令和6年3月1日(金)
長野市善光寺③
<小林一茶の二句碑>
一茶の二句は、
「春風や
「春風や
牛に引かれて
善光寺」
と
「開帳に
と
「開帳に
逢ふや雀も
親子連れ」。
<その説明板>
三頭火の歌は、
「八重ぜくら
うつくしく
南無観世音菩薩像
すぐそこでしたしや
信濃路のかっこう」。
<山頭火の歌碑>
説明書きも整備されている。
<その説明板>
信州善光寺は、
一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、
創建以来約千四百年の長きに亘り、
阿弥陀如来様との結縁の場として、
民衆の心の拠り所として
深く広い信仰を得ている。
10回近く参拝しているかな。
『善光寺縁起』によれば、
『善光寺縁起』によれば、
御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、
インドから朝鮮半島百済国へと
お渡りになり、
欽明天皇13年(552)、
仏教伝来の折りに百済から日本へ
伝えられた日本最古の仏像。
この仏像は、
この仏像は、
仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏
論争の最中、廃仏派の物部氏によって
難波の堀江へと打ち捨てられる。
後に、
信濃国司の従者として都に上った
本田善光が信濃の国へとお連れし、
初めは今の長野県飯田市で
お祀りされ、
後に皇極天皇元年(642)、
現在の地に遷座。
皇極天皇3年(644)には、
皇極天皇3年(644)には、
勅願により伽藍が造営され、
本田善光の名を取って
「善光寺」と名付けられる。
創建以来十数回の火災に遭う。
その度ごとに、
民衆の如来様をお慕いする心
によって復興され、護持される。