貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

高崎市清水寺②芭蕉一聯二句の「花の雲・・・」碑!

2024-02-24 10:35:54 | 日記
令和6年2月24日(土)
高崎市清水寺②
 芭蕉句碑の句は、
「観音の 
   甍みやりつ         
     はなの雲」

 貞享3年。
 『末若葉』には、、
かねは上野か浅草かと聞えし
 前の年の春吟也。
 尤も病気の眺望成べし。
 一聯二句の格也。
  句呼句(おて)とす
と附記する。
 病後の吟で、
「花の雲 
  鐘は上野か 
     浅草歟」
と一聯の作品。
 ぐるぐる山腹を逍遙。    
 ちょっと粋な蕎麦屋さんがある。
 食したかったが、時間帯悪し。
 駐車場の隣に、二つの句碑。

 出羽三山の供養碑等
いろいろあり。
 のんびり散策すると、
良い処かな!?




















高崎市: 清 水(せいすい) 寺① 見事な高崎市街の風景と芭蕉句「花の雲」

2024-02-23 10:30:57 | 日記
令和6年2月23日(金)
高崎市: 清 水(せいすい) 寺   
   
 高崎観音山の東腹にある
曹洞宗の寺院。 
 「せいすいじ」と呼ぶ。 
<本堂>

 古くから養蚕の仏様として
近郷の信仰を集める。
 大同3年(808)に、
坂上田村麿が東国平定の際に
戦死した将兵の冥福を祈り、
京都の清水寺から勧請して建立。 
<当寺の由緒>

 観音山下から続く石段の
参道両側には、
多くのアジサイが植えられており、
開花期には参詣者で賑わう。
 観音堂(本堂)前には
楼門風の舞台があり、
高崎市街が見晴らせる。
<高崎市街>

 芭蕉句碑の句は、

「観音の 
   甍みやりつ        
     はなの雲」 
<芭蕉句碑>

 ぐるぐる山腹を逍遙。
  
 ~つづく。

深谷市: 光厳(こうごん)寺 日蓮聖人の御命講の、芭蕉の句!

2024-02-22 10:25:14 | 日記
令和6年2月22日(木)
深谷市: 光厳(こうごん)寺  
<山門>

 光(こう)厳(ごん)寺(じ)は
承応2年(1653)
上野村を統治していた旗本である
大久保藤左衛門忠次が、
父の九郎兵衛忠元の菩提を弔う
ために開創。
<本堂>

 ご開山は了玄院日暁聖人。 
<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑の句は、
「御命講や 
   油のような 
      酒五升」
 今日は日蓮上人の忌日で
御命講の日。 
  
 ちょうどその日に、
日蓮上人のお礼の手紙の言葉
にもあるような、
油のような美酒がたくさん届く。               
 誠にありがたいことであるよ、
の意。


深谷市: 吉 祥 寺 「聖一国師」という称号を賜ったお坊さんと可愛い芭蕉句碑!

2024-02-20 15:51:44 | 日記
令和6年2月21日(水)
深谷市: 吉 祥 寺   
<山門>
       
吉祥寺は、
今から約800年前、
鎌倉・北条執権政治全盛の時代。
<本殿>

 新宗派が次々生まれた時代、
聖一(しよういつ)国師 
というお坊さんが、
上州世良田の長楽寺の修行中に開く。
 「聖一国師」というのは、
「日本一国の先生」という意味で、
辨圓さんは我が国初めての国師号を
朝廷(花園天皇)から賜った、
超すごいお坊さん。

<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑は、天保12年に建立。
 芭蕉句碑の句は、       
「頓て志ぬ         
   氣しきは見えず        
      蟬のこゑ」
「頓天志奴氣之幾盤見衣壽蝉農 己恵」
「蝉は、もうすぐ秋になれば、
 はかなく死んでしまうに
 決まっている。
 それなのに今は、少しも
 その様子がなく、
 やかましいばかりに
 泣き立てていることだ。」
の意。



深谷市: 楡山神社 ハルニレの蘖と芭蕉冬篭もり!

2024-02-20 10:33:40 | 日記
令和6年2月20日(火)
深谷市: 楡山神社   
今日は如月二度目の20度越え、
 半袖・ハーフパンツで
ウォーキングするようだ。
<楡山神社鳥居>

          
 ハルニレの大木が以前にあり。
 今は蘖(ひこばえ)が何本も
我先にと競っている。
<ハルニレの蘖>

 早めに育てる木を決めた方が・・・。
 御社名の由来は、
御神域一帯に楡の木が多かった
ことによる。

 当社の御神紋の
「八(や)咫(た)烏(がらす)」は、
初代神武天皇の東征の際、
南紀の熊野から、
翼の大きさ八尺余りの八咫烏の
道案内で、大和に入った
といふ故事から、
当社が熊野権現といわれた時代に
定まったともいわれる。  
<楡山神社由緒>

 東参道入口左百㍍道路際にある
芭蕉句碑。
<芭蕉句碑>

 句は、
「冬こもり 
   又よりそはむ  
     此はしら」
 元禄元年。
 前年から旅に出て十月末帰庵した
芭蕉には、特別の懐かしさが
感ぜられたであろうし、
久しぶりで自庵で冬籠もり
という安堵の気分か?
 「又」と「此」の二文字から
その心を読み取ることができる。