『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[映画『ダンシング・チャップリン』を観た]

2011-07-11 22:34:47 | 物語の感想
☆何故か、周防正行監督作品は母親と観に行くのが慣例となっていた。

 ただ、作品の形式が、いつもの周防作品と異なるので、一抹の不安(面白くないんじゃないか?)を抱きつつ、観始めた。

 私にとっては、不安は的中した。

 理由は後述するが、何度も落ちた(寝た)。

 しかし、母親は、非常に喜んで見ていた。

 私が眠気と戦っているときに、母親が笑い声を上げていたので、私は、自分にはない感性が母親にあることに驚いた。

 そもそも、私は、映画好きのように思われているようだが、映画が好きな訳ではない。

 物語が異常に好きなのである。

 だから、自分の感覚に訴えない、ストーリー性のないジャンルの芸術に対しては、どうしても退屈さがつのってしまうのである。

 音楽ってものは、洋楽で言葉が理解できない時でも、それでも分かりやすいのだが、ストーリー性のないダンスとなると、私には、楽しむのが非常に難しいのである・・・。

 ダンス作品ではないが、ディズニーの名作『ファンタジア』など、凄い技術の作品だなぁ、と思いつつ、すぐに寝てしまったものだ。

 ここぞと言う時のイメージ演出は、私の心を虜(とりこ)にするパワーを持っているんだけどね。

   ◇

 作品は二部構成で、第一部は、周防監督をはじめとするスタッフやキャストが、フランスの巨匠振付家ローラン・プティによるバレエ『ダンシング・チャップリン』を映画化するにあたっての過程がドキュメントで撮られている。

 ここで先ず、私は躓いた。

 私には、バレエの「凄さ」が感覚的に理解できず、巨匠振付師プティと言われても、主演の名ダンサー、ルイジ・ボニーニと言われても、何が凄いか、てんで分からないのだ。

 周防監督が何でこの作品を撮りたいと思い、また、その初動をドキュメントとしてまで残したいのかも分からなかった。

 こちらは、何を「見る」目的にしていいか分からない中での鑑賞を余儀なくされる。

 バレエ知識のない人間に、「新しい価値・基準」の創造としての作品作りは為されていなかった。

 ちょくちょく画面に出てくる周防監督を見ると、次第にイライラさせられもした。

 周防監督の奥さんの草刈民代が美しいから嫉妬しているのかも知れない^^;

 ただ、二点だけ、「ダンシング・チャップリン」の映画化である第二部につながる物語性があった。

 それは、ドキュメントの中で映し出されていた、振付師プティの素直さと強情さであった。

 幾つかのシーンで、周防監督は、スタジオ内から、外界の公園でのダンスを映したいと演出プランを立てていたらしいのに、プティ氏は「そんならやめる!」などと言い出すのだ。

 さて、本番ではどうなるのか?

 それと、東京での踊りのレッスンでは、「パ・ド・ドゥ(二人のステップ)」をする中で、草刈嬢の体を、男がうまく支え切れないと言う状況が起こってしまい、

 その男を代えなくてはならなくなってしまった。

 本番での代役はうまくやってくれるのか?

   ◇

 第二部「バレエ」では、ほとんどがスタジオ内だが、映画としてのカメラの切り替えが縦横無尽で、非常に感心させられた。

 草刈民代が美しいだけでなく、演技派であることも分かった。

 公園での警察官のダンスも、その緑のイメージが、閉鎖空間とは異なった爽快感を感じさせてくれた。

 だが、見ながら何度も眠ってしまった・・・^^;

 楽しんだ母親に意見を聞くと、

「オペラの映画を(MOVIX MET ライブ ビューイング)二回見たけど、あれも最初は、作品ができるまでの過程を追っていたのよね。だから、今回の二部構成が理解できた。何よりも、私はダンスを見るのが好きなのよね」

 とりあえず、一緒に見た人が喜んでくれたので良かった。

                                                        (2011/07/11)