貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

長野市善光寺③一茶の二首と山頭火の歌碑!

2024-03-01 10:49:33 | 日記
令和6年3月1日(金)
長野市善光寺③
<小林一茶の二句碑>

 一茶の二句は、
 「春風や 
     牛に引かれて 
         善光寺」

 「開帳に 
     逢ふや雀も 
        親子連れ」
<その説明板>

 三頭火の歌は、
「八重ぜくら 
   うつくしく 
     南無観世音菩薩像     
   すぐそこでしたしや 
      信濃路のかっこう」
<山頭火の歌碑>

 説明書きも整備されている。
<その説明板>

 信州善光寺は、
一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、
創建以来約千四百年の長きに亘り、
阿弥陀如来様との結縁の場として、
民衆の心の拠り所として
深く広い信仰を得ている。
 10回近く参拝しているかな。
 『善光寺縁起』によれば、
御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、
インドから朝鮮半島百済国へと
お渡りになり、
欽明天皇13年(552)、
仏教伝来の折りに百済から日本へ
伝えられた日本最古の仏像。
 この仏像は、
仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏
論争の最中、廃仏派の物部氏によって
難波の堀江へと打ち捨てられる。
 後に、
信濃国司の従者として都に上った
本田善光が信濃の国へとお連れし、
初めは今の長野県飯田市で
お祀りされ、
後に皇極天皇元年(642)、
現在の地に遷座。
 皇極天皇3年(644)には、
勅願により伽藍が造営され、
本田善光の名を取って
「善光寺」と名付けられる。
 創建以来十数回の火災に遭う。
 その度ごとに、
民衆の如来様をお慕いする心
によって復興され、護持される。