令和6年3月7日(木)
千曲市長楽寺③
小林一茶は4度の来訪。
伊能忠敬も文化11年に訪れ、
日記に13の古詠を書き留めて
いる。
千枚田や四十八枚田と言われる
千枚田や四十八枚田と言われる
棚田の向こうに広がる
長野盆地は善光寺平、川中島平
ともいわれる。
<善光寺平とか、川中島平と
呼ばれる長野盆地>
その景色は全てが武田氏、
上杉氏の12年間5度に亘る
川中島の戦いの戦場でもある。
姨捨(田毎の月)は、
姨捨(田毎の月)は、
広い意味では棚田に映し見る月
をいう。
<四十八枚田>
この場合は「姨捨山放光院長楽寺」
の持田である四十八枚田に映る月
を指す。
この田のある地籍を
「月見田」ともいい、
古い文献では「月夜田」と記され
ている。
<姥石からの絶景>
古来、仲秋の名月を
ここの田に映しての句会や歌会を
開く事がステータスとされていた。
多くの団体が申し入れた中から
寺に許された会派は、
総出で穫り入れ前の稲を刈り取り、
桟敷を組んで田には水を引き入れ
て月を映し、句や歌に詠んだと
伝えられている。
<見事な四十八枚田>
それがいつの頃からかは不明。
上杉謙信が麓の武水別神社に
あげた武田信玄討滅の願文には
「祖母捨山田毎潤満月の影」
とのくだりがある。
<棚田は遺産>
<棚田は遺産>
そして句碑群へ
~つづく。