ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

最後の花道

2020年04月29日 | 随想録

                                             △東山峠の桜


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 毎年のこととはいえ、息つくヒマもない年度末年度始めです。
 押し寄せてくる業務のおかげでケツに火がつく二歩手前と言いますか、ケツが焦げ始めて煙が立ち昇っていると言いますか、なんにせよ先週も今週も土日返上でアタフタしどおしです。
 それに加えてのウイルス騒ぎでゆっくりと周りを見渡すことすら忘れていましたが、気づけば桜も満開、天気もいいし、せめてのどかな春を楽しまねば、と思います。
 

 4月2日は実母の7度目の命日でした。
 ぼくの家はいろいろ込み入った事情があって、2歳の時に実母は父と離婚して家を出ました。
 成人してから数年ほど一緒に暮らす機会はあったけれど、母は子育ての経験がほぼないのでぼくとどう接したらいいかわからず、ぼくはぼくでとてもムズカシイ頃だったので、よくぶつかり合ったものです。
 母にはとてもとても心配をかけたのですが、やがてぼくも真人間に立ち返りw(本当にぼくはムチャクチャなことばっかりしていましたから。。。)、ようやく母を安心させることができたのがせめてもの救い、ですね。
 医療ミスのため、母は最後の3年ほどは意識がなかったのですが、7年前の4月2日に亡くなりました。
 その日も桜は満開でした。
 葬儀の打ち合わせ、各所への連絡、親族への挨拶、喪主としての務めなど、いろんなことに追われて母について何か考えたり思い出に浸ったりする間なんてありませんでした。
 
 
 それでもなんとか無事に葬儀を終え、斎場へ向かいます。
 車は東山峠を通ります。
 道沿いには、たくさんの桜が満開でした。
 素晴らしかった。
 実に見事に咲きほこっていました。
 それを見た瞬間、清々しさで気持ちがいっぺんに晴れやかになりました。


 それは、いろんな苦労をした母の最期の花道、あるいは意識がなくなるまでずっと油絵を描いていた母のフィナーレにこれ以上ない演出、という気がして、悲しさよりも、もし神さまがいるならその粋な計らいがとても嬉しかったんです。
 ただひとつ、霊柩車の助手席から見ていると、道行く人のほとんどが親指を内側に折って手を握るのですが、それがなんともイヤでした。自分の身内を送る時そういう風にされたらどう思うのか、人の死はそんなに不浄なのか、と。
 でも今は「そうしてしまうということは、身内を大事に思っていることの現れなんだろうなあ」と心から思えるようになっている自分がいます。
 自分はなんやかんやつまづきどおしだと思っていたけれど、そうでもなかったんだなあ、ときょうやっと思えました。
 
 
 休日出勤のあとはハチくんと桜を見に行きました。
 まず、いつも行く桜が何本も植えてある公園へ。
 次に、山際の裏道沿いの小高いところにある公園へ。
 見下ろす岡山市街の風景と、満開の桜と、早めの鯉のぼり(どなたが上げてくださったのでしょうか。粋ですね~)が溶け合った景色が見られて最高でした。
 もちろんハチくんは相変わらず「花より団子」派ですがw  (^^;)


 

 

 

 

コメント
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