『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[「いじめ」と<日教組>の関係 (三遊亭鬼丸の語りより)]

2012-11-30 23:31:20 | 保守の一考
☆・・・最近、『GOGOMONZ』で投稿が読まれないので、書くのに気が引けるのだが、忘れちゃうので書くのです^^

 今、埼玉県は、<いじめ撲滅キャンペーン>をしていて、その一環として、FM NACK5『GOGOMONZ』の二人(鬼丸師匠・カオリン)が、ネット上での、その広報動画に出ている。

 みんなで見ましょう!^^

   (1)【いじめ撲滅キャンペーン】三遊亭鬼丸さん横田かおりさんから保護者へのメッセージ

   (2)【いじめ撲滅キャンペーン】三遊亭鬼丸さん横田かおりさんから子供たちへのメッセージ

   ◇

 さて、私は、戦前や戦中における「いじめ」から、戦後から現在にかけての「イジメ」には、「カラッとしたもの」から「陰湿なもの」への変質があると考える。

 そして、その原因の大きな要因として「教育環境」の変化があると考えている。

 簡単に言うと、私は、戦後の教育で、絶対的な力を得ていた<日教組(日本教職員組合)>こそが、現在の『イジメ』の最大の元凶だと考えている。

 ・・・で、「GOGOMONZ」と言う番組は、よく考えると、わりと深刻なエピソードを笑いにしているときもあり、それを、「笑える思い出」として昇華しているのが番組のいいところである^^

 先日も、読者からの投稿で、なんかあることがキッカケで、先生にさらしものにされた経験のある人の投稿が読まれた(内容は忘れた^^;)。

 で、それを読んだ鬼丸師匠が、「この投稿者は長野出身で俺と同じなんだけど、俺も似たようなエピソードを知っている。長野にはそんな教師が多いのかなぁ^^;」と言って語り始めた。

 もちろん、今だからこそ、笑い話として話せる。

 ・・・以下、うろ覚え。

 家庭科の授業で、服の汚れの勉強をしていて、家庭科の教師は、なにやら「リトマス試験紙」みたいな効用の液体を出してきて、その実験の参加者を募ったのだと言う。

 クラスの元気者 数人が「ハイ! ハイ!」と手を挙げ、教師はその中の一人にシャツを脱ぐことを促し、

 その服の脇の下に、薬液を振りかけたのだと言う。

 すると、そこには、その生徒のかいた汗が、酸性を示す色とともにゴッソリと鮮明にあらわれた。

 他の生徒は大笑い。

 そんな実験とは思わなかったシャツの持ち主は泣き出す。

 その生徒は、つまり、授業に積極的かつ元気に参加し、だが、その純粋な気持ちが打ち砕かれたわけだ。

 実験の間、ずーっと、その児童は泣いていたそうだ。

   ◇

 ・・・長野は「教育県」と言われる。

 これは、戦前から言われていたことだ。

 以下、ちょっと短絡的な左翼のブログからの引用。

  ≪・明治5年8月 学制発布
 このとき、全国平均の就学率が38.3%だったのに対し、長野県の就学率は54.97%、筑摩県(松本以南)は71.5%という驚異的な数字だった。
 (現在の長野県は「長野県」と「筑摩県」が合併してできた)

   ・大正8年 児童自由画運動
 「臨本によらない児童の直接的な表現」で児童の個性表現を大切にした。
 これが、農民美術運動、さらに自由主義文化運動として発展。

   ・信州白樺派の興隆
 芸術によって自己の向上を求める教育を推進。
 これは、武者小路実篤の白樺派「個性を外にして個人に尊厳はない」との精神を基とされた。

   ・日露戦争後の自由主義教育の発展
 画一的・形式的「臣民教育」から「個の確立」や「自主性」を尊重した信州教育・文化の革新が生まれた。

   ・明治44年 「東西南北会」発足
 教育は技術ではなく人である。「天下第一の人格者」に接触し、教師自身の人格をまず磨き向上させることを目的とした。≫


 で、引用先のブログでは(そもそもが山川出版の書籍の内容らしい)、この後、軍国主義の勃興とともに戦争が起こり、この長野の「個を尊重する教育」が壊滅したとしている。

 例えば、「昭和8年2月4日 治安維持法違反として社会運動家608人(うち230人が教師)が検挙された」などと。

 で、先ずは、長野に限らず、日本の戦前の教育についてだが、少なくとも、引用先のブログ主は、肯定的のようだった。

 だが、現在の多くの左翼の方々は、「戦前の教育は暗黒」のイメージで語っている。

 それはさておき、私が言いたいのは、この、かつての長野で行なわれていた戦前の教育においての「自由」「個性」「個人」「自主性」「革新」「人格」と言う言葉は、

 現在、長野に限らずに、<日教組>主導の日本の教育現場で語られているような、「非行の自由」「狂人の個性」「逸脱への自主性」「ぶち壊す革新」「悪行糊塗の人格」と言う意味ではない。

 もっと、純粋な、本来の意味でしか使われない言葉だったのである。

 また、歴史情報収集に定評のある山川出版であるが、時に作為的な誘導を行なう。

   >>「臣民教育」から「個の確立」や「自主性」を尊重した信州教育・文化の革新

 これは嘘である。

 この時代の、ベーシックとなる教育は、「臣民」と「市民」を別個になど考えていなかった。

 そんな選択肢の発想自体が、その時代の日本人には存在しなかった。

 「臣民」でありつつも、その上で、「個の確立」や「自主性」が考えられていたに過ぎない。

 そこを分断して考えはじめられたのが、戦後の日本の教育現場である。

 戦後の、GHQとコミンテルンの複合組織体<日教組>が、その国体破壊を仕掛けた。

 そして、自分ら国民を見守ってくれている者の存在(それは、天皇であり、八百万の神々であり、地獄の閻魔さまである)を喪失し、敬いを忘れ、恐れを無くした国民の体たらくが、ひとつに、「イジメ」を生んでいる。

 話を戻す。

 「臣民教育」とは、当然にマイナス面もあるが、国民が国家単位で一丸になれるよすがである。

 アメリカが凄いのは、この間の大統領選挙のように、国が二分されつつも、国難に対しては、一つにまとまれることにある。

 日本の戦争直前の行政は、確かにマイナス面も多々あった。

 しかし、戦後の、日本のこれまでの歴史に連なる伝統を根こそぎ否定した<日教組>教育は、マイナスの面しか存在しない!

 それは、現在の政治状況とも似ている。

 自民党には、確かに、マイナス面があった。

 「権力は腐敗する」は、確かに金言であったろう。

 が、「本当の恐怖は後からやってくる」と言うことが、この三年間の、マイナス面ばかりの民主党政権で分かった。

 この構図と同じである。

 戦前・戦中の教育を全否定して行なわれた<日教組教育>は、それまでの日本国の教育を「壊滅」させた。

 唯一の利点とも言われる「経済大国」に成れたのも、戦前までの、日本人の謹厳実直な生き方の帰結に過ぎない。

 多くの日本人ノーベル賞受賞者を出せたのも、<日教組教育>とは別個の次元の結果である。

 <日教組教育>や、民主党政権では、横並びの個性しか認められてない・・・。

 だが、「経済大国」になった日本は、全てを「カネ」でしか推し量れない子供たちを多く生んだ。

 心に、基底としてあらねばならない「良心」とか「神聖なもの」とか「正義」とか、「愛」とか「優しさ」が育まれる前に、<日教組>の教師は「個の確立」や「自主性」を教える。

 それは、戦前の長野の教育とは異なるものだろう。

 そして、現在、長野に限らず日本の教育現場では、「非行の自由」「狂人の個性」「逸脱への自主性」「ぶち壊す革新」「悪行糊塗の人格」「悪平等」「虐殺の平和」と言う、バランスを失った常識が持て囃される。

 そんな子供たちが、「カネ」よりも大事な「もの」の存在を知らず、他の子供たちの心を踏みにじる・・・。

 それが、「いじめ」である。

 過去ログでも何度も書いたが、それを解析する書籍として、二冊紹介しておく。

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)
原 武史
講談社


いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり
松浦 光修
PHP研究所


   ◇

 さて、「GOGOMONZ」の話に戻るが、番組では、最初に投稿テーマが発表され、鬼丸師匠とカオリンの経験が語られる。

 エンターテイメント・バラエティ番組なので、もちろん面白エピソードである。

 しかし、鬼丸師匠の話で、たまに、小学生時代のH先生の話が出てくる。

 ひとことで言うと、H先生は、なんか「凝り固まった本末転倒の考え方」の持ち主なのだ。

 その先生のネタは、私は数回しか聞いていないんだけど、カオリンが「おっ! また、
H先生の話ね^^」などと相槌を打つ。

 おそらく、小学生だった鬼丸師匠は、今でこそ、笑って話しており、悪ガキでもあったようだけど、かなりのショックな言葉の数々を、そのH先生から投げつけられている。

 私は、そのH先生の話を聞くたびに、「…この先生、<日教組>教師じゃねーか?」といつも思っていた。

 例えば(地名とか学年は全てうろ覚えだが…)、鬼丸少年は、小学2年の時に、松本から上田に引っ越してきたそうで、

 さて、二年ほどが経ち、すっかり上田の住人として、学校でも、クラスのみんなと気兼ねなく完全にうちとけてきた頃だ。

 数ヶ月前に長野から転校してきたクラスメイトが、野球の試合で大失敗をしたのだそうだ。

 その子は大変にショックを受け、「もう長野に帰りてぇ~!」と泣いたのだそうだ。

 で、悪ガキだった鬼丸師匠は、試合に負けて腹も立っていたので、みんなが集まる中で、「そうしろぉ!」とか言ったのだそうだ。

 まあ、子供なんて、そんなことを言いたくなることはある。

 すると、H先生が、そんな鬼丸少年を咎める、・・・と、それは教師として当然だろう。

 しかし、H先生、減らず口を叩いた生徒への諌めが、常識の上を行く。

 こう言ったのだ。

     「お前こそ、松本に帰れ!!!」

 それは、もはや教師が生徒にいう言葉ではなく^^;

 また、鬼丸少年が2年間に渡って築いてきた上田市民としての実績を無に帰すセリフだった。

 また、自分が転校生であることを、2年も経っているのに、地名とともに、ねちっこく覚えているのも、鬼丸少年にとってはショックだっただろう・・・。

 おそらく、鬼丸師匠は、このH先生の話の数々を、いつか、圓歌師匠の「中沢家の人々」のように落語化すると思うのだが(「H先生の思ひ出」)、

 私は、このH先生の「善悪の度合いの見抜けなさ」が、どうしても<日教組>臭く感じるのだ。

 なんちゅうか、被害者の人権よりも、加害者の人権を大事と考え、加害者を糾弾する者に文句を殊更に言うようなメンタリティが、だ。

 ・・・[三遊亭鬼丸師匠の「タロ人会 ~第48夜~」に行った(後篇・下)]を書くつもりが、その枕が、こんなに長くなってしまいました^^;

                                           (2012/11/30)
コメント (4)
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