『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[「三遊亭圓歌&鬼丸 親子会」に行く(その4) ]

2012-11-03 23:10:43 | 物語の感想
☆さて、鬼丸師匠の一席「お見立て」だが、

 私、その本題に入る前のまくらの部分に、ちょいと苦言と言うか、マイナスポイントの指摘をしたい。

 鬼丸師匠の師匠は、今回の「親子会」でトリに登場する三遊亭圓歌師匠で、その弟子たちはすべからく「歌」の一文字を名前に含んでいる。

 しかし、「鬼丸」である。

 名前に「歌」の一文字がない^^;

 その名に至るまでには、色んな逸話があり、それは鬼丸師匠の高座を聴きにいけば、その話を数回目かには聞けると思うが、ここでは書かない。

 で、鬼丸師匠が真打となり、「鬼丸」名を決めてからと言うもの、圓歌師匠がことあるごとに難癖つけてくるのだそうだ。

「お前の名前には『歌』がついてないから、俺の弟子でもなんでもねぇ」などと、わりとグチグチと言い募ってくるのだそうだ。

 鬼丸師匠は、「うへ、まただよ・・・」と心の中で思いつつ、顔には笑顔を浮かべ、頭を下げつつやり過ごすのだそうだ。

 ちなみに、落語界の弟子と言うものは、師匠を呼ぶのに「○○師匠」などと、敬称に名前を付けることなどはないとのこと。

 「圓歌師匠」などと呼ぼうものなら、「ならば、お前にとっての師匠は、他にもいるのかっ? インカ師匠も、アステカ師匠もいるのかよ!」と言う理屈らしい。

 話を戻す。

 だが、いつもの如く、鬼丸師匠が圓歌師匠から、名前に「歌」の一文字がないことについてクドクドと説教されていたある日のこと、

 兄弟子の三遊亭歌橘さんが「しかしながら、お言葉ですが、師匠!」と、弟弟子・鬼丸をかばう発言をし始めたのだそうだ。

 ちなみに、三遊亭歌橘さんとのエピソードは、鬼丸師匠、よく「GOGOMONZ」でも語っていまして、いつも爆笑させられています。

 それから、もひとつちなみに、私は鬼丸師匠を、私が勝手にラジオでいつも聴いていて親近感を感じているので「師匠」と呼んでいますが、その兄弟子にあたる歌橘さんのことはよく知らないので「さん」付けで勘弁させていただきます。

 なお、歌橘さんの顔を、ネット検索で見たら、何故か、大爆笑してしまいました^^

 話を戻します。

 自分をかばってくれる兄弟子・歌橘の横顔を見て、鬼丸師匠は感動していた。

「さすがは、兄弟子! 弟弟子の苦境を助けてくれるのだな!^^」

 歌橘さんは淡々と話し続けます。

「しかしながら、お言葉ですが、師匠! ・・・この間、テレビ出演した時、楽屋のドアに私の名前が張り出されていたんですけど、その私の<歌橘>の名前を見て、局の上層の関係者の方が訪ねてきてくれたんですよ。『あなた、お名前に「歌」の一文字が付いているけど、圓歌さんのお弟子さんかい?』って!^^ 私など、まだまだの芸人ですが、師匠から頂いた「歌」の一文字で、芸に目の肥えた方からも声を掛けて貰えて、とても嬉しいんですよ^^」

 ・・・、・・・えっ?

 ・・・えーっ!? 歌橘兄さん・・・、「しかしながら」でも、「お言葉ですが」でも、・・・なんでもないじゃないすか!!

 全然、かばってくれていない!^^;

 鬼丸師匠は唖然とするのでした・・・。

 で、この(↑)歌橘さんの「鬼丸追い込みエピソード」が、私は大好きで、ラジオでも都合二回聞いていたのですが、そのたびに笑わせられたものだった^^

 だから、今回の鬼丸師匠、一席の前のまくらで、このエピソードを話し始めたとき、私は「待ってましたぁ!!」と喜んだ。

 ・・・だが、この時、鬼丸師匠の「歌橘さんによる、鬼丸追い込みエピソード」のオチだが、チョイ滑ってしまった。

 爆笑できる話なのに、クスクス笑いで終わってしまったのだ。

 私も、いつもの爆笑ルーチンと何かが違うと思った。

 大成功に終わったと思われる「親子会」、しかし、私は、ここにおいての「滑り」が気になった。

 気になったから、考え続けた。

 雲泥の差はあれど、エンターテイナー視線で、この状況を考えてみようと思った。

 すると、その答えが出た。

 おそらく、少なくとも、「GOGOMONZ」番組内で、この話を2回も話していたし、

 鬼丸師匠も、この話を気に入り、寄席で話しても好評を博していたのだと思う。

 だが、今回、爆笑に至らなかった。

 何故か?

 鬼丸師匠は、この、「歌橘さんによる、鬼丸追い込みエピソード」が、まだまだ改良の余地のある、工夫によっては、もっともっと爆笑を得られる小話になり得ると考えたのだと思う。

 故に、今回、ちょっとアレンジを変えてみたのかも知れない。

 アレンジとは、間(ま)の取り具合や、語彙の変換、言い回しを変えたり、音域を上下広狭させたりすることにある。

 例えば、間(ま)の取り方などは、0.01秒単位の違いで、爆笑か沈黙かと言う境界を生んでいると思う。

 「(笑いの)神」の領域である。

 それが、「計算」によって為されるのか、「感性」によって為されるのか、そこまでは、私、まだ鬼丸師匠を知らない。

 その、両方なのだと思う。

 そして、この人、まだまだ若いが、とびきりに面白い人物であることは分かる。

 だが、今回の、「歌橘さんによる、鬼丸追い込みエピソード」のヴァージョンアップは、成功とは言い難い。

 しかし、鬼丸師匠が、現状に安穏とすることなく、日々、ストイックに芸に磨きをかけ続けているのは、よーく分かった。

 ・・・鬼丸師匠の一席が終わり、中入りとなった。

 私は、A子さんの顔をグイッと覗き込みながら問うた。

「鬼丸師匠、面白いべ?^^」

 すると、A子さん、素直な顔で「うんッ!^^」と言った。

「落語って、凄いべ?」

「うん!^^ ただ、まわりの笑い声で、聞き取りにくいときがあるのが悔しかったよぅ」

 ・・・続いて、「(笑いの)神の領域」をいとも簡単に引きつける能力を会得している男・三遊亭圓歌が登場した・・・。

   

                                          (2012/11/03)
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[映画『のぼうの城』を観た(寸評)]

2012-11-03 01:13:26 | 物語の感想

☆秀吉の小田原征伐の時代、北条方についていた支城が一つ、成田家の忍城は、石田三成率いる二万の軍勢を前にして、降伏か戦うかの決断を迫られる。

 領民から「でくのぼう」の「のぼう様」と慕われていた成田長親は、暫定的に当主となり、500人の兵での、勝ち目のない戦いをはじめるのだった。

 狂言師・野村萬斎演じる成田長親は、子供や農民と戯れて日がな一日を過ごすような飄々とした人物、その大きな生きるテーマみたいなものも見えないのだが、それは、もしかして、こちら(私ね)の許容範囲を超えた人物として描かれているからかも知れない。

 ただ、その妙な魅力は、こちらの興味を惹きつけ続ける。

 対する石田三成(上地雄輔)だが、大谷吉継(山田孝之)が好意的に言うとおり、「わっぱ(子供)のような正義を振りかざす」、義を重んじるなかなかの好人物として描かれている。

 が、この石田三成も、成田長親とは違った意味で、ずいぶんと簡単に「城の水攻め」を決めたり、長親の、挑発の意味の田楽踊りに対し、射殺を命じたりと、いまいち、キャラクターの整合性に欠ける時もあった(そもそも、歴史上の人物は往々にしてつじつまの合わないことをするものだが)。

 しかし、最近の邦画は、CG技術の普及により、作品の予算の大小は問われず、戦場となる忍城近辺を、リアルな大スペクタクル映像で見せてくれる。

 主に特撮のほうを担当しただろう、ダブル監督が一人・樋口真嗣の力が大きいように思えて、

 忍城の家臣らや領民たちの人物抽出を見事に成し遂げ、忍城側の人々の中規模な集団のスケールを見事に描いた犬童一心監督の手腕もなかなかだ。

 ただ、「豪快過ぎる<水攻め>」の映像に、<3・11の津波>を思い出しちゃう人もいるかも知れないな。

 私は、最近、<3・11>について書いていないが、私にとっての<3・11>は、最終的に原発問題となっており、いまだに、ただの一人の死者も出していない福島原発の放射能を騒ぎ立てる人々に呆れているからだけだ。

 そして、そんな苦難の中、成田長親のような笑いを愛する生き方こそが、人々が幸せを掴む一つの最重要な答えだと考えている。

 悲観的になったってしょうがない、笑って戦いましょうよ、って!

 故に、このブログ、最近、笑いを重視している。

   
          いい感じのメンバーたち^^

 成田長親の、最後の、姫(宮崎あおいと双璧に可愛い榮倉奈々)に関しての決断は、その表情を含めて、物語に大きな余韻を残す・・・。

                                          (2012/11/03)

コメント (2)
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