貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

高山森々として

2018-08-11 10:22:41 | 日記

高山森々として

平成30年8月11日(土)

 7時より公園掃除、8月上旬の

当番。隣組の方が7名ほど協力して

くださる。

 全面に草が背伸びしている。

溜まった木くずは枯れ葉もいっぱい!

 公園の前庭も剪定草刈り、まるで

理髪店にかかったよう。

 1時間ぐらいで、見違えるように!

 有難きこと。

 「夜半、凄い音がしたのは、この木が

落ちた音だったんだ。」

 とAさん。

 その前に、「あの木、誰が切ってくれ

たんだろう?」

「あれ、朽ちて・・・。」

と話していた後のこと。

やっぱり朽ちて根元3メートルぐらいから

上で昨夜の雨風で倒れたんだ。

 崖で、人が入らない所なので、よかった

と胸をなで下ろす。

 公園周囲森々としてかな?

 今朝は山刀伐峠!

 

 山刀伐峠は、山形県の最上町から

尾花沢市へと越える峠。

 峠の形状が、山仕事や狩りの際に

被った「なたぎり」に似ていること

から名付けられたが、俗説では、

刀を持った山賊が住み着いており、

道行く旅行者を襲撃しては身包みを

剥ぐ危険な峠であったことに由来す

るという説もある。

 実際に、松尾芭蕉の「奥の細道」には、

山刀伐峠を越えるにあたって、

「封人の家」の当主有路氏が、山賊から

芭蕉の身を守るため、屈強の者を護衛に

付けて送った旨が記されている。

 私は、ひとりだ。

『奥の細道』には、

「高山森々として、一鳥声きかず、

木の下闇、茂りあひて、夜行くが

ごとし」

とあり、当時はかなり厳しい峠であった

ことが偲ばれる。

 現在、山刀伐峠の山頂へは舗装道路(旧道)

が整備されていて、車一台が何とか通れる道

となっている。

 「どうか、車が来ませんように」

と祈る気持ちで、慎重に上る。

 峠の頂上に広場が有り、芭蕉庵も造られ、

トイレも整備されていた。

山刀伐峠芭蕉庵

 

 芭蕉庵の中には、

峠にもトイレ完備

歴史の道として整備

つづく。

 


蚤と虱と馬のおしっこ

2018-08-10 09:35:41 | 日記

蚤と虱と馬のおしっこ

平成30年8月10日(金)

 暑さが戻る。

 夏が大好きな私も、今年は海へという

熱望も湧かず。この青梅から一歩もでず

じまい?

 夏を地元で元気に乗り切ることに終始かな?

今朝は、最上町にある国の境を守る

「封人の家」を訪問。

 

 封人の家は、10㎞出羽街道の先にある

ことがわかる。

 山形県にあり。もうびっくり!

 生憎整備のため、工事中であった。

 

 受付の老男性がみえた。

 入口に、芭蕉と曾良の木彫像があった。

 封人の家とは、「国境を守る役人の家」のこと。

 仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋家、

つまりこの旧有路家住宅であったといわれて

いる。

 元禄2年(1689)5月芭蕉は2泊3日にわたって

"封人の家"に逗留し、その時の印象を、

「蚤虱 馬の尿する 枕もと」

という句で表現した。

 最上町は以前は小国という地名で山形県内

では随一の馬産地だったよう。

 私の母屋は役牛を大事にしていた。

 同じ屋内で大事に育てられていることが、

芭蕉の句でもよくわかるが、蚤と虱で眠れず、

しかも馬の放尿の凄い音を聞いてびっくり!

 牛のおしっこも凄い!

 それをほんと楽しんでいるような句で

もある。

何度目にしても、吹きだしてしまう。

 次回の楽しみにして、中へは入らず。

再度工事が無事完了することを祈願して!


「尿前」という地名のいわれ?

2018-08-09 08:32:33 | 日記

「尿前」という地名のいわれ?

平成30年8月9日(木)

 台風13号は、茨城の水戸の方へ。

 青梅では、雨混じりのちょっと強い

風が吹き、終日の雨で終わり。

 清流に戻った多摩川は、また濁流に。

 さて、尿前の関跡の続き。

この関門を潜る。

 かつての鳴子町は、平成18年3月、

古川、岩出山など一市五町が合併して

大崎市となる。

 芭蕉が訪れた頃は、出羽国で最上、

伊達氏らの対立が続いていたことから、

その波及を恐れた大崎氏は国境の警備を

更に強めるため、「岩手の関」に小屋館

の番所を設置。
 

 小屋館は、尿前の西方の山上(岩手の森)、

薬師堂跡付近にあったといわれる。


 元禄2年(1689年)5月15日(新暦7月1日)、

岩出山で一宿した芭蕉は、「道遠ク、難所有之」

(曽良随行日記)という理由から、尾花沢

までの旅を、急遽、小野田経由から鳴子経由に

変更した。

 このため、通行手形の用意がないまま

尿前から中山峠越えを目指すこととなった。

 「美豆の小島」というのは、江合川の中

にある岩山だそうだが、名称の響きに誘わ

れて探すが、田園と山合の所と化し、

分からずじまいとなる。

芭蕉翁の立像や石碑が・・・。

尿前の関の碑。

詳細は。よく分かるようにまとめられている。

これが、関所の全貌。

芭蕉翁の立像。

嶮しい表情!

角度を変えると、ちょっと柔和になるが・・・。

 

芭蕉句碑

 芭蕉の句は、

「蚤虱 馬の尿する 枕もと」 。

 なお、「尿前」という名前は、

義経一行が平泉に逃避する際連れていた

幼児が初めておしっこをした場所と

いうのが由来だそう。

納得!

 


山中によしなき逗留

2018-08-08 08:42:17 | 日記

山中によしなき逗留

平成30年8月8日(水)

 気温が25度前後の夜が二日続く。

二日とも、深い睡眠が1時間半以上。

 深い睡眠が2時間を越えたのも初物。

睡眠の質を高める一助となっている。

 さあ、今朝は出羽街道の関所へ。

 現在は大崎市 。尿前の関跡へ。

2017(平成29)年 7月16日 8:04~

『奥の細道』には、

「南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。

小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯

より尿前の関にかゝりて、出羽の国に

越んとす。

 此路旅人稀なる所なれば、関守に

あやしめられて、漸として関をこす。

 大山をのぼつて日既暮ければ、

封人の家を見かけて舎を求む。

三日風雨あれて、よしなき山中に

逗留す 。」

と、怪しき者と訝られ、足止めを食う芭蕉。

しかも三日間の暴風雨に見舞われる。

尿前の関跡には、名残が・・・。

尿前の関の説明も新に!

そして、義経伝説「弁慶の船曳」についても

新に説明板あり。

 数年前から、随分整備されている。有難し!

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鳴動して湧出

2018-08-07 09:09:52 | 日記

鳴動して湧出

平成30年8月7日(火)

 台風13号のお蔭で、今朝は雨天で涼し。

一日冷房の世話にならなくて済みそう。

 涼しくなると眠くなる。

 今朝は、鳴動後しばらくで湯が湧出の地へ。

大崎市にある 鳴子温泉神社、

(ゆのかみのやしろ)へ。

  2017(平成29)年 7月16日 7:40~

 鳴子温泉神社は、鳴子グランドホテルの

駐車場内にあり。

 


 承和2年4月(835)谷ケ森俄かに鳴動

すること数日で、遂に轟然と爆発し熱湯を

噴出した。

 この年の10月朝廷は、この地に一社を

建てて、温泉神社を祀ったという。

 この湯を鳴声(なきごえ)の湯と名付けら

れた。

 湯の神人石やこけしの歌碑は珍しい。

湯の神人石

鳴子こけし歌碑

社殿参拝

阿吽狛犬

鳴子の湯につかりたかったが・・。


 芭蕉は、『奥の細道』では「なるごの湯より」

と記すだけ。

 湯に入らなかったのかな。