播但線の生野越えは長い登り勾配が続き撮影の絶好ポイントでした。
生野で天候は大きく変わる、雪も生野を越えるとふる。
線路は山に沿って走るので何キロも先から登ってくるのが見える。
撮影する場所も沢山あった。
現在は播但自動車道ができて風景が違っているとも聞く、播但自動車道を走りながらどの辺で撮影したのか思いを巡らす。
生野越えを走る機関車はC57形のみだった。D51は重量が重く線路の規格に合わず入れなかった。
C11形はタンク車のため姫路と寺前間の走行だけだった。
動輪径の大きな旅客機関車のC57が貨物を引くのは厳しかった。
播但線の蒸気機関車は昭和47年3月の山陽新幹線開業前に廃止された。
私のところから播但線生野の撮影に行くには前の日に姫路で泊まるか夜行特急寝台で特急券を買いいくしかなかった。
今年は山陽新幹線岡山開業40周年になるそうだ。
まだ播但線の生野越えの撮影に行った頃の事は鮮明に覚えている。
もう四十年になるのか
生野で天候は大きく変わる、雪も生野を越えるとふる。
線路は山に沿って走るので何キロも先から登ってくるのが見える。
撮影する場所も沢山あった。
現在は播但自動車道ができて風景が違っているとも聞く、播但自動車道を走りながらどの辺で撮影したのか思いを巡らす。
生野越えを走る機関車はC57形のみだった。D51は重量が重く線路の規格に合わず入れなかった。
C11形はタンク車のため姫路と寺前間の走行だけだった。
動輪径の大きな旅客機関車のC57が貨物を引くのは厳しかった。
播但線の蒸気機関車は昭和47年3月の山陽新幹線開業前に廃止された。
私のところから播但線生野の撮影に行くには前の日に姫路で泊まるか夜行特急寝台で特急券を買いいくしかなかった。
今年は山陽新幹線岡山開業40周年になるそうだ。
まだ播但線の生野越えの撮影に行った頃の事は鮮明に覚えている。
もう四十年になるのか
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