貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

自然に耐える神々しさ!

2021-07-10 15:55:16 | 日記

自然に耐える神々しさ!

令和3年7月10日(土)

 7月5日に入院。

 6日午後1時半から手術室へ。

 生まれて初の手術。

 両親からもらった身体の一部に・・・

謝罪と施術の先生方に全幅の信頼を・・・。

 網膜前膜の摘出と白内障の二つの手術。

 右眼のみ。

 1時間余の動画を見ているよう・・・。

 14時55分手術室を退出。

 右眼から緩衝剤の液が少しずつほとばしる。

 「ただいま」

と病室に戻る。

 右眼の目頭と目尻の処が交互に引っ張られる

ような痛みが走る。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして、9日、10時予定通り退院。

 やっぱり家はいい!

五月雨の 

   降残してや 

       光堂 

   全てを腐朽させる五月雨が、

ここだけ降らずに残したのか。

 光堂は、今も光を放ち続けている、

の意。

 元禄二年(1689)の作。

 光堂・・・平泉の中尊寺境内にある

阿弥陀堂(金色堂)。

 総金箔仕立ての荘厳さを守るため、

鞘堂で覆われる。

 自筆本では、

「五月雨や 

  年々(としどし)降るも 

       五百たび」

 と 

「蛍火の昼は、

    消えフゝ 

       柱かな」   

の二句を併記し、

曽良本では、後者は抹消され、

前者が現行形に改められる。

◎ 五月雨をいうのは、毎年、

たくさんの雨を降らして、

家や物を濡らしてきた。

 この光堂も、昔から雨に濡れ、

腐っていくという運命にあるのに、

その黄金は腐りもしないし、

古びもせずに凜として、

昔の姿を保っている。

 まるで、五月雨がそこだけ降り残

したようである。

 自然の長い間の攻撃にも耐えている

その黄金の強さは、

人間の大きな力が自然に耐えている

ことを示している

 まさに平泉中尊寺の信仰の強い力を

示しているようだ。

 何と神々しい姿であろうか。


瀬田の大橋の見所

2021-07-06 08:33:52 | 日記

瀬田の大橋の見所

令和3年7月6日

今日から五月雨を詠み込んた作品に。

五月雨に  

  かくれぬものや 

       瀬田の橋

 降り続く五月雨にも、瀬田の長橋は、

隠れることもなく、姿を現している、の意。

 一切を埋没させる五月雨の本意によりつつ、

その例外に焦点を当てた点が新鮮。

 琵琶湖の大景までが想像される。

◎ この辺り、連日の雨に濛々と烟って、

何も見えないのに、瀬田の大橋は、日没の景色を

本来の名所の所以としているが、なに、長雨ぐらいでは、

見えない所がないのも、名所たる特徴だ。

 この長雨には、辺りの景色は白く烟って

いるけれども、それでも古今の名所には、見所が

いろいろある。

 見えない富士の美を誉めた芭蕉特有の感覚❗

 


雨の花??????

2021-07-05 10:53:47 | 日記

雨の花??????

令和3年7月5日(月)

紙ぎぬの 

  ぬるともをらん 

      雨の花

  紙子が濡れてもよいから、

雨の中に咲く花の折り取ってみよう、

の意。

 貞享五年(1688)の作。

「紙ぎぬ」・・・紙子。紙製の防寒衣。

「ぬるともをらん」・・・藤原家隆

「露時雨 もる山陰の 下紅葉

濡るとも折らん 秋の形見に」

(新古今集)に見え、

歌道で他者に使用を控えるべき詞と

されたそう。

 家隆歌を踏まえ、路草亭の風情を

賞した挨拶吟。

◎ 紙ぎぬというのは、、柿渋を

塗った紙の衣である。

 急に降り出した雨であるが、

紙の衣が濡れてもこの美しい花を

手折って持って帰ろうというのだ。

 何というの花か知らないが、

庵に飾って過ぎていく春を見送ろう

という。

 ちょっとした動作だが、

雨に弱い紙衣が駄目になっても

野の花は持ち帰りたいという。

 気持ちはよく分かる。

 でも、心引く花は?

 ちょっと気になる?


雨と西施と合歓の花

2021-07-04 11:52:27 | 日記

雨と西施と合歓の花

令和3年7月4日(日)

 今日は、都議会議員選挙。

 ちょっと前に投票終えた。

 今朝から小降りが続いている。

 「雨」をテーマに!

きさかたや

   雨に西施が 

      ねぶの花

 わたしの好きな細道、象潟の径。

   その象潟の美景の中、

雨に濡れて岸辺に咲く合歓の花は、

眠りについた西施の面影を

彷彿とさせる、

の意。

 元禄二年(1689)の作。

 にかほ市(秋田県)にある象潟。

◎ 蘇東坡の

「 湖上ニ飲ミ初メ 晴レ後ニ雨フル」

より想を得ている。

 詩中で、西湖を美人西施に喩えた

ことを受けている。

 雨はけぶっている。

しかし、雨に濡れた合歓の花は

あの美人西施が目をつむっている

ような趣があるというのだ。

 雨と目を細めた美人とが、

静かな美を醸し出していて、

古典と目前の景色が溶け合った句。

 芭蕉のお陰で、二度象潟を訪れ、

西施像や坩満寺、九十九島巡りも

愉しめた処。


別れの寂しさ

2021-07-02 10:35:53 | 日記

別れの寂しさ

令和3年7月2日(金)

見送りの 

  うしろや寂し 

     秋の風

    前書き「野水が旅行を送りて」

 秋風が吹く中、旅立つあなたを

見送ると、その後ろ姿が

何かしら寂しげである、

の意。

貞享五年か元禄元年(1688)の作。

 野水への餞別の吟で、

底本に野水の脇も録される。

◎ これは、友と集まっていたが、

一人去って行く後ろ姿を皆が見ていて、

秋風の寂しさを感じたというのである。

 先ずは、別れの寂しさがある。

遠ざかって小さくなっていく

後ろ姿の寂しさがある。

 さらに、去る人の裾や笠が

秋風に揺らめく寂しさがある。

 心は二重三重に、秋風の風情を

感じている師の勝手な想像?