貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

涼しさでねまるなり

2018-08-16 08:33:40 | 日記

涼しさでねまるなり

平成30年8月16日(木)

 数日前より虫の声。

 風も涼しさを携えてたまに・・・。

 涼しさでねまるなりかな?

 養泉寺境内に、柴崎路水と鈴木素州が

宝暦12年(1762年)に建てた

「涼しさを 

  我宿にして 
     ねまる也」

の芭蕉句碑がある。


 これが「涼し塚」

 隣に「壷中居士」を刻む石碑が建っている。

  壷中は、村山地方を代表する江戸期の

俳人で、初め蕉門十哲・服部嵐雪の流れを

汲む海谷一中の門に入る。

 後に、蕉門十哲の一人各務支考を祖とす

る美濃派の俳人林風草(鶴岡)の門下となっ

た。

 宝暦元年(1751年)、俳諧仲間とともに、

山寺立石寺に「蝉塚」を築いた人物でもある。

 「富める者なれど志いやしからず。

都にも折々かよひて、さすがに旅の情を

知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、

さまざまにもてなし侍る。」

と、清風の人柄とそのもてなしの多彩さ、

誠実さに居心地の良さを満喫した芭蕉。

 山形の人の情に感謝!

 この後、草刈りをするか、休憩にするか、

雲と風に相談して・・・・なまるなりかな?


涼しさを我が宿に パートⅡ

2018-08-15 08:50:31 | 日記

涼しさを我が宿に パートⅡ

平成30年8月15日(水)

 今日は我が友の誕生日と終戦記念日。

 私はその45日後生誕。

 近くて遠い。

 私は戦後生まれ、彼は戦中生まれと、

よく時代区分し、笑い合ったものだ。

 取りあえず一生ついて回る記念日。

友よ、73歳誕生おめでとう!!!!!!!

 今朝も「涼しさを我が宿に・・・」。

 尾花沢市の 養 泉 寺  へ。   

 2017(平成29)年 7月16日 11:25~

 奥の細道ゆかりの地標柱

養泉寺の山門

 

養泉寺の由緒


 養泉寺で、芭蕉は7泊した。

 清風邸から700mほど離れた梺町にある

天台宗の寺で、江戸時代まで上野東叡山

寛永寺直系の寺院として格式を誇った。

 本尊は、慈覚大師作の聖観世音菩薩で、

最上三十三観音の第二十五番札所。

 境内に、柴崎路水と鈴木素州が宝暦12年

(1762年)に建てた

「涼しさを 
  我宿にして 
     ねまる也」

の句碑がある。

 これが「涼し塚」。

「涼し塚」説明。

 つづく。


涼しさを我が宿に!

2018-08-14 08:51:44 | 日記

涼しさを我が宿に!

平成30年8月14日(火)

 昨日は、帰省の息子と3人で、

3ヶ月ぶりの温泉へ。

 日の出の平井からすぐかと思いきや、

大久野の奥の方。

 家内だけが、できた当初入湯したと

いう。登山帰りの人が十数名館内に

入っていく。

 駐車場も空きを待つ勢い。

 つるつるの湯で、のんびり、ゆったり。

 今朝は5時起床。歩行禅にも勢いが。

 多摩川の水の流れも勢いが。

そして、小丘の野原にも自生の白百合が!

昨夜は夕立のお蔭で、涼し!

涼しさを我が宿に、我が家にかな!

 


尾花沢の町屋

2018-08-13 08:06:52 | 日記

尾花沢の町屋

平成30年8月13日(月)

 田舎では今日からお盆。

 お盆には、絶対やらなかったことが

一つある。

 川遊びだ。

 「彼岸の人が此岸に来て・・・。」

 そして、お盆に川遊びした成人が

水死した例をいくつかあげられて・・・。

 以来、遵守!

 そのお盆の朝、尾花沢に入る。

 俳聖の後を追う。

 

芭蕉清風歴史資料館に到着。

2017(平成29)年 7月16日10:16~

 山形県道120号東根尾花沢線沿いにある。

二度目の訪問。

芭蕉翁の立像

 松尾芭蕉はおくのほそ道の旅で尾花沢市の

鈴木清風を訪ね、10日滞在したという背景が

あり。それらの資料などを展示している。

 ビデオでゆったり芭蕉と清風を偲ぶことも

できた。

 建物は旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋を、

鈴木清風宅の隣に移転復元したもので、

尾花沢地方における江戸時代の町屋の完成した

姿を伝える貴重な建物。

説明板と歴史観の説明

いろいろな催しものもある。

近ければ参加したいが・・・。

歴史の道として地元では大切にされている。


二十七曲がり

2018-08-12 09:28:23 | 日記

二十七曲がり

平成30年8月12日(日)

 今朝は、へそ曲がり以上の

二十七曲がりへ。

 山刀伐峠の頂きになる広場。

今発展途上の感あり。

山刀伐峠は、「なたぎり ぱす」.

ちゃんと「おくのほそみち」と刻まれている。

山刀伐峠越えだ。

芭蕉と曾良の旅姿。そして、無事を祈り案内人付き。

芭蕉の道となる。

地元の小学校の閉校記念に36名が記念行脚も。

 私の母校もずっと前に閉校。

 私のクラスは、分校から四年生からきて、 

やっと30名。似たようなものかな?

 この道は「二十七曲り」と言われ

曲がりくねった山道で、うっそうとした

ブナの原生林に覆われた手つかずの(?)

自然が、当時の面影を残している。

 出羽街道に下りると、山刀伐峠越えの

歴史の道の表示や句碑も整備されていた。

俳人 田川飛旅子の句。

「山刀伐に 立つ初蟬に 取りまかれ」。

 こうして、芭蕉たちは、弟子の清風を

尋ねることとなる。 

 

手前の山道が、歴史の山刀伐峠越えだ。

   

 感動の山刀伐峠越えであった。

 

尾花沢入り。