


 心から職務に打ち込むことができるようになった頃、息子コールが生まれます。聴覚障害を持っているコールとは意思の疎通が思うようにゆかず、そのために父と子の間に深い溝が生まれてしまいます。


     
     
     妻アイリスとホランド


 また天性の歌の才能を持った少女ロウィーナ(ジャン・ルイサ・ケリー)と出会い、お互いに惹かれ合うようになります。そして、自分の未来を試すことを決意したロウィーナからは、一緒にニューヨークへ行こう、と懇願されます。
 苦労して音楽の楽しさを教えた、フットボール部のスターだったルー(テレンス・ハワード)はベトナムで戦死、ホランドは無力感を味わいます。


     
     ロウィーナとホランド


 ホランドはとても人間くさく描かれていて(だから共感できるのですが)、問題が起きるたびに自分を見失いそうになるのだけど、最後は必ずその問題と向き合います。そして妻アイリス(グレン・ヘドリー)や、無二の親友となる体育教師のビル(ジェイ・トーマス)などに支えられながら、自らの努力でそれを解決しようとするのです。


     
     親友の体育教師ビルとホランド


 コールとの父子の絆を取り戻し、ロウィーナの前途を心配しつつも、妻アイリスと育んできた夫婦の愛を取り戻そうとします。階段を一段ずつ上がるように、自らもひとつずつ成長を続けていくわけです。


 コールの前で手話を交えながらジョン・レノンの「ビューティフル・ボーイ」を歌うシーンがあります。はっきり言ってホランドの歌は下手でした。しかしあんなに感動した「下手な歌」を聴いたのは初めてでした。


     
     ホランドの愛息コール


 さて、教育費用のカットを目論む教育委員会の方針で、ホランドはやむなく退職せざるを得なくなります。アイリスと、今は聾学校の先生となっているコールとともに、寂しく学校から立ち去ろうとしたその瞬間、ホランドは講堂からざわめきが聞こえるのに気づきます。


 いや~、この後のシーンにはとても感動しました。だから、あっさり粗筋を書くのが惜しいような気もするんですよね。
 ご存知の方も多いとは思いますが、そうです、講堂ではホランド先生の送別集会が開かれようとしていたのです。そしてそこに来賓として現れたのが、今や州知事になっている、あの劣等感でいっぱいだった少女ガートルードなのです。
 彼女のスピーチの抜粋を書いておこうと思います。


 「先生は自分の人生を誤ったとお考えかもしれません。たしかに先生は富も名声もありませんが、それで自分を人生の失敗者とお考えならそれは大きな間違いです。
 先生はここにいる全員の人生に触れ、より良い人間に育ててくれました。私たちが先生の『交響曲』であり『作品のメロディ』であり、『先生の人生の音楽』なのです。
 先生は富や名声を越えた成功を収められたのです」


     
     ホランドとガートルード・ラング知事


 そして、最後にホランド自らの手で初演される、長年あたためてきた自作「アメリカ交響曲」の感動的なこと!


     


 「人生における成功」の意味を考える時、たかが映画ではあっても、このガートルードのスピーチはそのひとつの答えになりうると思います。
 そしてぼくは、この答えが映画の中だけのものでないことを示すことができれば、とも思っています。


 最後に付け加えておくと、映画の中に散りばめられている60~90年代のポップスの数々、それらが劇中のそれぞれの時代を感じさせてくれています。



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ブルース・ブラザーズ2000 (Blues Brothers 2000)

2007年07月26日 | 映画
 
♪お気に入り映画25


ブルース・ブラザーズ2000 (Blues Brothers 2000)
■1998年 アメリカ映画
■監督…ジョン・ランディス
■音楽…ポール・シェイファー
☆ダン・エイクロイド(エルウッド・ブルース)
☆ジョン・グッドマン(マイティ・マック)
☆ジョー・モートン(ケイベル・チェンバレン)
☆J・エヴァン・ボニファント(バスター)
☆アレサ・フランクリン(ミセス・マーフィー)
☆ジェームズ・ブラウン(クリオファス牧師)
☆B.B.キング(マルバーン・ガスペロン)
☆サム・ムーア
☆ニア・ピープルズ
☆エディ・フロイド
                   etc・・・


 【ネタバレあります】
 前作から18年、主役のジョン・ベルーシほか、キャブ・キャロウェイとジョン・キャンディが鬼籍に入った今、続編をどういった形で作ってくれるのか心配と楽しみが半々でした。
 ストーリーは前作とほぼ同じ。バンド再編を目論むエルウッドがメンバーを集めつつもあちこちで騒動を巻き起こし、警察とロシアン・マフィアに追われながら、伝説のバンド・コンテストを目指して旅に出る、というもの。お約束のカー・チェイスや、ちょっぴりおバカなギャグも相変わらずです。
 でもこれは、ネタが尽きたというより、前作のパロディー、いや、パロディーでもないな、むしろ前作へのオマージュ、といった方がいいのかもしれません。


     


 実際のところ、前作と似通ったストーリーであるというのは、二番煎じと受け取られかねないとも思います。また、ブルース・ブラザーズ・バンドの面々も前作に比べて18歳年を取っているわけで、そのためこれらを映像で見ると、映画そのもののパワー・ダウンに繋がっているのは否めないところでしょう。
 でも、ぼくは「ブルース・ブラザーズ」は偉大なるマンネリでも構わないんじゃないか、と思います。なぜなら、映画の中でエルウッドが語っている通り、アメリカの偉大な音楽であるブルーズ、ジャズ、ソウルなどの楽しさを伝えようとしているのがこの映画の大きなテーマだと思うからなのです。そしてその通り、今回の演奏シーンも楽しいものばかりでした。また、どんな困難に見舞われても平気の平左、つねに前を見て進み続けるエルウッドの生き様も能天気でいいんですよね。


     


 今回も大物ミュージシャンがズラリと勢ぞろいしています。
 とくにクライマックス・シーンで登場する「ルイジアナ・ゲイター・ボーイズ」のメンバーの豪華なこと!
 B.B.キングを筆頭に、エリック・クラプトン、ジミー・ヴォーン、ジェフ・バクスター、ドクター・ジョン、ボ・ディドリー、ジョシュア・レッドマン、ジョン・ファディス、アイザック・ヘイズ、ジャック・ディジョネット、スティーヴィー・ウィンウッド、ビリー・プレストン、ウィリー・ウィークスなどなど、総勢21名からなるスーパー・バンドです。彼らの演奏する「ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット」からはブルーズの持つ魅力・迫力が存分に伝わってきます。


     


 ブルース・ブラザーズの演奏する「ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト」も断然楽しい!新たにフロントに加わったマイティ・マック(ジョン・グッドマン)、ケイベル・チェンバレン(ジョー・モートン)、バスター(J・エヴァン・ボニファント)の熱演ぶりがとてもカッコいいのです。とくにバスターの活躍ぶりが可愛らしい。エルウッドとブルース・ハープのバトルを繰り広げるところや、ボーイ・ソプラノを駆使しての堂々たる歌いっぷりなんて、見ているだけで血が騒ぎます。
 また、前作ではブルース・ブラザーズの親代わりとしてカーティス(キャブ・キャロウェイ)が出ていましたが、今作ではカーティスの息子が登場します。それがジョー・モートン演ずるケイベルなんですが、ケイベルの愛称が「キャブ」というところなんて、今は亡きキャブ・キャロウェイに敬意を払っているのが想像できて、ちょっぴりシミジミしました。


     


 どうしても前作と比較してしまうところなのでしょうが、「2000」は「2000」として観ればいいのではないかな、と思います。


 気がつけば、「ブルース・ブラザース」のキャストからは、さらにレイ・チャールズ、ジェームズ・ブラウン、ビリー・プレストンらが亡くなっています。とくに「パート1」に出ていた人の名がこうして次々と消えていくのも、また寂しいことですね。
 しかし、できれば「パート3」も製作して、もっともっとR&Bの楽しさを広めてほしいとも思うのです。


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真夏の夜のジャズ (Jazz On A Summer's Day)

2007年05月18日 | 映画
 
♪お気に入り映画24


真夏の夜のジャズ (Jazz On A Summer's Day)
■1959年
■監督…バート・スターン、アラム・アヴァキアン
■音楽…ジョージ・アヴァキアン
■演奏曲目・出演
 01. トレイン・アンド・ザ・リヴァー(ジミー・ジュフリー・スリー)  
 02. ブルー・モンク(セロニアス・モンク)
 03. ブルース(ソニー・スティット)
 04. スウィート・ジョージア・ブラウン(アニタ・オデイ)
 05. 二人でお茶を(同)
 06. ロンド(ジョージ・シアリング・クインテット)
 07. オール・オブ・ミー(ダイナ・ワシントン)
 08. アズ・キャッチ・キャン(ジェリー・マリガン・カルテット)
 09. アイ・エイント・マッド・アット・ユー(ビッグ・メイベル・スミス)
 10. スウィート・リトル・シックスティーン(チャック・ベリー)
 11. ブルー・サンズ(チコ・ハミルトン・クインテット)
 12. レイジー・リヴァー(ルイ・アームストロング・オールスターズ)
 13. タイガー・ラグ(同)
 14. ロッキン・チェア(ルイ・アームストロング,ジャック・ティーガーデン)
 15. 聖者の行進(ルイ・アームストロング・オールスターズ)
 16. 神の国を歩もう(マヘリア・ジャクソン)
 17. 雨が降ったよ(同)
 18. 主の祈り(同)



 この作品は、1958年7月3日から6日までの4日間にわたって開催された、第5回ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの模様を収録した記録映画です。
 監督には当時弱冠28歳、新進気鋭のファッション・フォトグラファー、バート・スターンが起用されました。
 1959年のカンヌ映画祭で特別公開されています。日本公開は翌60年でした。


     
ジミー・ジュフリー(左)とボブ・ブルックマイヤー  ジェリー・マリガン


 大西洋を臨むロードアイランド州ニューポートは、ハイ・ソサエティの別荘地でもあります。このジャズ・フェスティヴァルは、ちょうど行われていたヨットのアメリカズ・カップと同時に開催されています。
 ジャズ・フェスのあった4日間ずっとカメラが回され、トータルで24時間分、10万フィート以上のフィルムが撮られました。これをスターンとA・アヴァキアンが半年をかけて82分の記録映画に編集したというわけです。


     
     セロニアス・モンク


 洒落たカメラ・ワークも見どころの、スタイリッシュな作品だと思います。
 出演ミュージシャンも豪華ですが、垢抜けたファッションの観客や、客席の雰囲気、ニューポートの街の情景にも魅了されます。
 冒頭のヨット、客席のウッド・チェア、観客のファッション、アイスクリームを食べる若い女性、キラキラした海面の照り返し、田舎道を走るオープン・カーなど、ライヴ会場周辺の様子がふんだんに挿入されています。そんなニューポートの風景をスケッチしたフォトジェニック的美しさと、観客の陽気な仕草やリアクションがシンクロしている構図がまた楽しいんです。


     
     ルイ・アームストロング


 ステージで一番ぼくの印象に残っているのは、なんといってもアニタ・オデイの熱唱ぶりでしょう。
 アニタは、黒のノースリーブ、羽飾りのついた帽子、白い手袋と、まるでファッション雑誌に出てくるようなスタイルで登場します。まずは「スウィート・ジョージア・ブラウン」です。アフリカン・リズムを思わせるドラムと歌とのデュオで始まります。エキゾチックな雰囲気を醸し出しておきながら、一転してミディアム・スローの粘っこいテンポに変え、実にブルージーに歌い込みます。アニタはこの曲をクールに、そしてエレガントにキメてみせます。
 続く「二人でお茶を」が圧巻です。超高速でカッ飛ばすアニタ、余裕しゃくしゃくです。オッフェンバックの「天国と地獄」の一節をまじえながら、バック・バンドを翻弄するように自在にリズムで遊んでいます。後半部分の、バックとの掛け合いがこれまた見事。おてんばなアニタが、ユーモラスかつスリリングにバンドを煽ること煽ること。そんなアニタの陽気でイタズラっぽい表情がまたキュートなんですね。強烈なスウィング感あふれるこのパフォーマンスに、観ているぼくの目は釘付け、体は思わずリズムを取っています。


     
     アニタ・オデイ     


 サッチモことルイ・アームストロング(tp)と、ジャック・ティーガーデン(tb)の掛け合いもとびきり愉快です。まさに最高のエンターテイナー、サッチモの本領発揮、といったところでしょうか。
 とてつもないパワーで観衆を興奮させるダイナ・ワシントンの歌も素晴らしいです。曲中、間奏部分で自らもマレットを持ち、テリー・ギブズにヴィブラホンでのバトルを仕掛けているのも、これまた楽しい。
 最後に登場するマヘリア・ジャクソンは、聴く者をみな包み込むような温かいゴスペルを貫禄たっぷりに歌っています。


     
     ルイ・アームストロング(左)とジャック・ティーガーデン


 この映画は、1950年代のアメリカの文化を鮮やかに写し出していると思います。それに、当時のミュージシャンたちの動く姿がカラーで見られるなんて、ちょっとした感動ですね。
 欲を言えば、もっとミュージシャンの演奏する姿を観ていたいのですが、この映像が単なるライヴ・フィルムではなく、1958年7月のニューポートの光景を切り取った記録映画だというふうに受け取れば、それもまた仕方がないでしょう。
 とにかく、「真夏の夜のジャズ」を観るたびに、ジャズを体感できる至福の時を味わえるのです。


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ショーシャンクの空に (The Shawshank Redemption)

2007年04月07日 | 映画
♪お気に入り映画23


■ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)
■1994年 アメリカ
■監督…フランク・ダラボン
■音楽…トーマス・ニューマン
☆ティム・ロビンス(アンディ・デュフレーン)
☆モーガン・フリーマン(レッド)
☆ウィリアム・サドラー(ヘイウッド)
☆ボブ・ガントン(ノートン所長)
☆クランシー・ブラウン(ハドレー刑務主任)
☆ジェームス・ホィットモア(ブルックス)
☆ギル・ベロウズ(トミー)
☆マーク・ロルストン(ボグズ)


 無実の罪で終身刑を宣告されたアンディ・デュフレーン。ショーシャンク刑務所に投獄された彼はさまざまな苦難に見舞われるが、強固な意志と忍耐で自分自身を保ち続け、希望を決して捨てようとはしない。
 看守たちの所得申告を手伝ってやったり、州議会に手紙を書き続け、刑務所内の図書室あてに予算を獲得したり、希望する囚人には高卒の資格を取らせたりと、人間らしく、積極的に生きようとしている。物静かで知的なアンディは、芯の強さと誠実さで他の囚人たちから徐々に厚い信頼を得る。

 
 対するレッドは、基本的には心の温かい人物だが、「希望を持つのは危険だ。正気を失わせる」と考える。長い間の刑務所暮らしで刑務所内で生きるための価値観を身につけたレッドは、アンディと同じく終身刑である。レッドは、刑務所内でこそ調達屋としてみんなから信頼されているが、塀の外では自分はただの前科者に過ぎないことをよく知っている。
 希望を持ち続けるアンディと、希望を持たないようにしているレッド、正反対の価値観を持つふたりの間に生まれた友情と、「希望と自由」がこの映画の主題だと思う。


 アンディが決して「希望と自由」を捨てようとはしないことが分かる場面がいくつもある。
 サディスティックなハドレー刑務主任に掛け合い、ハドレーにかかる相続税への対策を講じるかわり、一緒に汗を流している囚人仲間にビールを振舞うよう頼む。これはハドレーへのご機嫌取りではなく、仕事のあとのビールのうまさを感じる人間らしい感情を囚人仲間に味あわせてやりたかったのだと思う。
 あるいは、モーツァルトの「フィガロの結婚」のレコードをかけ、懲罰房に入れられる、という場面だ。懲罰房から出てきたアンディは仲間に、「頭と心でモーツァルトを聴いていた」と言う。「音楽は決して人から奪えない。心の豊かさを失ってはだめなんだ。心の中には希望があるんだ」というアンディは、音楽を希望と自由の象徴として捉えているのだと思う。
 そのあとでレッドにハーモニカを贈ったアンディは、レッドに「希望を捨てるな」と言いたかったのだろう。


     


 年老いた図書係のブルックスが仮釈放となるが、人生の大半を刑務所で過ごした彼は外の世界へ出てゆくことに対して大きな不安を持つ。レッドはこう説明する。
「刑務所の壁はおかしなものだ。最初はそれを憎むが、次にそれに馴れてゆく。時間が経つにつれそれを頼るようになってしまうんだ」
 これが「刑務所馴れ」というものだ。ブルックスは長い間の刑務所暮らしで完全に図書係として順応してしまっている。彼は、刑務所内では存在する場所のある人物だが、一般社会では、自分の存在意義を見出すことができなかった。ブルックスは出所後の生活に順応できず、孤独と不安から自殺してしまう。
 このことがあったのちも、アンディはジワタネホ(メキシコにある太平洋に面した町)でホテルを経営することを夢みて「希望を捨てるな」と考える。しかしレッドは「そんな夢は捨てろ。今は塀の中なんだぞ。選択肢はふたつ。必死に生きるか、必死に死ぬか、だ」と言う。ふたりの価値観は正反対のままなのである。


 アンディは、ノートン刑務所長が不正な手段で作った裏金の処理と運用を任されるようになる。スティーブンスという架空の人物を作り上げ、その口座を使って裏金を"洗濯"するのである。
 そんな折りアンディは、新たに入所してきたトミーから、自分の無実を証明できる話を聞き、所長に再捜査を頼むが、不正の発覚を恐れる所長は話を聞き入れない。そのうえハドレーを使ってトミーを射殺する。このことがきっかけでアンディは脱獄の決行を決意する。
 脱獄に成功したアンディは、彼を自分の都合のいい奴隷にしたノートン所長の不正の証拠を新聞社に送り、「スティーブンス」の金を銀行から引き出してメキシコへ向かう。ありきたりの脱獄物語なら、ここで終わってしまうだろう。しかしこの作品の良いところは、その後仮釈放になったレッドが、アンディを探す旅に出るところまで物語が続いている点にあると思う。


     


 レッドも仮出所後、ブルックスと同じ「刑務所馴れ」のために、一般社会に順応できない。もう一度刑務所に戻りたいとさえ願う。しかし、アンディとの約束を思い出したレッドは、アンディに教わった場所を探す。そこにはいくらかの現金とアンディからの手紙があった。手紙には「ぼくのところにこないか」と書いてあった。レッドはここではじめて「希望」に身を委ねることを決めたのだと思う。そして「必死に生きるため」にアンディのところに向かうことを決心する。
 青い空、青い海が見えるジワタネホの浜辺で、ついにふたりは再会する。


 見終わったあとで爽快感さえ沸き起こってくる良い作品だと思う。
 この物語からは、たとえば自分が落ち込んでいる時に必要なエネルギーやメッセージが発せられている。
 アンディがレッドに言った言葉、
「心の豊かさを失ってはだめだ」「希望を捨てるな」、
 あるいはアンディがレッドに宛てた手紙の中の一節 、
「忘れてはいけない。希望はいいものだ、たぶんなによりもいいものだ。そしていいものは永遠になくならない」
 これらの言葉は、自分が厳しい局面に向き合っている時にはきっと元気をくれるだろう。



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戦場のピアニスト (The Pianist)

2006年05月07日 | 映画
♪お気に入り映画(その22)


■戦場のピアニスト [The Pianist]
■2002年 ポーランド・フランス合作
■監督…ロマン・ポランスキー
■音楽…ヴォイチェフ・キラール
■出演
 ☆エイドリアン・ブロディ(ウワディスワフ・シュピルマン)
 ☆トーマス・クレッチマン(ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉)
 ☆フランク・フィンレイ(シュピルマンの父)
 ☆モーリン・リップマン(シュピルマンの母)
 ☆エド・ストッパード(ヘンリク・シュピルマン)
 ☆ジェシカ・ケイト・マイヤー(ハリーナ・シュピルマン)
 ☆ジュリア・レイナー(レジーナ・シュピルマン)
 ☆エミリア・フォックス(ドロタ)
 ☆ルース・プラット(ヤニナ)
 ☆ミハウ・ジェブロスキー(ユーレク)
 ☆ロイ・スマイルズ(イサク・ヘラー)     etc・・・


 戦争がもたらす不幸のひとつは、人間の尊厳が徹底的に踏みにじられることだ。あるいは、人間が、同じ人間の尊厳を惨たらしく踏みにじることだ、とも言えるだろう。その最悪の例のひとつが、ナチス・ドイツが行った、ユダヤ人に対する大量虐殺(ホロコースト)である。
 この作品は、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ(ウワディク)・シュピルマンが、第二次世界大戦(1939~1945)中に、ナチス・ドイツ占領下のポーランドで体験した恐怖の日々を映画化したものだ。


     
     ウワディスワフ・シュピルマン(1911~2000)


 1939年9月にポーランドを占領したナチス・ドイツは、対ユダヤ人政策を強化する。ダビデの星のついた腕章の着用強制をはじめ、所持金額、立ち入り場所、就職、教育、結婚などの制限など、ありとあらゆるところでユダヤ人を迫害してゆく。そのうえ激しい「ユダヤ人狩り」を行うのだ。逮捕するのに理由はない。ただユダヤ人だから、というだけだ。逮捕されたユダヤ人の行く先は、収容所である。


     


 ユダヤ人たちは、1940年には居住地さえも制限されるようになる。
 劇中では、シュピルマン一家が強制的に移住させられたワルシャワ市内のゲットー(ユダヤ人居住区)の極限状態が生々しく描かれている。
 ゲットーと一般区域の間には壁が造られるが、この壁にはユダヤ人の命を絶望のふちに追いやるかのような残酷さがある。
 ゲットー内には、略奪、搾取はおろか、同じユダヤ人を「売って」まで生き延びようとする人もいれば、人間の尊厳をかけてナチスに抵抗しようとする人もいる。
 その中でひっきりなしに襲ってくる飢えの恐怖と、ナチスによる「選別」の恐怖。ナチスの軍人たちはユダヤ人の人間性など認めていないのだ。
 これらの悲惨な様子は、この映画でメガホンを取ったポランスキー監督の実体験も反映されている。シュピルマンと同じユダヤ系ポーランド人のポランスキー監督には、ゲットーでの生活と、そこからの脱出の経験がある。


     


 1942年8月、ゲットーの大半の人間は、悪名高いトレブリンカ絶滅収容所へ送られる。この時シュピルマンの家族も移送列車に詰め込まれるが、シュピルマンは友人の助けによって、ゲットーに残る。
 静まり返ったゲットーの中には殺された同胞の遺体や荷物類が散乱しているだけである。その中を力なく泣きながら歩くシュピルマンの姿を観ると、もはや言葉も出ない。


     


 その後シュピルマンはゲットーを脱出する。隠れ家に身を潜めているとはいえ、見つかれば一巻の終わりなのだ。死の恐怖に怯える毎日。そんな中でシュピルマンが人間らしくいられたのは、ひとえに音楽に対する思いだったのだろう。
 ある時は隣室から聴こえるピアノに耳を澄まし、ある時は隠れ家に置いてあったピアノを見て、音楽に対する思いをはせる。そして、廃墟と化した病院に隠れながらも、頭の中で鳴っている音楽に合わせて指を動かすシュピルマン。
 自分がこういう極限状態にあったとしたらどうだろう。愛するものの存在を大切に胸にとどめておくことができるだろうか。


     
     1943年4月のワルシャワ・ゲットー蜂起の場面


 1944年8月、ワルシャワ蜂起。ポーランド人たちはナチス・ドイツに対して反乱を起こすが、20万人以上の犠牲を出したうえ、ワルシャワ市内はほとんど破壊される、という悲惨な結果に終わった。廃墟と化したワルシャワ市内の中にシュピルマンがただひとり彷徨っているさまは、凄惨でさえある。
 この時に身を隠した建物の中で、シュピルマンはドイツ軍の大尉に出会うのだ。


 大尉に発見されたシュピルマンは死を覚悟したことだろう。
 しかし大尉は静かにいくつかの質問をシュピルマンに投げかけ、シュピルマンがピアニストだと知ると、「何か弾いてみろ」と命ずる。
 シュピルマンは半ば怯えながらピアノの前に座る。少しためらったのち、鍵盤に指を置くシュピルマン。しかしいったん弾き始めると、全身全霊をピアノに込める。曲はショパンの「バラード第1番ト短調 作品23」である。
 大尉が立ち去ったのちシュピルマンは嗚咽をもらす。まだ生きていられる安堵感なのか、再びピアノを弾くことができた喜びなのか。おそらくその両方なのだろう。


     


 もしこの映画が、「ユダヤ人の命を助けたドイツ軍大尉」という美談仕立てになってしまっていたら、感動も半減したと思う。そういうドイツ軍人がいたからといって、それはナチス・ドイツの犯罪に対する免罪符にはならないからである。
 大尉とシュピルマンにまつわるエピソードは、人間と人間のひとつの邂逅だと捉えるべきだと思う。大尉の名前が劇中では出てこないことの理由も、大尉をひとりの人間として描こうとしているからではないだろうか。(実際に名乗らないままだったかもしれないけれど)
 映画の終わり近くで、ソ連軍に拘束された大尉が、偶然通りかかったシュピルマンの友人(彼もユダヤ人として囚われていた)に、「私はシュピルマンを助けた。彼に私を救って欲しいと伝えてくれ」と必死で頼むシーンがある。大尉の運命を思うと、胸の痛むシーンである。
 戦後シュピルマンは手を尽くして大尉の行方を探したそうだが、大尉は1952年にソ連の捕虜収容所で亡くなっている。


 この大尉の名は、ヴィルム・ホーゼンフェルト。
 大尉の人間らしい振る舞いは、ナチズムに凝り固まっていたSS(ナチス親衛隊)の所属ではなく、軍人としての誇りを持つ国防軍の軍人であったこと(国防軍の内部にはヒトラーを軽蔑している者がかなりいた)、平時には教職に就いていたことなども関係があるのかもしれない。
 大尉がシュピルマンに別れを告げる時に言った「生きるも死ぬも神のご意思だ。そう信じなくては」という言葉、これも大尉がナチズムに毒されていなかったことの証明だ。当時のドイツのキリスト教会の教義は、ナチズムに都合のよいようにねじ曲げられていたにもかかわらず、きっと大尉は神の前に謙虚な人間でい続けたのだろう。


     


 人間として立派に振舞う大尉に出会ったことはシュピルマンの幸運であり、大尉がドイツ軍人だったことは大尉にとっての不運だったとも言えるかもしれない。


 この作品の重みは、シュピルマン役のエイドリアン・ブロディの抑えた演技や、大尉役のトーマス・クレッチマンの威厳のある素晴らしい演技はもちろん、ゲットー内の大勢のユダヤ人役のエキストラの存在によるところも大きいと思う。
 また、ゲシュタポの残虐さ、ゲットー内のユダヤ人の蜂起、ワルシャワ蜂起などの様子が、シュピルマンの視線で描かれているため、描写がドキュメンタリーを見ているかのような真に迫ったものになっている。
 ひとつだけ注文があるとすれば、ポーランド人同士、ユダヤ人同士の会話が英語でなされていることだ。ここはやはり、ポーランド語やイディッシュ語を使って撮影して貰いたかった。


 第二次世界大戦前のポーランドのユダヤ人の人口は推定約330万人。そのうち終戦時に生き残っていた者は、推定わずか30万人だったという。ヨーロッパ全体でも、約600万人(ヨーロッパのユダヤ人の67%)のユダヤ人が殺されたそうである。


 この作品は、歴史の貴重な証言だと思う。


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ローズ (The Rose)

2006年04月26日 | 映画
♪お気に入り映画(その21)


ローズ [The Rose]
■1979年 アメリカ映画
■監督…マーク・ライデル
■音楽…ポール・A・ロスチャイルド
■出演
  ☆ベット・ミドラー(ローズ)
  ☆アラン・ベイツ(ラッジ)
  ☆フレデリック・フォレスト(ダイアー)
  ☆ハリー・ディーン・スタントン(ビリー・レイ)
  ☆バリー・プリマス(デニス)
  ☆デヴィッド・キース(マル)
  ☆ドリス・ロバーツ(ローズの母)
  ☆ルディ・ボンド(モンティ)
  ☆サンドラ・マッケーブ(サラ)


  この映画の主人公「ローズ」は、は奔放で破滅的な人生を歩んだ、ロック界最高のシンガーのひとり、故ジャニス・ジョプリンをモデルとしています。
 主演のベット・ミドラーの強烈な個性が光ってます。


 冒頭、飛行機から降りてくる「ローズ」のファッションから顔つき、雰囲気までジャニスそのもの。ちょっとビックリです。でも単なるマネには終わってないんですよね。
 続いて見られるライブのシーンでの「ローズ」は、ド迫力! これは、「ローズ」というより、ベット・ミドラーのライブとして見てしまいました。
 ブロードウェイの「屋根の上のバイオリン弾き」にコーラスラインとして加わったのがショウ・ビジネス界のキャリアのスタートだというベットの歌唱力は、ホンモノです。声の張り、ツヤ、圧倒的な存在感、すべてがとても個性的。


 大スターとして華やかな生活を送っているかに見られる「ローズ」の裏側には、つねに孤独感がつきまとっています。
 自分らしく生きたいという願いは、ショウ・ビジネスの大きな渦にほんろうされています。大スターであるがゆえの苦悩と寂しさを紛らすためにドラッグとアルコールに溺れ、身も心もすり減らしてゆく「ローズ」。
 彼女が必要としている人は、そんな破滅的な人生を送っている彼女からは離れてゆき、彼女はさらに深く傷つくという悪循環。


     


 苦しみに満ちた世界から離れ、普通の暮らしを送ることは、彼女にはできなかったのでしょうか。
 そう、たぶん、できなかったのでしょう。
 派手な暮らしを捨てることができなかったのではなくて、彼女は、自分の人生の大きな部分を占めている「歌」を捨てることができなかったのだと思います。
 そして、彼女が苦しんでいる原因のひとつは、彼女が巨大なビジネスの歯車に組み込まれてしまったことにある、ということも言えるかもしれません。


 精神的にも肉体的にも極限の状態であるにもかかわらずステージに上がり、全身全霊を込めて歌おうとするラスト・シーンは、鬼気迫るものがあります。
 そして、力つきて倒れる「ローズ」。
 その姿に重なって、エンディング・テーマ曲のイントロが静かに流れてきます。
 破天荒な、しかし寂しい人生を送った「ローズ」を、いや、ジャニスをも優しく慰めるかのような、静かで、しかし力強い歌です。


     
     『ローズ』 オリジナル・サウンド・トラック

■ローズ [The Rose]
■作詞・作曲…アマンダ・マックブルーム
■1979年

人は言う 愛とは柔らかい葦を溺れさせる川
人は言う 愛とは傷ついた魂に血を流させる刃
人は言う 愛とは終わりのない痛みをともなう飢え
でも私は思う 愛とは一輪の花 そしてあなたはその種

打ちのめされるのが怖いなら 一生踊ることなんてできない
目覚めることを恐れる夢なら チャンスなんて手に入らない
何ひとつ失いたくないなら 誰かに何かを与えることなんてできない
死ぬことを恐れる魂では 生きることを学べない

けれど思い出して 
厳しい冬 雪の下に眠る種は
春になると太陽の恵みを受けて 
美しいバラの花になるのだということを



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ヒトラー ~最期の12日間~ (Der Untergang)

2006年02月26日 | 映画
♪お気に入り映画(その20)


■ヒトラー ~最期の12日間~ (Der Untergang)
■2004年
■ドイツ オーストリア イタリア 共同制作
■監督…オリヴァー・ヒルシュビーゲル
■音楽…ステファン・ツァハリアス
■出演
 ☆ブルーノ・ガンツ(アドルフ・ヒトラー)
 ☆ユリアーネ・ケーラー(エヴァ・ブラウン)
 ☆アレクサンドラ・マリア・ラーラ(トラウドゥル・ユンゲ)
 ☆トーマス・クレッチマン(オットー・フェーゲラインSS中将)
 ☆ウルリッヒ・マテス(ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相)
 ☆コリンナ・ハルフォーフ(マグダ・ゲッベルス夫人)
 ☆アレキサンダー・ヘルド(アーネスト・シェンク博士)
 ☆ハイノ・フェルヒ(アルベルト・シュペーア軍需相)
 ☆ウルリッヒ・ネーテン(ハインリヒ・ヒムラーSS長官)
 ☆アンドレ・ヘンニッケ(ヴィルヘルム・モーンケ少将)
 ☆ゲッツ・オットー(オットー・ギュンシェSS将校)      etc・・・   


 155分があっという間に感じられた。
 ナチス・ドイツの独裁者として悪名高い、アドルフ・ヒトラーを主人公とした映画である。原題の「Der Untergang」は「没落」という意味だそうだ。
 ドイツ語を話す俳優がヒトラーを本格的に演じたのはこの作品が初めてだということだ。
 ヨアヒム・フェストの『ダウンフォール/ヒトラーの地下要塞における第三帝国最期の日々』と、トラウドゥル・ユンゲの回想録『最後の時間まで/ヒトラー最後の秘書』が原作である。


 映画は、ヒトラーの56回目の誕生日である1945年4月20日から、彼の後継者であるゲッベルス宣伝相が自殺した5月1日までの12日間を描いている。
 ぼくはこれまでに、ジョン・トーランドやコーネリアス・ライアンらが書いたヒトラー関連の本を読んでいるが、それらの本に書かれている史実やヒトラーの人物像などと、映画で描かれていることとのズレはあまりなかったと思う。


 スターリンやポル・ポトらと並んで、つねに20世紀最悪の政治家のひとりにあげられるヒトラーの素顔を、側近たち、愛人のエヴァ・ブラウン、秘書のトラウドゥル・ユンゲらとの関わりを通じて、どちらかというと淡々と描いているようだ。
 この時期のヒトラーはたいへん健康を害していたうえ、侍医のモレル博士には「薬と称した毒物」を服用させられていたりしたので、精神的にも正常とは言い難い状態だったそうである。軍人たちに対してはいきなりヒステリックに怒鳴り散らすなど、感情の起伏がとても激しかったそうだ。しかし、女性や子供たちには優しく紳士的な態度を崩さなかったという。
 しかし、そういう人間味のある面があるからといって、それはヒトラーに対する免罪符にはならない。この作品ではあくまでも誇張を排して、自分の作り上げた第三帝国の最期に直面したありのままのヒトラーを描こうとしているのだと思う。


     


 軍事的、戦史的なことはこの作品の重要な主題ではない。
 歴史上の出来事を取り上げているため、ヴァイトリング、モーンケ、ヴェンク、シュタイナーなどの将軍や、シュペーア、ヒムラー、ゲッベルス、ゲーリングなどのナチスの幹部など、実在した人物の名が多数出てきて混乱しやすい。そのあたりの知識を少しでも仕入れてからこの作品を観ると、より分かりやすいと思う。
 また、ヒトラーは軍事的には素人だったことに加え、側近のヨードル大将やカイテル元帥の偏狭な態度が戦況を悪化させたこと、ナチスの幹部間には絶えず権力争いと責任のなすり合いが生じていたこと、国防軍は比較的ナチズムに毒されていなかったため、陰ではヒトラーを伍長呼ばわり(ヒトラーの軍人としての階級は伍長クラスどまり)して軽んじる風潮が一部であったことなどを知ったうえで見てゆくと、この映画がいっそう興味深く思えるかもしれない。
 

 ヒトラーは、あくまで戦い抜くか、さもなければ国民もろとも死を選ぶことを頑強に主張しており、彼のベルリン地下要塞は狂信的なナチズムと、ナチズムに対する投げやりな服従に満ちていた。東西両面から押し寄せてくる敵や「敗戦」などの、負の現実から目をそらそうとしているかのような空気が漂っている。しかし、ヒトラーの死の直後、部下たちはいっせいにタバコに火をつける。この場面は、ヒトラーの自殺で要塞内がヒトラーの呪縛から解放されたことを暗示しているようだ(ヒトラーは禁酒・菜食主義者で、タバコも嫌っていた)。
 そして、最後までヒトラーに忠節を尽くしていたゲッベルス夫妻の自殺で、実質的にヒトラーの「第三帝国」は終焉を迎えるのである。


 なんらかの思想を通じて歴史を振り返るのはとても危険なことだと思う。歴史はありのままに歴史として見なければならない。この映画も、そういう目で見るべき類のものだろう。
 ただ、映画の最後に、トラウドゥル・ユンゲがインタビューに答えてこう語る場面が出てくる。
 「私は『自分は何も知らなかった(註:ナチス・ドイツの侵略や、ユダヤ人に対する虐殺などのこと)。だから自分に非はない』と考えていました。でもある日(中略)気づきました。『若かった』というのは言い訳にはならない。ちゃんと目を開いてさえいれば真実に気づけたのだ、と」
 この映画を観たあとで、それぞれがヒトラーの善悪や、戦争の是非や、人間の尊厳などについて思いを巡らすことだろう。しかし、誤った前提で考えると正しい答えは出てこない。そう、ユンゲの言葉を借りるなら、「ちゃんと目を開いて」見ることが大事なのだと思う。


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タワーリング・インフェルノ (The Towering Inferno)

2006年01月18日 | 映画


 パニック映画の超大作として非常に有名な作品ですね。
 総製作費は、実に1400万ドル。 
 もともとは、ワーナー・ブラザーズと20世紀フォックスが、それぞれビル火災をテーマにした映画を企画していました。しかし両社の間で、「多額の投資で競い合うよりは共同出資して大作を作る方が良い」という判断が下され、ハリウッド史上初めて大手2社によって共同製作されることになったのです。  


 出演者の顔ぶれもとても豪華です。ポール・ニューマンとスティーヴ・マックィーンの両巨星の共演ということで、当時はたいへんな話題になりましたが、共演陣にも、主演クラスの名前がズラリと並んでいますね。 
 ちなみにこの映画では、後年「ブルース・ブラザーズ」などで監督を務めるジョン・ランディスが、墜落死する男性役で出演しています。


        


 撮影は、実際に高さ33mのビルを建てて行われました。使った水の量は4000キロリットルにものぼるそうです。
 またスタジオに57部屋のセットを作り、うち49部屋を火攻め水攻めにして撮影しています。 
 この映画の製作はアーウィン・アレンですが、彼はあの「ポセイドン・アドヴェンチャー」を手がけた人でもあるんですね。 
 今の映画と違って、CGを使用したところもなく、実際に俳優やスタントマンが危険なシーンを演じているため、かえってリアルで重厚感が感じられるんです。 
 爆発して炎が一瞬にしてフロアーを走るシーン、火の中を走るシーン、ヘリコプターによるエレベーターの宙吊り、そしてそこでオハラハン隊長が落ちかけた消防士を片手で支えるシーン、クライマックスの給水タンク爆破など、ハラハラさせられるシーンの連続で、たいへん面白い娯楽作品です。 
 しかし、面白いだけでなく、多くのメッセージを含んでいる作品でもありますよね。


      燃える「グラス・タワー」 


 原題は「そびえたつ地獄」という意味ですが、その名の通り、サンフランシスコに完成したばかりの138階建て超高層ビルの81階で火災が発生するという設定です。
 工費を浮かせようと、指定されたものより質の落ちる電線を意図的に使用したため、電気系統に負荷がかかり、配電盤がショートして出火するのですが、これ、明らかに人災ですよね。安全性より利潤を追求しようとすることが災害に繋がる、ということを示唆しているようです。この部分、はからずも今の日本で騒がれている耐震偽造問題の本質を30年も前に予言しているかのようです。 
 ロバーツがダンカン社長にこう詰め寄る場面があります。
 「人々が安全に過ごせる建物になるはずだったのに…。コストを削るならなぜ階数を削らないのだ!」と。
 その時ロバーツはこうも言っています。「人を殺せば何と呼ばれる?」


     
     フェイ・ダナウェイ(左)、ポール・ニューマン(右)


     
     ジェニファー・ジョーンズ(左)、フレッド・アステア(右)


 高層ビル火災の恐ろしさも当然テーマのひとつでしょう。オハラハン隊長はロバーツに「確実に消せるのは7階までなのに、設計屋は高さを競い合う」と吐き捨てています。  
 ビルの防災設備を過信しているダンカン社長は、オハラハン隊長に「ボヤ程度でそう慌てることはないだろう」と笑顔で話しかけます。この時オハラハンは「安全な火事などない」と素っ気なく答えていますが、この言葉もとても教訓的だと思いますね。 
 また、ビルの住人で耳が不自由なオルブライト夫人には火災の知らせが伝わらないというエピソードは、小さいけれども見過ごすことのできない部分だと思います。実際、耳の不自由な人には危険の知らせが伝わりにくいので、災害の時には逃げ遅れる危険性が高いのだそうですね。  


     
     ウィリアム・ホールデン(左)、リチャード・チェンバレン(右)

     
     スーザン・フラネリー(左)、ロバート・ワグナー(右)


 最後のシーンでのそれぞれの言葉も印象的でした。 
 ダンカンは、「今はただ神に祈るのみだ。この惨事を繰り返さぬように」とつぶやきます。 
 ロバーツは「このビルをこのまま残すべきかな。人間の愚かさの象徴として」とスーザンに語りかけます。 
 そしてオハラハンはロバーツに「運よく死者は200名以下だ。しかし、今にこんなビル火災で1万人の死者が出るぞ。俺は火と戦い、死体を運び続ける。誰かに安全なビルの建て方を聞かれるまで」と、問いかけるように話すのです。
 これらの言葉も、ある意味「予言」ともとれそうです。


     
     ポール・ニューマン(左)、スティーブ・マックイーン(右)


 現実に高層ビルが乱立する時代となり、防災設備も進化しましたが、同時に高層ビル火災は悲惨さを増しています。
 この作品は、単なるパニック映画ではなく、火災に対する危機管理の見直しや、安全性の最優先などのさまざまな問題を、30年も前にぼくらに提言してくれています。 
 映画の冒頭で、「人命を救うために自分たちの命を犠牲にする全世界の消防士にこの映画を捧げる」という言葉が出てきますが、消防士にだけではなく、ビルを造る人たち、ビルを利用する人たちすべてへの教訓が含まれている作品なのだと思います。


      


タワーリング・インフェルノ/The Towering Inferno
  ■1974年 アメリカ映画
  ■製作
    アーウィン・アレン
  ■配給
    米国=20世紀フォックス
    日本=ワーナー・ブラザーズ/20世紀フォックス
  ■監督 
    ジョン・ギラーミン
  ■音楽 
    ジョン・ウィリアムス
  ■出演
    スティーヴ・マックィーン(マイケル・オハラハン隊長)
    ポール・ニューマン(ダグ・ロバーツ)
    ウィリアム・ホールデン(ジェームス・ダンカン社長)   
    フェイ・ダナウェイ(スーザン・フランクリン)   
    フレッド・アステア(ハーリー・クレイボーン)   
    スーザン・ブレイクリー(パティ・シモンズ)   
    リチャード・チェンバレン(ロジャー・シモンズ)   
    ジェニファー・ジョーンズ(リソレット・ミュラー)   
    O.J. シンプソン(ハリー・ジャーニガン警備主任)   
    ロバート・ヴォーン(ゲイリー・パーカー上院議員)   
    ロバート・ワグナー(ダン・ビグロー広報部長)   
    スーザン・フランネリー(ローリー)   
    ノーマン・バートン(ウィル・ギディングス工事主任)   
    ジャック・コリンズ(ロバート・ラムゼイ市長)
    シーラ・マシューズ(ポーラ・ラムジー市長夫人)
    グレゴリー・シエラ(バーテンダーのカルロス)
    ドン・ゴードン(カピー消防士)
    フェルトン・ペリー(スコット消防士)
    アーニー・F・オルサッティ(マーク・パワーズ消防士)
    カリーナ・ガワー(アンジェラ・オルブライト)
    マイク・ルッキンランド(フィリップ・オルブライト)
    キャロル・マケヴォイ(オルブライト夫人)
    ジョン・クロフォード(キャラハン地下機械室主任)
    ダブニー・コールマン(消防署副署長1)
    ロス・エリオット(消防署副署長2)
    ノーマン・グラボウスキー(フレイカー)
                             ・・・etc
  ■上映時間
    165分
  ■主題歌
    愛のテーマ/We May Never Love Like This Again(歌:モーリン・マクガヴァン)
                           
 

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モーターサイクル・ダイアリーズ (The Motorcycle Diaries)

2005年12月31日 | 映画


 この映画は、医学生エルネストと生化学生アルベルトのふたりの青年が1952年に敢行した南米縦断の旅を綴ったロードムービーであり、またバディ・ムービーとして観ることもできる。
 しかし、エルネストがのちの革命家チェ・ゲバラであることを知ったうえでこの作品を観ると、鑑賞後の感想は違ったものになるだろう。





 ポデローサ(怪力)号と名付けたバイクに乗って旅するふたり。
 アルゼンチンからチリ、ペルー、ベネズエラへと、1万キロ以上、6ヶ月にも及ぶ長旅である。
 しかし途中バイクは壊れてしまい、以後徒歩とヒッチハイクで旅を続ける。







 ないないづくしの乏しい旅だが、旅しながら出会う市井の人々や、経験したさまざまなことによって、エルネストの内部が徐々に変化してゆく。
 共産主義であるため、警察に追われながら職を求めて旅する夫婦との出会い。
 生活苦を訴える現地人との会話。
 ハンセン病療養施設での患者とのふれあいの日々など。
 療養施設でのお別れパーティーの席での、エルネストの「南米はひとつの混血国家なのです」というスピーチこそが、エルネストの中の変化を物語っている。





 この旅は、エルネストの思想・哲学がよりはっきり形作られることになった貴重なものだったと言えるだろう。
 派手なアクション・シーンは出てこないが、無駄な力を込めずに描かれる南米の現状は、物語を見ているぼくらにも問題を提起している。


 とても美しく撮られているアマゾン、アンデスなど南米大陸の壮大な自然や、そこに住む人々の生活の臭いが感じられる素晴らしい映像にも引き込まれる。





 エルネスト・“チェ”・ゲバラ・デ・ラ・セルナは、のちにフィデル・カストロとともにキューバ革命を成し遂げる。
 その後は南米各地の革命にゲリラとして参加したが、最後はボリビアで射殺された。
 この映画は、チェ・ゲバラによって書かれた旅行記「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行記」をもとに作られたものである。
 なお映画の最後にアルベルト本人が少しだけ登場しているが、このアルベルトを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナは、ゲバラのまた従兄弟にあたるそうである。


モーターサイクル・ダイアリーズ/The Motorcycle Diaries
  ■製作国
    アルゼンチン、アメリカ、チリ、ペルー、イギリス、ドイツ、フランス合作
  ■公開
    2004年
  ■製作総指揮
    ロバート・レッドフォード、ポール・ウェブスター、レベッカ・イェルダム
  ■監督
    ウォルター・サレス
  ■音楽
    グスターボ・サンタオラヤ
  ■出演
    ガエル・ガルシア・ベルナル(エルネスト・ゲバラ)
    ロドリゴ・デ・ラ・セルナ(アルベルト・グラナード)
    ミア・マエストロ(チチーナ・フェレイラ)
  ■上映時間
    127分

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